2011年08月09日

秋月辰一郎医師から、今のわれわれに送られたメッセージ−8月9日長崎原爆記念日によせて5

8月9日 長崎原爆記念日。

ここで、3月11日以降に起こったことや3月15日のブログ記事に書いた緊急情報の内容を、ふたたび振り返って、再確認してみます。今回は、書き言葉のリズムで書きます。

長崎に原爆が落とされ、その爆心地から1.4kmという、非常に近距離で、病院の建物の破壊とともに、そこにいた全員がひどい被爆をしたのにもかかわらず、その後、原爆症の症状が出ないまま、その場にいた70人全員が生き延びたという歴史上の事実を知ったのは、今から26年前である。


同じ近距離で被爆した他の人たちはすべて死亡したなかで、彼らは生き延びたのである。いったい何が彼らを救ったのであろうか?いったい何が生死を分けたのだろうか?


その病院の院長であった秋月辰一郎医師は、もともと普通の人より、体力のない、かなり虚弱な人であった。ところが、彼は、89歳まで長寿をまっとうした。

こういう歴史上の知られざる事実は、やはり忘れてはならない事実として、今日にも伝えておかねばならないと強く感じ、私が出した最初の本に、その事実を、誤解されかねないことを覚悟で書き、出版したのは、1993年のことである。

当時は、その証拠となる、その病院長、秋月辰一郎医師の書いた記録の文献がすべて絶版のままであり、記録を調べるのに、国会図書館にもくわしい文献調査の神様みたいな友人に協力してもらったりして、絶版の本のコピーを手間ひまかけて集めたことを憶えている。死の同心円

3月11日に、東北大震災による津波と地震による壊滅的な被害は、福島第一原発の決定的事故へとつながり、まさに致命的な放射能汚染の被害の拡大は、いまだに継続しており、現在も進行中である。

3月14日の夜中から、強い胸騒ぎがして、「この原発事故は、このままではすまされない。事態の収拾がつかず、かならず予想以上の被害につながっていく」ということを、はっきりと直観した私は、もういてもたっていられなくなり、秋月医師たちが、ひどく被爆をしながらも、現実に生き抜いたという歴史上の事実を、今、人々に知らせてもいいものかどうか、私は相当迷った。

余計なことを言って、不安と恐怖で神経過敏になっている世間から袋叩きにされかねないリスクがあったからである。

しかし、自らが被曝をすることを覚悟して、文字通り命をかけて、福島第一原発の事故現場に向かった関係職員たちの、おのれを捨てた使命感のうしろ姿を見たとき、もう今おじけづいてだまって見ている訳にはいかないという激しい衝動にかられ、ほぼ徹夜して、慎重に練り上げて緊急メッセージを書き上げ、3月15日の早朝に、そのブログ記事を体を張ってアップしたのである。

そのときまで、まだ、秋月先生の文献は、今だ絶版のままだと思っていた。

長崎原爆記
ところが、予想をはるかに超えて、いきなり多大な反響があり、思いがけなく、読者からの感謝のコメントが続々と寄せられたことには、私自身がびっくりしてしまった。そのほとんどが好意的なもので、感謝の気持ちを素直に示すものであった。

たまに、やや否定的なコメントがあっても、今までコメントしてくれた人たちが、それに対して断固反論してくださり、私の書いたものを守ってくださった、という思いがけない事実には、逆にこちらが心打たれたものである。


今まで1年間、まるまるさぼっていたブログなのに、どこからいったい探し出してくるのか、たしか3月15日の日には、たいして読まれていなかったブログが、1日で1万5千ページビューにいきなりなってしまい、こちらがたまげてしまった。

そして、次から次へと、twitterからtwitterへと情報はリレーされていき、さらには、自分のブログで紹介させてくれ、というリクエストが次から次へと寄せられた。

まさに地下水脈を、静かに水が情報が流れていくように広がり、とうとう一番問題が深刻な福島県の住人のところにも到達。さらには、めぐりめぐって福島第一原発の現場担当者にも情報が届けられるという、インターネット情報の伝わり方の速さとその底力を思い知らされることになる。

また、いっしょに懸命にこのような情報を多くの人に伝えようとする人々のまごころのようなものを感じたものである。


どこからか聞きつけたマスコミからの取材申し込みもいくつかあったが、情報がまちがって伝わることを何よりもおそれ、一切マスコミの取材は受けなかった。

マスコミのライターのめしの種のために、こっちは体張って書いたわけじゃない。また、どういう情報の解釈をされて、どういう形で他人に報道されてしまうかが見えないので、はっきりいって百害あって一益もない、と確信していた。人の悲劇でめしを食っているようなケースが目につくマスコミ人の相手をしているひまなどはなかった。彼らは、常に無責任な立場で、モノを語れるのだ。

多くのコメントが寄せられる中で、逆にこちらが知らなかったことや、気がつかなかったことに、あらためて気がつかされることがしばしばあった。

そのなかで驚いたのは、すでに、今まで絶版で手に入らないと思い込んでいた秋月先生の幻の著書が、すでに昨年、復刊されていた、という事実である。



「死の同心円−長崎被爆医師の記録」( 秋月辰一郎 長崎文献社 )
で初版は、2010年6月30日。すぐに2版が同年9月15日で出ている。

また、
「長崎原爆記−被爆医師の証言」( 秋月辰一郎 日本ブックエース )は、初版が2010年11月25日である。

今まで、再販を引き受ける出版社がまったく見つからず、かなりの長期間、絶版のままであったのに、まったくちがう出版社から、昨年2010年に、2冊続けて復刊されていることは、まるで奇跡のような驚きであった。

これらの本が、昨年2010年、奇跡のように2冊連続して復刊されて、しばらくたって、ことし2011年の3月11日から予想もしなかった、思いがけない事件が起こっている。

まるで、私たち日本人に、今回の事件を予測して、大切なことを少しでも役立つように、秋月先生が、あの世から、必死に私たちに何か大切なメッセージを伝えようとしていたかのようではないか?

私には、そのように感じられてならないのである。



(次回につづく)  

Posted by otsukako at 10:30Comments(1)TrackBack(0)

2011年08月06日

広島の原爆でひどい被爆をしながらも、元気な子どもを7人も産み、健康に育てた女性5

8月6日は、広島の原爆記念日ですね。

福島第一原発の問題も依然としてあるし、外国のメディアも注目するだろうし、海外からの来賓があるだろうし、今年の広島の原爆記念日の平和式典は、朝からあちこちのテレビ番組で中継されるものとばかり思っていました。

ところが、海外のメディアの問題意識の強さに比べ、日本の民放の各局は中継などせず、NHKが朝と夜の7時にニュースのようなかたちで放映したくらいが目立ったところで、あとは、式典の模様を各民放は、少しだけニュースで流す程度。私は、愕然とし、驚いてしまいました。

国と民放とでの一種の情報操作があったのではないか、と思いました。東京電力と民放各テレビ局との癒着を考えざるをえない気持ちになりましたね。また、菅 首相が行うであろう、脱原発宣言をできるだけ広くは報道したくない、という東電と株主関係か何かで癒着があるがゆえの情報操作を感じざるを得ませんでした。

私は、とくに大手マスディアは、ますます当てにならないし、信用できない思いがしてしまいました。インターネットでは、けっこう報道がテレビよりも活発であったように感じました。

国もマスコミも、国民に対して、かなりの情報操作をしてきているみたいで、何が本当の情報か、わからないままできている今日、ますます、われわれは、自分たちや家族の身を守るために、自分たちでサバイバルの知恵を磨き、自分たちでわが身と家族の身を守っていくしかない、と思います。

ことしの3月15日に、やむをえない思いから書いたブログで、長崎の原爆で、近距離でひどく被爆しても、その病院にいた70人全員が、原爆症にかからなくてすみ、そのグループを指揮した院長にいたっては、89歳まで長生きしたという実例を、ご紹介いたしました。まだの人は、読んでみてください。

また、その記事のもとになった、原爆60周年の2005年8月16日に書いた記事も、まだの人はよく読んでみてください。

現在は、福島第一原発の事故による放射能汚染の食料への被害が広がっており、小さいお子さんをお持ちのお母さん方の中には、ガイガーカウンター(放射線測定器)を常時持ち歩いて、放射能のチェックをマメにしている方も多いようですね。それは、神経質にもなりますよね。わが子の命を被爆から救わなければならないし、将来、自分の子が、がんなどにかかって欲しくないですから、神経をぴりぴりさせてしまうのも無理はないでしょうね。

ただ問題は、いくら注意を払っても、政府やマスコミの情報すら信用できないところが多く、結局、きりがない、ということです。いくら神経質になっても、放射能除去装置というような便利なものが、あるわけではないのですから、結局、どんなに調べてチェックしても、きりがなくて、むしろ、母親もヒステリーか神経衰弱になりかねなし、その影響がもろに不安定な子どもの心理へと反映されてしまう可能性がかなり高くなると思います。

かえって、そのことで、神経をぴりぴりさせ、神経を不安定にし、多大なストレスをかかえ、自律神経系のはたらきを大いに乱れさせ、生体の防御能力を低下させてしまい、それがそのまま、自分たちの子どもの健康にそのまま反映されてしまう危険性をこそ、親たるもの考えなくてはなりません。

さて、実は、長崎の生存者だけでなく、広島に原爆が落ちたときにも、まるで奇跡のような女性の例があります。

彼女の自由とプライバシーを守るために、名前はあえて伏せて、HSさんとしておきます。

HSさんは、広島に原爆が落ちたときは、まだ小学校3年生で、9歳だったとのことです。

この場合も、なんと爆心地から、たった2kmという近距離で被爆し、すごい爆風で、からだごと吹っ飛ばされ、放射熱で、皮膚は大やけど。腕、顔、髪の毛、まつ毛が焼けたそうです。とっさに目を閉じたので、かろうじて眼は大丈夫だったようです。その後、やけどのただれから、腕にはうじが湧き、ケロイドの苦しみがはじまってたいへんだったようですが、これ以上、苦しい思いをしたくないので、当時、流行ったという、ケロイドをすべて除去し、脚の皮膚を移植するような手術は、拒否したそうです。


その代わり、毎日、さすっていたそうで、また、配給でもらった梅干を、無意識に欲して、常に食べていたとのことです。

HSさんは、ケロイドを負ってしまった顔を、20歳までは鏡を見るな、と母親から言われるほどに顔にはやけどのあとが醜く残ってしまっていたようです。

HSさんは女性ですから、顔にやけどのあとも残り、また、ひどく被爆してしまった身、これでは結婚も無理だ、子どもの原爆症もこわいので、とても子どもを産むことなどできない、とあきらめていたそうです。

そして、この放射能の研究をするために、猛勉強して、広島大学理工学部に入り、物理学を専攻したといいますから、かなり努力家のインテリともいえます。

その彼女の運命を変えたのが、のちに結婚されたご主人。結婚なんかできないし、まして子どもなんか無理と言うと、「そんなことはない。体質は食べ物で変えられる。細胞は食べ物によって常に作り変えられているのだから、大丈夫。」と励まされます。

ご主人は、玄米菜食の実践者でした。結局、HSさんは結婚し、いっしょに玄米菜食を実践し、なんと信じがたいことに、無理だとあきらめていた子どもを、7人(!)も産みます。そして、その7人はみな原爆症など出ることもなく、健康で、とても元気に育った、という事実があるのです。アンビリーバブル!じゃないでしょうか。ブラボー!とでも、叫びたくなるような快挙じゃないですか。すごいことですよね。


HSさんは、白砂糖を完全にやめ、玄米と味噌と自然塩と根菜や海藻をしっかりとる玄米食を徹底したところ、みにくく跡が残っていたケロイドもうすくなって、ほとんど消えてしまったとのことです。これも、アンビリーバブル!まったく普通ならありえないような話ですが事実なのです。

彼女は、国立大学の理系の物理専攻ですよ。単に盲目的に、実行したわけではないはずです。やはり、例え、科学的に証明されたことではなくても、これは何か試してみる価値があると直観し、素直に実行する人には、思いがけない福が現実に来るものですね。

私は、多くの母親が、神経をすり減らして、ガイガーカウンターを持ち歩いて、ほんとうはよくわからないOOシーベルトとかの数値を気にして、毎日を先の見えない不安や恐怖のままに、為す手もなく、過ごすよりも、先人が体験した貴重極まりない事実から学び、だめもとくらいの気持ちで、将来の子どもたちの健康と命の安全を本気で真剣に考えるのなら、こういうことを、徹底して家庭でやってみるほうが、どれだけ現実的な希望を作り出していくだろうか、と考えます。

まったく先が見えない今、為す手がないままに、不安や心配のなかで、絶望的な気分で、現実に立ち向かうよりは、少なくとも、こういうあまりにもシンプルすぎることを、徹底して実行してみてはいかがでしょうか。

少なくとも、私は、そのほうがはるかに現実的なご利益をもたらすと、考えています。


こういうことをいうと、科学的に証明されたことではないとか、理屈で批判をしてくる人もいますが、そのときは、必ずより効果的だと思われる代替案を示してください。そうでなければ、単なる傍観的な評論家としての批判だとすれば、それは無責任ですよね。現在の状況に対して、より有効な代替案をはっきり明示してほしいと思います。それが明示できないなら、だまっているべきだと思います。

今、目の前にある先の見えない現実のリスクを少しでも減らして、現実をサバイバルして、自分たちの健康、子どもたちの健康をできるだけ可能な限り守っていかなければならない立場にある、われわれに、長い時間のかかる研究の結果をいちいち待っていられる時間的ゆとりはないのです。

巷での放射能汚染よりも、病院の中での放射線による被曝の方が、ガイガーカウンターではるかに高い測定結果が出るのではないでしょうか?だったら、なぜ、病院にはガイガーカウンターを持ち込んで心配することなく、平気で安心していられるのでしょうか。野菜だ、水だ、肉だ、とこわがって、放射能汚染には異常なまでに神経をとがらすのなら、安心してかかっている病院の中のでの被曝の方が実はこわいんじゃないでしょうか。病院内被曝(院内被曝)については、慶應義塾大学付属病院の放射線科講師の近藤誠先生が、はっきりと明言されているので、近藤誠先生の本をお読みください。

つまり、ガイガーカウンターを持ち歩いて、あちらこちら測定しまくること事態、すでに心理的な落とし穴に入り込んでしまっている、ひとつの証拠ではないかと思います。

できるだけ、リスクを減らす努力をしたら、あとは、開け直り、先人の体験に習い、それを素直に実行するほうが、はるかに現実的な対処であり、それなりのご利益があろうかと思います。


ましてや、われわれは、HSさんのように、近距離で原爆に被爆し、大量の放射能汚染を浴びたわけではありません。彼女より、はるかに良い条件下にあります。また時間的ゆとりも彼女よりあります。ある程度、準備していく時間があるからです。ましてや、ひどい放射能による被爆をしたわけではありません。われわれは、HSさんの場合にくらべれば、圧倒的に有利な立場にいるのではないでしょうか。

さらに、HSさんは、9歳で被爆して、20歳まで、徹底して体質のガードをしてきたわけではありません。あくまで玄米食に本格的に取り組んだのは、20歳を過ぎてからです。そこからはじめて、みにくいケロイドの跡を手術なしで消し、不可能と思われた結婚を成し遂げ、7人もの元気な子どもを産み、育てたという事実は、福島周辺で不安におののくお母さんたちに、大きな希望と勇気と明るさを取り戻してくれるのではないでしょうか。

放射能汚染の拡大で、政府もあてにならず、専門家も打つ手がない、そういうやるせない不安が広がる中、私は、あえて、そういう現実に直面して、どうしようもない心配や恐怖におそわれている、とくに小さい子どもを抱えたお母さんたちとそのご家族に、次の言葉を贈ります。

「不安なままでいるよりも、とにかくやってみなはれ。」


だって、先の見通しがまったく立たない現状で、政府も専門家も、全然当てにならないわけでしょう?だめもとでしょう?

このやり方に、薬による副作用のような危険性はあるでしょうか?

はっきりいって、ノーリスクですね。

だったら、実際に事実として体験をした人のマネをしたら、いいじゃないですか?

だめもとで、やってみたら、どうでしょうか?

私は、ガイガーカウンターで測定して、神経すり減らしているより、はるかに良い結果が期待できると思っています。


くわしい食べ物の内容については、3月15日に書いたブログ記事の内容をよく読んで、参考にしてください。

困難に直面している方々に、現実的な希望が拓かれることを切に祈っております。


* 1年さぼってまったく更新していなかった私のブログは、あまりアクセスはないはずなのに、なかばハラをくくって書いた3月15日の私のブログ記事にに、いきなり突然1日で1万8千ページビュー、1ヶ月で10万ぺージビューもアクセスがあった事実は、書いた本人がびっくりしたものでした。先行きが見えない不安の中にいる人が、いかに希望のある情報をほしがっているかということを痛切に思い知らされました。驚いたのは、その情報を、人から人へ、twitterからtwitterへ、と情報のリレーがどんどん自発的に行われ、次々に、私のブログでも紹介させてください、という申し込みが殺到したことにも、驚かされました。また、次々に好意的なお礼と感謝のコメントが次々に寄せられたことには、とても励まされて感動したものでした。

あるとき、60万部のベストセラーにもなった「人生の宝地図」の作り方の指導で有名な、長年おつきあいのる友人の望月俊孝氏と、このテーマについての重要性について語り合う機会がありました。すると、彼はこのことは一大盲点ともいえる重大な情報であることに、強く共鳴してくれ、あらためて時間をとって対談の機会を作ってくださり、「放射能汚染に負けない生体防御の力をつける」というテーマでの対談CDとして、おもに彼の会員向けのものとしてまとめてくれました。まさか、このテーマでの対談がCDになるとは思いもよらなかったので、非常にうれしく思ったものです。一応、彼に制作費を使わせてまとめていただいたのですから、そのことで損をさせるわけにはいきませんので、一応、私からもここに案内をさせていただくことにいたしました。どうぞ、ご了承ください。



  
Posted by otsukako at 23:48Comments(4)TrackBack(0)

2011年03月15日

緊急重要メッセージ!原発事故による放射能汚染から、身を守る可能性を高めるために、すぐにできることを実行しよう!5

 福島の原子力発電所での爆発事故などで、放射能汚染が広がることによる被曝が非常に気がかりな現実の心配と不安になりつつあるここ数日、もちろんそういう場所から、できたらすぐに離れることがベストという大前提をもとにして、以前、私のブログに書いた記事を少々リライトして、こういう大きなリスクのあるときに、少しでも皆さん自身とご家族の身を守れる可能性を高められるよう、こういう危機的状況の中でこそ役に立つ、体質面から命をガードする知恵を、以下の私の記事で紹介しておきます。

 実は、長崎に原爆が投下されたとき、爆心地から、ほんの1.4kmの場所で、その建物の中にいた全員がひどく被爆したのにも関わらず、彼らに、その後、その被爆による原爆症が出ず、命が奇跡的に助かったという事実があります。 

 彼らは、原爆が落ちたときに、ある医師の指示で、とっさに、体に対して、あるガードをしたのですが、いったい、どういうことをしたと思いますか?

 とっさの機転で体のガードをした彼ら以外、同じ距離で被爆した人は、皆、原爆症に苦しみながら、早くに亡くなっています。

 彼らは、皆、原爆症にもかからず、長生きし、そのとっさの指示を皆に与えた医師は、たしか90歳近くまで長生きされたようです。

 原爆を落とされたとき、何が、生と死の明暗を分けたのでしょう?


 この長崎に原爆が投下され、その爆心地から1.4kmしか離れていない場所で被爆したにも関わらず、原爆症が出なかった人たちがいる事実について、私は、すでに私の著書「治る力の再発見」(日本教文社)のなかで、はっきり書いています。その内容こそが、何が被爆した彼らを原爆症から守り、命を救ったのか、ということについての説明になると思いますので、以下、引用いたします。

 1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.4kmのところで、当時浦上病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。

 博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液の状態を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある )


 さらに博士は、次のように職員に命令したという。


「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」( 秋月辰一郎著「死の同心円−長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版 )
 

「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。「味噌汁」の具は、「かぼちゃ」であった。のちに「わかめの味噌汁」も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
 

 すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
 
 このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。


 博士は人間の体質にとって、「味噌」が実に大切であることを説き、のちにこう語っている。

「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」
( 秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊 )



 博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「味噌」がとぶように売れたということはあまり知られていない。

 (中略)

 秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のようにいっている。

 
 「それは、人間の体質を作り変えることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。また、慢性疾患に罹患していても、体質を変えていつの間にか病気が離れる身体になる、この医学である。」(「体質と食物」)


 
「塩と玄米と味噌汁が、放射能の害から命を守っただって?まさか、そんなバカなことが!そんな簡単なことで原爆症を免れたなら、医者なんていらねえよ!」と、きっと皆さん、思われたに違いない。


 私も、最初、同じように思いました。しかし、実は、一見、簡単そうに思えることの中に、実は深い意味が隠されているものなのです。とくに生命に関しては。


 今では、私には、秋月博士が行なったこと、言ったことの、重大な意味がよくわかります。


 また、現代西洋医学は、すべて人を平均化して対症療法で処方する方法ばかりにとらわれているので、個人の「体質」の違い、「体質」の強さに対しては、まったく盲目に近いといえます。
 

 口から入るもの(飲食)が、一番身体内部に直接影響を与える外部からの環境因子になりますから、たしかに、身体の体液環境を守りうる要因にはなりうるのです。


 毎日、ハンバーガーなどのジャンクフードや、牛丼、コンビニで買った食品添加物山盛りのレトルト食品ばかりで食事をすませていたり、外食で、焼肉やおいしいグルメの食べ歩きばかりしていて、さらには、とくにソフトドリンクや甘いものには目がないときたら、そういう人たちは、放射能汚染によって被曝でもしたら、原爆症になりやすいのではないかと思います。


 ただし、インスタントの味噌汁を飲んでも、全然やらないよりましかもしれませんが、あまり効果は期待できません。化学的な食品添加物が一切加えられていない「無添加の本物の自然醸造の味噌」をつかった味噌汁ならば、非常に強い薬効が期待できます。そういう「本物の良質の味噌を使った味噌汁」を毎日1回以上必ずとるよう心がけると、「未病を治す」という言葉があるように、非常に効果的な病気の予防になるかもしれません。 


 世界保健機関WHOでも高く評価された、日本の伝統食や伝統的発酵食品の知られざる底力を見直して、毎日の食事の基本に取り入れた方が、結局、体質的な力を強めて、免疫力も強化することになり、正体不明なウイルス性の病気やインフルエンザなどにもかかりにくくなって、いざというとき、放射能の害からも運良く健康と命を守れるかもしれないし、予想以上の大きな恩恵があると思います。 


 なお、講談社をはじめとして、秋月辰一郎博士の原爆体験記録の本は、非常に貴重なので、原爆投下から60年以上もたった今、あらためて是非、復刊してもらいたいものと心から願っています。(*あとから、昨年、復刊されたということを知り、とてもよろこんでおります。)


 この記事からヒントを得て、原発事故による放射能汚染から、少しでも、大切な自分と家族の健康と命を守れるように、どうぞ上手に活用して、すぐにお役立てください!


放射能の被曝から、体質的に体を防御する食べ物のまとめのキーワード:

自然醸造味噌、自然塩、ごま塩、玄米、玄米おむすび、味噌汁(具は、わかめ、かぼちゃなど)、わかめ、昆布、塩昆布など。緊急時には、手っ取り早く「玄米ねぎ味噌雑炊」(具は、わかめ、昆布、かぼちゃ、大根など)をとるのも、体が芯からあたたまり、体が疲労していても消化吸収しやすいので、これもおすすめです。血液を守るために、白砂糖・甘いものはとらない。アルコール類もとらないこと。これを徹底して実行すること。



あくまで、この記事は、過去の歴史における事実からヒントを得て、少しでも放射能汚染から健康と命を守る確率を少しでも高めるために、今できることをすぐにやっておいたほうが、何もできないままで過ごすよりはよいのではないか、ということで、あえてお伝えしております。ゆえに、かならずしも、その効果を保証するものではありませんので、その点はご了承ください。なぜなら、それなりの効果は期待できても、年齢、置かれた環境や状況、性別、体質等の違いによる個体差や、現実の汚染状況によって、かなり違いが出てくると思います。また、どれだけの期間、どういう食材で、どれだけまじめに、どの程度実行したのか、によっても、違ってきます。判断や実行はすべて自己責任でお願いいたします。個々の質問にはお答えできませんので、あらかじめご了承ください。冷静に的確に対処していきましょう。


また、この記事は、あくまで、この緊急時に、いったいどうしたらよいのか、と不安で困っている方々のために、今できる意味あることのヒントとして、やむにやまれない思いから、切迫した気持ちで、徹夜して書きあげたものです。マスコミ関係者の相手をしている時間的なゆとりはありませんし、マスコミ関係の取材や質問には一切応じられませんので、あらかじめご了承ください。引用した文献につきましては、すでに絶版のものですので、国会図書館などに足を運び、直接、ご自身で調査・取材してくださいますようお願いいたします。


地震・津波の災害で、人々を救助するのに懸命な消防隊員や自衛隊員の方々の無私の献身ぶりには、ほんとうに頭が下がります。危険な中に飛び込んでいく彼らには、心から感謝したい思いで一杯です。また、原発事故で、自らの身の危険もかえりみず、なんとか深刻な危機をのりこえようと、命がけで懸命に問題解決に取り組んでおられる作業員の方々にも、ほんとうに頭が下がります。そういう方々の身が、なんとか危険から守られるよう、こういう思いがけない知恵が少しでもお役に立てば、と心から願っております。


★★原子力の専門家であり、内閣府原子力委員会の専門委員も務める中部大学・武田邦彦教授が、専門家としての立場から、わかりやすく説明してくれている「原発 緊急情報」というWebサイトがあります。何を言っているのかよくわからない政府や東京電力の発表よりも早く、世界の原子力専門家とのタイムリーな情報交換も交えて、すばやく、かなり信憑性の高い情報を提供してくれているように思います。こういうありがたい専門家からの情報は、どんどん入手して参考にしてください!( http://takedanet.com/ )

★★原発事故で問題解決に取り組んできた実際の現場の方からmixiを通じて、現場の方々が、どれだけ懸命に、まさに自分たちの命をかけて、必死にがんばっているかについての体を張ったレポートを入手しましたので、ここにお伝えします。皆さんは、現場の命がけの努力を肌で知るべきだと思います。読んでいて、私は涙がとまならくなりました。そうですよ、一番最悪のもっとも危険な被曝のリスクにさらされながら、それを承知でがんばっているのは彼らです。ああいう東京電力のような巨大な組織では、組織に都合のよくないことは、平気でもみつぶされてしまいます。この方は自分の全存在をかけて、現場でがんばっている人たちの弁護をしています。私には、よくわかります。私はそういう人たちこそ、彼らの命がけの捨て身の努力に報いるためにも、なんとか助けてあげなければならないと強く思います。読んでいて、涙が止まりません。こういう人たちがいるからこそ、日本は紙一重のところで救われているのだと思います。年収1億円を誇るあるネット実業家は、さっそく日本に見切りをつけて、わが身大事とばかり海外に逃げ出しました。おそらく原発現場の作業員の方々は高い給料などもらっていないと思います。それでも、使命感から命がけで取り組んでくれています。ほんとうに、ほんとうに頭が下がります。ほんとうに皆さん、ありがとうございます!


★★★ みなさんへ

2011年03月15日21:36

今日の朝方 発電所から避難させられ福島の親戚の家で家族と合流しました

とりあえず私は無事です

お前だけは安全な所へ…と言われ泣きながら企業さんの車で発電所をあとにしました

本当にこのような事になってしまい本当に申し訳ありません

東電はすごく叩かれてる…

でも逃げずに命懸けで作業を続けてるのも東電です

どうか非難しないで下さい

私も東電の社員として福島第二原発の所員として昨日まで現場対応にも参加してました

大津波警報で夜中の3時足元も見えないまま死ぬ覚悟で海の目の前での復旧作業…

冷却機能のある機械は海側のため津波でやられてしまいなんとか復旧しようとみんな必死でした

みんな疲労と戦いながら足を引きずりながら作業にあたっていました

冷却機能を復旧できなければ第二原発も第一原発のような爆発が起きていました

それを防いで全号機冷温停止させたのも東電です

発電所を見捨てて逃げればこんな状況では済まされません

逃げずに立ち向かっているんです

津波の影響は想像を遥かに超えていました

地震だけであれば第一原発の爆発も起きなかったんです

みんな自分の命を顧みず 停止する作業に全うしてます

多々噂があるけど避難勧告の圏外にいれば健康に影響ある程浴びる可能性は低いです

健康に影響がある程浴びるのは発電所で頑張ってる作業員のみんなです

殆ど寝ず食わずで現場に行っています

噂に左右されず 避難勧告圏外へ避難して外気になるべく触れないようにして下さい

彼氏は今もずっと発電所で夜勤を続けてます

今はただ皆の安全を祈るしかできない…

一番怖いのは発電所で作業している皆です

逃げずにそれに立ち向かっているのは東電と関係企業さんです

家族との連絡がつかない人もたくさんいるけど現場へ向かい作業をしてます

それだけは忘れないで下さい

一人でも多くの人に知って欲しい

悪用防止の為コピーではなくURL公開して下さい

発電所のみんなは逃げずに今も戦っています

住民の皆様には不安な思いをさせて大変申し訳なく思っています

誹謗中傷覚悟の上で名前も載せます

皆を守る為自分の命と引き換えに今も作業をしている人がいます

こんな状況ですが 自分の命を顧みず立ち向かっているみんなを見て 一緒に復旧作業に当たることができて 東電社員であること 福島第二原発所員であることを誇りに思います


東京電力
福島第二原子力発電所
電気機器グループ
大槻 路子



★★★★( 補足コメント )

 福島原発の現場で、私の知人の友人が所長で、昔、私と同じように、大学で少林寺拳法をやった仲間であることを、はじめて最近知りました。

 また、世間から非難されながらも、彼は、この困難な状況から、決して逃げないで、命がけで立ち向かっていることを知りました。

 たとえ、こういう足元からの生体防御についての情報が伝わったとしても、なかなか時間がないから、誰かが玄米むすびを握って作っている時間は、なかなかないことでしょう。また、よく「噛め」といったって、皆、不眠不休で食欲もなく、体も疲れ果てているはず。

 そういう状況下で、みんなが集まって、フーフーいいながら食べられて、からだもあたたまって、疲れた体でも消化吸収がスムーズなもので、体をすばやく効果的にガードできるかもしれないもの…「こういう状況の場合、すばやく対処するには何が一番いいのか?」…あれこれいろいろ考えておりましたら、ほうら、ちゃんとあるじゃないですか!あれが!さっそくここに補足しておきます。

 そう!「玄米ねぎ味噌雑炊」!( 味噌は豆味噌、具は、わかめ、昆布、かぼちゃ、だいこん、えのきだけなど )

 これならいくらでも具は加えられるし、手間はかからないし、アツアツをみんなで集まって食べれば、からだもおなかも心もあたたまり、笑顔も生まれようというもの。これなら、仮に放射能が強くなっても、すぐに子供たちにもあたためて「即座に」食べさせられる!

 なんだ!まるでかつてブログに書いたインフルエンザ対策と同じじゃないですか!実は、このようなシンプルな「玄米みそおじや」で、おなか(小腸・大腸を含む腹部)をあたため、腸の蠕動運動をうながし、ほどよくスムーズな便通をつけることは、生体防御力を、かなり内側から高めるはずです。

 ありがたいことですね!日本の先人の知恵は!さあ、心ある人には伝えてください、主婦から主婦へ!母から母へ!そんなことあるもんか、と思う人に説得する必要はないし、やってもらう必要は全然ありませんからね。だめもとですよ。

 手っ取り早く、こういう状況下で、かなりの生体防御の効果が期待できるのは、おそらく「玄米ねぎ味噌雑炊」(玄米みそおじや)で決まりでしょうね!幼稚園や保育園でも、幼い子供たちを守るためにも、ぜひ、やってみてください。おそらく、皆で笑顔で食べられて楽しく、きっと体の防御にも、しっかりと役に立つのでは、と思います。これは、からだをあたため、自律神経系のはたらきを整える上でも効果的で、それがまた相乗的に生体防御力を高めることになると思います。


  
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2007年01月03日

あなたが明日まで残したい一番大切なものは何?

 このブログは、おもに責任ある経営者やそのご家族の方の健康管理や「命もうけ」に役立つような知恵や情報を、わかりやすくお伝えすることが目的です。

 おけましておめでとうございます!

 私は、毎日欠かさず腕立て伏せをやるような根性で、ブログ記事を毎日書きつづけていく自信はまったくありませんので、ものぐさながらもコツコツと、書きたいときに書いていくことにします。ということで、本年もよろしくお願いいたします。

 1年の始まりにあたり、とても意味深い寓話がありますので、私のブログを貫く精神とまったく同じ内容を持つものなので、ここにご紹介させていただきます。

 古代の神話からのお話。

 その昔、悪魔が町にあらわれて、人々にこういったそうな。

 「今日から、おまえたちのものをすべて奪い取ることにした。だが、悪魔とて情けはあるので、明日まで残しておいてほしいものをひとつだけ、書き出せ。それだけは、奪わないでいてやる。それ以外のものは一切、奪い去るから、そのつもりで。」

 こういい残して、悪魔はひとまず立ち去った。

 さてたいへん、町の人たちは、てんやわんやの大騒ぎ。

 「おれは金だ。」

 「おれは食いものだけは残しておきてえ。」

 「私は家がいちばん大事だ。」

 「いや、私は宝石よ。」

 「私は、やはり名誉だ。」

 人それぞれいちばん大切と思うものを、あわてて書き出したそうであります。

 皆さんだったら、どうしますか?何を残しておきたいですか?

 さてさて、一夜明けてみると……その町には、なんとたった一人の人間しかいなくなっちゃったそうですよ。

 おわかりになりますか?

 えっ、おわかりにならない?

 その人だけだったんです、紙に「命」と書いた人は。

 金だ、屋敷だ、宝石だ、名誉だ、やれ何だと書き出したほとんどの人が、いちばん肝心な自分の「命」を書き残しておくことを忘れていたわけですね。

 もちろん、金も、家も、仕事も、名誉も、愛も、たしかに大切なことですが、あくまで「命」あってこそ味わえる価値があるもの。

 「命」以外のものは、しょせんは人生の一部でしかないわけで、「命」を失えば、どんなに価値があるものだって本人は味わえなくなる。

 「命あってのモノダネ」とは、先人はよく言ったものだと思います。

 年商およそ600億円を誇るM&Aで急成長した上場会社の創業者と会って話をしたことがありますが、友人の社長たちが、バタバタとがんで倒れていくので、それが心配なだけでなく、ご本人も、もし自分ががんに倒れたら、取引銀行からも、急に冷たくそっぽを向かれるだろう、ということで、とてもがんになることをこわがっておられるようでした。

 私は、志なかばで、あとせめて1年でいいからもっと生きたいと、熱烈に願いがら、それを果たせなかったような、がんなどで亡くなった人たちの無念を、実際にこの眼で目の当たりにして見てきました。だから、この寓話の示す深い意味も、非常に現実味をもってよくわかります。この寓話を紹介したのは、心身統一の哲人、中村天風師であります。

 無念のまま亡くなった人たちの屍を、助けられなかった悔しさに歯を食いしばりながら何人も実際にまたいできたのが私で、私はそんじょそこらのおっちょこちょいな調子のいい健康評論屋じゃありませんもの。

 「命がありさえすれば、他のことは、あとからでもなんとでもなる」ことも、事実としてよく知っています。

 新年なので、自分にも喝を入れてくれる、とても強烈な言葉を最後にご紹介しておきます。

 「あなたが無駄に過ごしてしまった今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたかった明日である。」

 実際に、無念のままに死んでいった人を何人も見てきたがために、私のなまけ心に強烈な顔面パンチを入れてくれる言葉です。

 もちろん、別にときどき十分に休息をとってもかまわないと思いますが、無理を承知で、何かにあえて挑戦しようと決意していながら、急にこわくなって逃げたくなったようなときに、この言葉を思い出すと、失敗するかどうかを心配し気にできるだけでも、むしろありがたいことなのだ、と自分に喝と気合を入れることができます。

 皆さんも、この2007年に、どうぞ、この言葉をお役立てください。 

  
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2006年11月19日

忙しい経営者の「命もうけ」の体験ができるヘルスケア・リトリート施設―インド、バンガロールより

 このブログの目的は、おもに変化の激しい時代に重責を担う経営者と、それを支えるご家族の皆さんの「健康管理」や「命もうけ」に役に立つような知恵や情報をわかりやすくお伝えし、1000億円出してもゼッタイに買えないような生命についての知恵や洞察力を培うヒントにしていただくことです。

 またまた、ブログのあいだが空いてしまい、申し訳ありません。

 今、南インドにある、バンガロールに来ています。

 実は、ITの拠点としてインドのシリコンバレーともいわれる、このバンガロールの市の郊外に、およそ20年近いおつきあいのある私の友人のインド人が、2003年にオープンしたホリスティックなヘルケア・リトリート・センターがあります。

 広大な敷地を持つその施設に、海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」で有名なダイヤモンド・ビッグ社の専務取締役をしているF氏にたのまれて、彼の体験視察旅行の仲介役とガイド役を、私がやることになり、同行してきたわけです。

 構内に足を踏み入れただけで、自然に気持ちが落ち着き、その静かさに癒されてしまうようなところで、いいところです。

 欧米からの滞在者も多く、施設は、とても清潔で、施設の環境や空間ともに、よくデザインされています。

 ここ数年で、欧米でだんだん知られてきたようで、英国のBBC放送が取材に訪れていますし、有名なフランスの「Match Du Monde」誌が記事で取り上げているほどです。

 また、ノーベル平和賞を受賞した、南アフリカのデズモンド・ツツ大司教も、おしのびでここに滞在して静養していたことがあります。

 たまたま同じ時期にそこに滞在していた私は、朝起きて朝食をとりに食堂に行くとと、たまたま人のよさそうな黒人夫妻がぽつんと座っていたので、仲間に入れてもらって朝食をとりながらいろいろな話をしたのですが、実は、そのご夫婦こそが、ツツ大司教のご夫妻であることを知り、なんともいえぬめぐりあわせの幸運に驚いたものでした。

 英国アンドリュー王子の元妻でヨーク公爵夫人のサラ・ファーガソン夫人も、ホリスティックなヘルケアへの興味とご自身の保養のために、ここを訪れたようです。

 といって、高級すぎてかたくるしく敷居の高いかしこまった施設では決してなく、清潔で静かで、吹いてくる風がさわやかで思わずうれしくなるような環境で、とてもフレンドリーでアット・ホームな雰囲気があるところです。決してセレブのためだけの気どった施設ではありません。

 その施設の名前は、「SOUKYA」といい、ひとことでいえば、ここに滞在中に、静かで落ちついた自然環境のなかで、その人の体調に合わせて、さまざまな自然療法を行い、心身の根本的なリフレッシュと健康回復を実感してもらうリトリート型保養施設というと、わかりやすいでしょうか。

 「SOUKYA」とは、南インドの日常生活で、「ウェルネス」とか「元気」といった意味に近い言葉ですが、もともとの意味は「心と体と精神の調和した状態」という意味だそうです。

 ここは、単なるビジネス営利主体のスパー・リゾートとは一味違い、まさに、忙しい現代人の「命もうけ」になるような体験を実感できるような内容を持っています。

 ダイヤモンド・ビッグ社専務のF氏には、この施設のことは、以前より伝えてあったのですが、超多忙で行けるゆとりが、今まで全くなかったようです。

 ところが、今回は、経営者やエグゼキュティブ向けのホリスティックなヘルスケア&ヒーリング体験ツアーのようなものを将来、企画できないだろうか、という話が急に出てきて、体験視察の旅行を組むことになったわけです。

 施設では、構内で、有機農法による野菜や薬草を自家農園で栽培しており、毎日の食事は、ヘルシーな菜食志向型食事のメニューであり、その人の体調や体質、健康状態に合わせて、アーユルヴェーダ・インド伝統医学( Ayurveda )ホメオパシー( 同種療法:Homeopathy )、ナチュロパシー( 自然療法: Naturopathy )のノウハウのひとつであるハイドロセラピー( 水治療法:Hydrotherapy )を、うまくブレンドしたトリートメントを行なっています。

 心身状態の顕著な変化は、1週間滞在した頃にはっきりわかり、2週間もしくは21日間しっかり滞在してプログラムを実行すると、心身ともに、すっかり若返り、体調の不調も改善できるようです。

 ただし、病院ではないので、入院するための施設ではありません。病気になる前に未病をふせぎ、効果的に「命もうけ」をするための施設です。

 人件費の安いインドだからこそ、手間と人件費のかかる水治療法のノウハウも実践できるようで、日本で、こういうものを作るには、コストがかなりかかりそうです。

 この施設の作ったのは、ホメオパシー医である、アイザック・マタイ博士 ( Dr. Issac Mathai ) で、1989年にバンガロールで開催されたホリスティック医学&ヘルス国際会議の企画主催者であり、世界中からおよそ800人もの参加者があっただけでなく、当時、ノーベル平和賞を受賞したばかりの、チベットのダライ・ラマ法王もオープニングに参加し、大いに話題になったものでした。

 また、彼は、2003年の1月に、やはりバンガロールで、「グローバル・ホリスティック・ヘルス・サミット」という名の国際会議をプロデュースしました。

 1989年、2003年ともに、私は、日本代表のひとりとして参加し、発表もしましたが、とくに2003年は、彼の心意気を応援するべく、積極的に声をかけて、日本から医師や医学者の参加者を集め、さらに、私のグローバルなコネクションを生かし、東南アジア諸国や米国からも参加者を集め、協力したものです。

 いずれ、日本に、忙しくて、ついついご自身の「命もうけ」がおろそかになりやすい経営者のために、どこかにこういう施設が作られてもいいかな、と思っていますが、日本の場合は、さまざまな法的・経済的な問題の克服が重要な課題になりそうです。

 長年の友人のマタイ博士と久しぶりに話しをしたところ、なんとせっかちで超多忙なニューヨーク在住の実業家であるにもかかわらず、ここに来るたびに体の調子が良くなることが実感できるので、来るたびにだんだん滞在期間が延びてきてしまい、とうとう、超多忙な中、はるばるニューヨークから、飛行機でおよそ18時間かけてかけつけ、定期的に2ヶ月も滞在する人もいるそうです。

 その実業家は、きっと「命もうけ」の実践により、新鮮な心身相乗的な満足感と、その深く大切な意味を実感し、理解したのだと思います。

 騒々しいブレイン・ストーミング( Brain Storming )を、あえてしばらく休み、逆に、この施設に滞在して、十分に心と体を休ませ、むしろブレイン・カーミング( Brain Calming )を行なったところ、むしろ、逆に思いがけなく、将来、何十億円の利益を生むような、いいビジネス・アイデアがひらめいた実業家の滞在者もいたそうです。

ブレイン・ストーミング( Brain Storming )という表現に対して、ブレイン・カーミング( Brain Calming )という表現を用いて、次のように説明してくれたのは、マタイ博士です。

「例えていえば、こういう施設に滞在していても、ビジネスのアイデアを出そうと、ブレイン・ストーミングすることは、ちょうど良い土壌に良い種をまいて、やっと芽が出てくるところを、文字通り、嵐( Storm )で破壊して、台無しにしてしまうようなものです。

そうではなく、良い土壌に良い種をまいたなら、丁寧に水をやり、栄養に気を配り、芽が出た後、それがしっかりと成長するように、静かに見守るべきなのです。そうすれば、しっかり根を伸ばし、芽は丈夫に成長して、茎や葉の伸ばし、いずれは花を咲かせます。

これと同じことで、頭をやたら使って、嵐のようにアイデアを出そうとすることよりも、頭や心身を休ませて、アイデアの芽が成長していけるように静かに見守ることのほうが大切なのです。」
 


なるほど、腑に落ちるところがありますね。


 積極的に心身をほどよく調整し、未病のうちに治してしまうような、クリエイティブでポジティブな心身の休息の時間を、あえて取ること。

 忙しく責任の重い経営者であるからこそ、命を太く、長く、のびのびと楽しむ「命もうけ」の知恵を実践できる環境空間に、しばしば定期的に身をおき、内なる生命の知恵と力を熟成・発酵させておくことが。むしろ必要となってくるのではないでしょうか?

  これも、いわば「急がば、まわれ」の知恵ですね。


 「命もうけ」の実践は「命の洗濯」に似ていて、まさしく将来の自らの「命の選択」すなわち、「命の使い方」と「命の終わり方」の方向性と意味をはっきりと決定づけるほどの大きな「利息」を生んでくるものになる、と私は思っています。

  
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2005年04月03日

100億円×0=0

● さて、日本で若手の実践的なマーケティング指導の第一人者で、自身も起業家としてたいへんな成功を収めている神田昌典氏が日本に紹介した、ロバート・アレンという米国で億万長者づくりで有名な講演家は、起業、株式投資、不動産売買、ライセンス収入などの、複数の収入源を確立することの重要性を説いています。たとえ、そういう複数の収入源を得て、数100億円の資産を築いたとしても、もし、自らの健康を損ない、病気に倒れ、命を落とすならば、たとえ、100億円持っていたとしても、100億円×0=0。100億円せっかく苦心して儲けたにせよ、死んでしまえば、本人が、あの世で使うべく、棺おけの中に入れて持っていくわけにもいきません。


● つまり、本人が死ねば、すべての蓄積は、掛け算しても、結局ゼロにしかならない、という、誰にでもあてはまる、きわめてきびしい現実があるわけです。この点をはっきり洞察して指摘しているロバート・アレン氏は、たいしたものだと思います。ロバート・アレン氏自身、2004年に自動車事故で瀕死の重傷に遭い、ますます、今、生きていられる自分のありがたさを身にしみて感じたそうです。

● このような事実は、まだ年若く、バリバリ無理して働いてもなんとかなり、ちょうど波に乗っている時期で、健康のことなど気にもとめないような元気な事業家や経営者には、なかなか理解できないことでしょう。

● だからこそ、一大盲点になのです。

● 大病してからでは、なんとかしようにも、なんともならず、すでに遅すぎるケースがあまりにも多いのですから。私は、そのようなケースを実際にいくつも目にしてきました。

● 事業家として優れ、経営能力のすばらしく、人望もあり、皆から慕われていたような人が、志半ばにして、急に病に倒れ、亡くなる――これほど、周りの人間や家族にとってつらく、また、大きな損失はないでしょう。

● しかし、ちょっとした健康管理の知恵をふだんから養っておくことで、多くの場合、「未病を治す」という言葉どおり、大火事になるまえの、ボヤの段階で、的確な対処や問題可決が可能なケースが多い。

● まさに、備えあれば、憂いなし、です。

● 命は、決して買い戻せませんがいまある命を養い、もうけることはできます。また、「命もうけ」の知恵は、文字どおり、いざというとき自分の命と家族の命を救い、助ける、貴重なコンパスになりうると思います。

● とはいえ、人間という非常にわがままな動物は、あれこれ健康に良くないことばかり、やりたがるのもので、それも人間の業であり、性でしょうね。

● このような、誰にもある、わがままで自分勝手すぎる人間の特性を、ときになだめながら、また、へんに神経質な「健康おたく」になることもないように、生きた生命へのヘルスケアの知恵を養っていただくためのヒントを、あれこれ日常的なエピソード交えながらときどき、脱線もしながら書いていこうと思います。

● 書きたいことを自由に書きます。そうでないと、本当に役に立つようなこともかえって書きづらくなってしまい、ものぐさな私には面倒くさくなってきてしまうでしょうから。

● 命をもうける知恵のヒントをつかみ生かすことによって、なにより得をするのは、読者の皆さんとご家族の、やりなおしのきかない命です。ゼッタイお金で買えない生命の知恵や「命もうけ」の知恵を中心に、自在に肩に力をいれずに、眼からウロコの健康管理の知恵をお伝えしていく試みは、書き手として、何かわくわくするほどうれしい機会であり、また、それができることを誇りに思っています。日本だけでなく、世界にも心と足をのばし、単なる健康管理のお話にとどまることなく、人間模様や現場の国際事情にもふれながら、内なる生命の知恵の旅をしてまいりましょう。




                             
  
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