2011年04月12日

心洗われるようなメッセージと歌5

ある友人のfacebookのおかげで、チェルノブイリ原発事故の現場から3.5kmという近距離で、6歳のときに被曝したウクライナの女性ナターシャ・グジーさんのメッセージと歌を、Youtubeで見つけました。


実際の原発事故を体験した者が語る言葉の重み。


そして、彼女が祈るように、心をこめて歌う「千と千尋の神隠し」の主題歌、「いつも何度でも」。


聞いていて、ただ涙があふれてきました。


こんなに奥深い意味のある歌詞とは、あらためて驚かされました。


これはチェルノブイリとヒロシマをテーマにして、広島の原爆記念日、おそらくは2008年8月6日に放映されたTV番組のようです。


あたかも、まるで今回の原発事故に向けたようなメッセージの内容であり、不安や恐怖におののく福島の避難者の方々をなぐさめ、勇気づけるような歌みたいに聞こえてきます。


皆さんも、是非、ご覧ください。






  

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2011年01月26日

この事実にはえらく感動してしまいました

偶然、この動画をYouTubeで見つけました。

見ていて、何か心が洗われる思いがしました。

ただただ唖然として驚き、感動し、泣けてきてしまいました。

人間の持つ可能性とは、実にすごいものですね。

ここまでできるものなのか。

「自分だって、やればできる」と信じて、行動し続けることが、現実にどれだけすごいことを成し遂げるのか、ということのいい例だと思います。

でも、その背後にある、すさまじいまでの努力。

また、あたりまえの普通の子供として育てたお母様がえらいし、すごい。

私も大いに励まされ、めげそうなときにも立ち向かう勇気が湧いてきました。

ありがとう。

本当に人間って、不可能だとあきらめなければ、すごいことができてしまうのですね。

何かBBCの事件に怒ったあと、胸がすーっとしました。


  
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2011年01月25日

問題のBBC放映番組の「日本語字幕つき動画」を見つけたのでアップしました

私は、今回は、どうしても書かずには入られない衝動に突き動かされて、昨晩は、徹夜でブログを書きました。

動画をアップしても、英国人の癖のある英語は、英語がわかる人でも聞き取りにくいことがあります。

多くの日本人は、本当のところのニュアンスが言葉の会話からたしかめられなくて、もどかしく思われていたことでしょう。

とても幸いなことに、丁寧にかなり正確に、YouTubeの動画に字幕を付けてアップしてくれた方がいたようで、これは多くの日本人が言葉のニュアンスを理解できるため、たいへんありがたいもので、わざわざそうしてくださった方に心から感謝いたします。

こういうときにネットでさりげなく、皆さんお助けになってくださる方がいることはとてもうれしいものですね。

その字幕付き動画をアップしておきますので、どうぞ会話の意味がよくわからなかった多くの方々にご覧いただきたいと思います。




  
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2011年01月24日

緊急告知−BBCという英国の公共放送で堂々と放映された信じられないようなTV番組

歴史と格式のある世界的に有名なBBCという英国の公共放送で信じられないようなTV番組が放映されました。

これを知って、TV番組の内容を見て、たしかめた私はショックを受けました。

BBCは世界的に有名な英国の公共放送であり、ちょうど日本でいうNHKにあたります。

今までに、数々の優良番組を制作してきており、とくに科学と教育に関する立体的で興味深いTV番組の数々には、いつも私は感動し、敬服すらしていたものでした。

ところが、たまたま開いたYahoo! ニュースで、BBCがTV番組で、被爆者を笑いものにした、というような記事があったので、まさか!と思い、YouTubeでチェックしてみました。

NHKのBS1での報道は、押さえ気味、控えめに、フジテレビの報道は、かなり長くBBCの問題のTV番組そのものを放映し、紹介していました。

番組の様子を見てみて、これは、かなり悪質で、面白半分に、原爆の実際の被爆者が名指しで特定された上で、故意にお笑い番組のブラック・ジョークに利用されている事実を知り、どうしようもない憤りをおぼえました。

英国(とくにイングランド)という国は、プライド高く、紳士的な国のように見えますが、階級社会のせいもあってか、裏の面では、へんに神経質で偏屈で、実に陰湿に皮肉っぽいところがあり、そういうシニカルなブラックユーモアが好きな国でもあります。

そういう英国人のネガティブな部分をおもしろおかしく風刺して誇張し、コメディにして、世界的に大ヒットしたのが、「ミスター・ビーン」ともいえます。

英国人の、へんに神経質で皮肉っぽい気質を、ロンドンに滞在した折に何度も実体験している私は、なんで「ミスター・ビーン」が世界的に大受けするのか、よくわかったような気がしたものです。英国人たちにとっては、自分たちのネガティブな気質を見事に表現している自嘲的なブラックユーモアであり、他の海外の人たちには、「ミスター・ビーン」の世界に、そのいやらしいくらいの英国人気質が非常に上手に誇張して描けているがために、よーくわかる、わかると、共感を持って笑いこげるわけです。ですから、私は、そういう「ミスター・ビーン」的笑いのファンでもあります。

ですが、今回、BBC制作の、人気のあるらしいTVコメディ・クイズ番組で、実際に行なわれたことは、ブラック・ジョークのレベルどころではありません。

例えて言えば、アウシュビッツでのユダヤ人虐殺を正当化して、その悲惨な犠牲者を、笑いの種にして、聴衆の受けをねらうような、実に下劣で、卑劣で、下品極まりない、ゼッタイに人間がここまで落ちてしまってはならないような愚劣な内容でした。

ユダヤ人なら、すぐに強い抗議行動をとり、強力な圧力を放送局にかけてきて、国際的な制裁を求めてくるでしょう。

実際、大量虐殺はなかった、というような記事を載せた日本の雑誌が、国際的なユダヤ人人権団体から強い抗議と圧力をかけられ、ただちに廃刊に追い込まれたケースが実際にありましたね。

YouTubeに投稿されていた動画へのコメントで、とくにNHK BS1の報道が早かったので、すぐに英語で、抗議のコメントを書いたところ、英語を使う外国人あたりから、日本人は英語力がないから、イギリス人のユーモアを理解できず、誤解している、これは被爆者を笑いにしているのではなく、二重被爆の彼の例をむしろたたえて、英国の鉄道会社のだらしなさを皮肉っているものだ、などというコメントもありましたが、私は英語がかなりわかるので、BBCでの放送番組を丸ごと全体を何度も見ましたが、二重被爆をして昨年亡くなられた山口さんをくりかえし肴にして、実にシニカルな笑いの種に使っている事実は揺るがすことのできない証拠(エビデンス)と断言できるものでした。



私は、これは明白な被爆者への侮辱であり、日本の被爆者のみならず、世界中にいる放射能被爆者への侮辱であり、いや、歴史上こういう悲惨な体験を強いられた被爆者全員と日本人全体に対しての完全な侮辱であると感じざるを得ませんでした。

また、国民の医療を無料で行なう英国は、むしろ福祉に対しては米国とはちがう見識がある国で、身障者に対しての公共では、かなり配慮をしている国でもあります。

ということは、この低俗で悪質なお笑い番組を制作したり、それを見て笑っている英国人ばかりが、大多数の英国人ではないはずです。

それならば、同時に、むしろ良識のある善良な英国民のイメージを国際的に著しく落とし、結果として英国民をはずかしめるような番組になってしまっているのではないでしょうか?

私が英国人ならば、英国人の誇りと品格を著しく損ねた罰として、番組責任者と司会者と参加者を、全員、銃殺したくなりますが。英国人の許しがたき恥ですから。


私は、即座に、BBCのホームページの苦情を受け付ける窓口から、きちんと自分名前を名乗った上で英文で明確な抗議文をBBCに送り、謝罪などでは手ぬるいので、番組担当プロデューサー・デイレクターと番組出演者からの謝罪、および、彼ら全員の解雇を求め、かつ国の公共放送が行なったことで、被爆者の名誉と人権を著しく損ねた日本と日本人全体を侮辱した内容なので、英国政府からの直接の謝罪を求めました。これくらい要求しないから、日本人はなめられるのです。

アングロサクソンという白人は、歴史上、多くの国を侵略し、植民地にし、人を奴隷化して、自分たちはうまい汁を吸ってきて、それを正当化する人たちですから、非常にしたたかでずるいくらいに小利口な連中です。

ですから、すぐに、自動返信システムで、あらかじめ用意されているらしい、単なる自分たちが責任をかぶってクビにならないように、ソツなくいいわけしただけの内容の文面を担当プロデューサーの名前で送ってきました。(ここらへんは、ただ無視して知らん顔してごまかす日本よりも上手です。)

おそらく日本のマスコミ宛に出したものと内容は同じだろうと思います。

日本のマスコミは、いっせいにBBCが謝罪、と書きましたが、真っ赤なウソです。これは明白に謝罪などではなく、単なる自分たちが責任をかぶらない保身のための巧妙ないいわけと自己正当化のための釈明にしかすぎないことを私は、はっきりと読み取りました。

この文を「謝罪」と報道する日本のマスコミの頭の悪さには、驚かされます。もしかすると、事なかれ主義の外務省あたりから、一応、謝罪のようなかたちで返答を得たのだから、そう解釈し、穏便に処置しろ、というお達しでもあったかのようです。

というのは、BBCの番組内容をそのままかなり長く引用してインターネット上の報道をしていたフジテレビ系のニュースが、急にすでに報道したその番組を編集しなおしてきている様子があり、わざとそのBBCの番組で放送された内容があまりわからぬように加工したような処置をしてきたからです。BBCとの取引や関係を重んじて、会社幹部がニュース編集担当に圧力をかけたのかもしれませんね。実際、日本を売り渡す売国奴は、日本の側にいるのかもしれません。

私は、海外には国際会議などで、ここ20年間でおよそ900回以上世界を飛び回って、いろいろな人種の方々と実際につきあってきた人間なので、世界の中で、とくに欧米人らに、いかにはっきりものを言わないあいまいな日本人がなめられているか、よく知っています。そういう連中にやたら媚を売る日本人もいます。

今回の問題は、前原外相や菅首相が、自ら国際的な外交上支障をきたすような大問題として取り上げて、BBCと英国政府に、直接、抗議をして、在住の英国大使を呼び出し、英国政府とBBC責任者の、自分たちの責任を全面的に認める「無条件な謝罪」を強く要求し、番組出演者と責任者全員の「解雇」をはっきり要求すべきでしょう。それくらいできないならば、いつまでたっても日本は腰抜け外交です。とくに欧米人は、くどいくらい言語化して、ハッキリ主張しないと、全然わからないし、わかろうともしない連中なのです。

この問題は、日本人が世界から、これ以上なめられないためにも、断固として国際問題化するべきでしょう。被爆者を特定してブラックジョークの笑いのネタにするなど国際的な人権問題としても許されないことです。

あんな適当ないい訳の文章を「謝罪」と報道するほど、英語力のない間抜けな日本のマスコミではゼッタイあかん、と思います。

証拠に、私のちゃんと名前を付けて書いた論理的な抗議文に対して、すぐに自動返信システムでこちらに送ってきた、事が深刻化してきたときのために、あらかじめ自分たちの責任のがれに巧妙に用意されていたような文面を公開しておきます。皆さんも、インターネットでの翻訳機能を使うなりして英語をチェックしてみてください。

自分たちの責任で制作したくせに、人ごとのように、今回のようなことになってしまい、たいへん残念だ、とか他人事のように書いてきています。

被爆者をあえて特定して、原爆という人類の悲劇を、平気で下劣なお笑いの種に使ってしまったことに対する反省など、一行も書いてないのです。


これは、責任問題になったときに、責任をかぶらないよう上手にごまかそうとする欧米人の典型的な常套手段ですので、覚えておいてください。したたかな連中に対しては、お人よしなだけの対応をしていては、ますます日本と日本人を甘くみられるだけです。

これは、改めて、このグローバルな国際社会で、BBCに制裁を与えるくらいな気持ちで、断固として日本人は妥協しないことが必要です。

むしろ心ある英国民を味方にしていくくらいの気持ちで、「人間の尊厳」の国際的な大問題として、堂々と英国政府とBBCに妥協なく、対処すべきです。


その方が、内容が正しく的を得ていれば、個人主義の欧米社会では、かえって評価されるものなのです。

今こそ、日本人は、弱者を笑いものにして、本音では何も反省もしていないBBC側と英国政府に対して、日本人をなめるのもいい加減にしろ、とはっきり発言し、妥協のない態度で示すべきなのです。

BBC側は今後の参考にするとだけいっているだけで、反省などまったくしていません。被爆者に対しての誠意などまったくありません。その証拠に、直接BBCのホームページから、問題の番組をたしかめようとすると、日本からアクセスすると、すでに日本人の感情をこれ以上逆なでしないようにと、すでに視聴できなくなっていますが、UK内では、まだ、人気のお笑い番組の過去の放映分として今でも平気で視聴できます。だから、かえってその証拠を事実としてたしかめることができた、というものです。

このブログでは、日本で放映された、比較的わかりやすく、あまりカットしないで放映しているニュース(Youtube)と、BBCから直接の動画映像をゆるがせない証拠として、このブログに紹介しておきます。(このブログを書いた後、日本人たちの抗議によって、BBCは、とうとう今まで公開されていたその動画を閉じたようです。それまでは野放し状態で公開されていました。1/26/2011 追記)



とくに、番組の背景に、いまわしい原爆のきのこ雲を両脇に飾って、その真ん中に実際の被爆者である山口さんの顔写真を飾るなど、とんでもない許しがたい人間として許せない侮辱行為を英国の公共放送はやっていて平気でいるわけです!

心ある日本の皆さん、こういうときに、だまっているのは、もうますますグローバル化していく社会では通用しませんから、はっきりよくないことは、よくない、と堂々と世界に向けて、日本と日本人の誇りにかけて明確に主張していきましょう。


最後に、このBBCのTV番組の制作担当プロデューサーとディレクター、さらに番組の司会者と参加者全員の名前と担当プロデューサーからの自動返信によるいい訳文面を、彼らに責任逃れをさせないためにも、はっきりとここに公開しておきます。

なぜなら、これは、彼らの故意による、日本人全体に対する、きわめて悪質な侮辱ですから、日本人と心ある多くの英国人の名誉回復のためにも、彼らの「永久解雇」を求めて、ここに実名を公開しておきます。

BBCの件、英国の出演者、責任者の名前は以下のとおりです。

Presenter  Stephen Fry ( 司会者 )
Participant Alan Davies
Participant Bill Bailey
Participant Rich Hall
Participant Rob Brydon
Director   Ian Lorimer  ( 番組担当ディレクター )
Producer  Piers Fletcher ( 番組担当 プロデューサー )
Producer  John Lloyd.  ( 同 プロデューサー )


また、BBC側から来た、謝罪文ではまったくない、巧みないいわけ文の実際の英文内容は以下の通りです。参考にしてみてください。むしろ、山口さんという稀有な驚くべき存在を知らしめるために、などというニュアンスでご機嫌をとろうとしてきていますが、なんでそれなら、あのような故意の悪意ある笑いのネタに特定したのか、といってやりたくなります。日本人が英語わからないと思ってなめるなよ、です。

なお、最後に、FNNのインターネットニュースで、まずBBCに直接、抗議し、これは国としても抗議すべきだ、と勇気ある進言を日本大使館にした、在英日本人にインタビューした動画を見つけましたので、どうぞクリックしてご覧になってください。

彼らは、非常に冷静に正しく状況を観察しており、イギリス流なブラックジョークで悪意はないにせよ、原爆という人類の悲劇をネタにお笑いにするにはおかしいし、その悲惨さにまったく触れないままで安易に取り扱ってすませたことは許しがたく、大いに失望した、と実に正論を述べていました。

ああ、海外で、日本人の誇りを失わないで、がんばっている日本人がいるんだなあ、と目頭が熱くなりました。こういう人たちこそ、本当のサムライです。感動してしまいました。彼らこそ蔭のヒーローです。日本と日本人への不当な辱めに対し、断固ノー!と訴えたのですから。

勇気ある在英の日本人の彼らに強く指摘されなければ、ふだんはただ新聞の切抜きばかりをしているだけともいわれている日本大使館や外務省は、まさに自分たちからは知っていても自発的に何もしようとしなかったわけで、まさに腰抜けですね。すべてに判断・行動が遅すぎますし、その情報感覚の鈍さと、なんとかあいまいに無難におさめようと画策しがちな、事なかれ主義の役人根性ときたら、日本人としてただ恥ずかしく思う限りです。ですが、今回は重い腰をあげて、約1ヶ月遅れで、日本大使館としてBBCに正式に抗議したことは評価します。番組が放映されたのは昨年12月中旬ですから、このインターネットの時代にあまりに反応が遅すぎますけどね。


Thanks for contacting us. Below is a response to your concerns from the producer of ‘QI’.

‘Thank you for taking the trouble to write to us about the recent edition of QI which dealt with the remarkable story of Tsutomu Yamaguchi, to which I am responding in my capacity as Producer of the programme.

I should say from the outset that we greatly regret it when we cause offence, and that it is never our intention to do so. QI is not a programme which habitually mocks its subject-matter; on the contrary, we try to recognise and celebrate less well-known people, events and ideas. On this occasion we pointed out
the very striking nature of Mr Yamaguchi’s experience by relating, without distortion, a story which had been covered extensively in the Japanese media and about which Mr Yamaguchi himself spoke quite openly. We then went on to sincerely admire the resilience of the Japanese in the circumstances of the time (in the context of how the trains continued to run in the aftermath of the bombing).

It has been suggested to us that we would not have run an item of this kind about the European or American experience of the Second World War. For the record, I would point out that we do in fact run such pieces quite regularly.

However: having said all this, it is apparent to me that I underestimated the potential sensitivity of this issue to Japanese viewers. It isn’t hard to see that they might well regard this topic as altogether unsuitable for inclusion in a light-hearted television programme however sensitively it was handled.I thank you for making us aware of the issue, and for the courteous terms in which you did so; please rest assured that I do recognise your concerns and will certainly take them into account in future.


Yours sincerely

Piers Fletcher
Producer, QI’

Thanks again for taking the time to contact us.

NB This is sent from an outgoing account only which is not monitored. You cannot reply to this email address but if necessary please contact us via our webform quoting any case number we provided

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2011年01月01日

2011年、新年あけましておめでとうございます!未来への統合医療ホスピタル・ビジョンについて

皆さん、あけましておめでとうございます!

そして、皆さん、たいへん申し訳ありませんでした。

2009年は一度もブログを更新いたしませんでした。中には、いつも楽しみにしてくださっていた方も、少なからず、いてくださったようで、そういう方々に心から感謝するとともに、1年間書かなかったことを深くおわびいたします。

また、再び書き出しますので、どうぞ、ご期待ください。

以下は、今年の年賀状に盛り込んだ、未来の統合医療ホスピタル・ビジョンについて凝縮して書いた入魂の文章を中心にブログ向けに編集しなおしたものです。

このビジョンをはっきり誰にもわかる、納得できるコンセプトとして、実にシンプルにまとめることに、2年の海外の先端ホスピタルを取材し、アイデアとビジョンをあたためておりました。

2009年の11月に、東京大学安田講堂で記念すべき日本統合医療学会の大会が行われました。

引き続き昨年2010年の3月には、海外より演者を招いて、アジア国際統合医療学会が東京大学小柴講堂で開催されました。

このことは、早くより1983年ごろから東西医学を統合するような全人的医療(ホリスティック・メディスン)の必要性と可能性を感じていた私としては、なんとも感無量の思いがありました。

東大で統合医療学会の大会を行うなど、20年前は想像もできなかったことです。1989年に東京医科大学付属病院臨床講堂で、ホリスティック医学シンポジウム'89を開催できたことだけでも、当時は奇跡のように感じていましたから。

ここ数年、大学病院や大学医学部などでの方針を示す言葉にも「全人的医療」という表現が目立ってまいりましたが、これも20年前にはなかったことです。

時代にゆっくりと認知されつつあることはたしかなようです。

ここ2年ほど、私は、世界の先端をいくホスピタルの環境空間というものに強い関心を持ち、それに関する海外での国際会議に毎年参加し、だんだんとはっきり見えてきたビジョンがあります。

それは、何よりも、「ホスピタル」とは、そもそも弱っている人間が元気を回復していく場であり、本来は、何より患者さんがHappyになるための場のはずだ、ということです。

また、医師や看護師が忙しすぎて、過労で心にゆとりがないのに、患者さんの前では笑顔でいようとすることにも、やはり無理があります。

患者さんを応援し、サポートする医療者たちも、患者さんの回復をともによろこび、Happyになれる場。

患者さんが、ぐっすり眠れ、安心して休息でき、Happyになれる場。

病院では患者さんは安眠できないので、病院に長くいると休息できず、病気はかえって悪化する、という認識は、医師たちが本音レベルで常識としてそう思っているというのが事実のようです。)

患者さんと医療者が協力して、いっしょに健康上の問題解決に取り組み、ともにHappyな気分を分かち合えるような場。

そこにいるだけで、しだいに元気が出てくるようなホスピタルの環境づくり。

そういうホスピタルこそが、今日、患者さんにも医療者にも、切実に求められているのではないでしょうか?

まことに残念ながら、こういう発想が、今までの日本の「病院」には全然なかったように思われます。

病院は、「病気の工場」ではありません。また「病人の監獄」でも「病人の収容所」でもないはずです。

でも、そういう重苦しいネガティブなイメージがついてまわりますね、病院には。

だいたい「病院」という言葉がいけません。まるで、よくなるどころか、「病の館」みたいな名称じゃないですか。

今日の医療のほとんどが、まるでクスリ屋の利益に都合の良いように計画され、デザインされているかのようです。

厚生省も、病院も、医者も、医大での医学教育も、あたかも巨大な製薬会社のビジネスの利益になるのに都合がいいように、ほとんど洗脳されてしまっているかのようです。

世界的に見ても、大切な人の命を守るための医療が、ほとんどクスリ屋の都合に合うような発想ばかりで、がんじがらめになっているではないでしょうか。

だから、「ホスピタル」という環境空間のコンセプトとデザインには「本質的な意識革命」が必要なのだと思います。

世界では、すでにエコロジカルなホスピタルを象徴する「Green Hospital」(グリーン・ホスピタル) のコンセプトが注目されてきており、エコで、省エネ、無公害、さらには、クリーンエネルギーを駆使したゼロ・エミッションのホスピタルを目標にするビジョンまでが、すでに登場してきています。

いずれ感性豊かな日本にこそ、そういう知恵を結実させた本物のホリスティックな統合医療ホスピタルが実現し、それをモデルとして世界に堂々と示したいものです

本年もさらなるご支援をよろしくお願いするとともに、皆様とご家族の一日一日が、健康に恵まれ、笑顔と充実した幸福感にあふれたものでありますよう、心からお祈りしております。


  
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2009年06月25日

タイの厚生省、新型インフルエンザに関して、WHOに意見

つい最近のことですが、タイの厚生省が、WHO(世界保健機関)の新型インフルエンザに対する姿勢に、とうとう意見するようです。

WHOが、まるでむやみに世界の人々の不安や恐怖をかきたて、人々に精神的なパニックをひきおこすような、新型インフルエンザに関する発表をするので、タイの厚生省は、むやみに人々の不安を掻き立てるような伝達のしかたを、もっと考慮して行なってほしいし、パンデミックの定義も、再検討する必要があり、病気による死者の数などをもっと考慮したものにしてほしい、と、意見を述べるようです。

タイの厚生省、なかなかいい正論をいうつもりですね。

本当は、日本あたりが、こういう世界に対するリーダシップをとり、バランサー役をするべきなのですが、なさけないことです。

これくらいのことは、相手がWHOだろうが、世界中から言うべきだと思います。

実際、3月すでにあったらしい総会では、世界各国からWHOの発表姿勢に対して抗議にも似た意見が多数あったようです。



となると、うれしくなって、ついタイ厚生省をほめてしまいましたが、あの国は、まわりの状況に合せてイエスとノーを使い分ける顔があるので、単に他国の動きを見ていて、自分たちも、その状況の流れに遅れをとって国内から批判を浴びないように、あわてて、他の国の意見に便乗して、そうするだけなのかもしれませんが。

けっこうタイという国は、まわりの顔色を見て、かなり日和見的な行動をとる傾向が強い国ですからね。

でも、この前のブログで、私が単にでたらめをいっているわけではないことが、おわかりいただいたいたのではないでしょうか?

皆さん、よく物事を見て、自分の頭でよく考えて、あえて勇気を持って、どんなにもっともらしい権威であっても、「王様は裸だ」といえる気概を持ちましょう。

たとえ国連機関であってもです。

国際的な情報操作かもしれないパニック報道に惑わされないように!

Be a Good Thinker !

かしこく考え、かしこく自分たちの身を守りましょう。


  
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2009年05月05日

皮肉と嘲笑で彼女をあざ笑っていた英国人たちの度肝を抜いた、スコットランド人女性

インターネットでのニュース記事で、たまたま4月に海外にいた私が眼にした記事がありました。

写真を見ると、正直言って申し訳ないのですが、ブサイクなおばさんの顔写真があり、そのあまりに眉毛が濃いので、男の人が性転換でも女性になったのかと思ったほどでした。

さて、YouTubeでも、たいへん話題になっていたようで、たくさん動画で紹介されていましたので、さっそく見てみました。

Britain's Got Talent−まだ知られざる英国の才ある人物をオーディションで発掘しようというTV番組で、非常に人気があるようです。

今回の公開オーディションの場所は、スコットランドのグラスゴー。

ここで、皆さん、英国といって、イギリスだけを思い浮かべるようではいけません。イギリス、スコットランド、ウェイルズ、アイルランドを総称して、Great Britan と呼ぶわけで、たとえば、イギリス人と、スコットランド人は、気質も性格もかなりちがうようです。

イギリス人のイメージは、やや陰湿で、神経質で皮肉っぽい気取ったイメージがあり、それらしいイギリス人の特徴は、Mr. Bean ( ミスター・ビーン)という世界的に有名なコメディTV番組に、まさに十分に「誇張」されてユーモラスに表現されています。

いかにもイギリス人らしいいやらしさを誇大化して強調しているので、イギリス人を知る人みなに思い当たるところや実感できるところが多く、人気を呼んでいるようです。

神経質で皮肉屋なイギリス人に比べて、一方、スコットランド人は、頑固一徹。

実は、スコットランド人とイギリス人は、あまり仲がよくありません。

街中で、地図を見ながら道に迷っているようなら、スコットランド人なら、すぐに親切に声をかけて、手助けしてあげるが、イギリス人を見てみろ、ロンドンあたりで、道に迷っている人がいても、誰も声をかけてあげる親切なイギリス人など見たことがない。われわれ、スコットランド人は、そういう冷たいイギリス人とは全然ちがうのだ、などという話は、よくスコットランド人から聞かされたものです。とにかく気質がちがうようです。

さて、話を元に戻します。

その新たな才能発掘の公開オーディションに、すでに47歳のブサイクなスコットランド人のおばさんが登場し、皮肉交じりの審査員の質問に、プロの歌手になりたい、目標はエレーン・ペイジ、などと答えたものだから、審査員は、内心、「何をいってるんだろうねえ、このおばさんは。その顔と年齢じゃ、無理に決まっているでしょ。ちょっとおかしいんじゃないの。どうせ聞いても意味がないと思うけどね。一応は聞くけどね。ひどかったら、すぐに帰ってもらいたいねぇ。」というノリと態度でしたね。

私ですら、なんだろ、このおばさんは、という感じで、見ていましたからね。

会場に集まった聴衆も、まず全員が、このブサイクなおばさんをばかにして、あざわらっているような雰囲気でした。

選択した歌の曲名は、ミュージカルでも有名な「レ・ミゼラブル」から「I Dreamed A Dream.」(「私は、夢を生きた」)。人生でひたむきに自分の夢を生きようとし、その挫折にあっても、そのことにあえて真正面から向き合って歌う、重い、むずかしい曲です。

それなりの教養の深みと人生経験がないと、歌いこなせないような深みと重みのある曲です。

ちょっとでも、へたに歌ったら、それこそ伝統的な教養を誇りにするイギリス人、ときにインテリたちからは、いっぺんに嘲笑されることでしょう。

ところが、彼女が歌いだしたら、審査員と会場の人たちの表情が、一瞬にして、驚きに変わります。

唖然として、声を失う、とは、このようなことをいうのでしょう。

あまりに意外すぎて、あっけにとられてしまうほど、見事に、そのむずかしい人生の重みあるその曲を、まさに「表現」として、歌いきってしまったのです。

私も、最初は、ぽかんとしてしまったのですが、だんだんむやみに感動してきて、最後の盛り上がりでは、涙が出てきてしまいました。

彼女をこばかにしていた審査員と聴衆全員を、一瞬にしてノックアウトしてしまったのです。

私も、人を見かけで判断してはいけない、と大いに反省しました。

しかし、これだけの大勢の好意的でない聴衆を前にしながら、聴衆の大歓声の反応にも自分を失わず、ただただ自分の歌を見事に歌いきった彼女はすごい!脱帽です。お見事としかいいようがありません。

彼女の名前は、スーザン・ボイル。スコットランドの田舎町に住んでいるのだそうです。

顕著に皮肉交じりでこばかにしていた審査員が、思わず、反省のコメントを述べて、「あなたの歌を聞けて、とても光栄でした」と言ってしまうほど、彼女は、皆の思惑を根本からひっくりかえしてしまったのです。

バカにしていた聴衆も、総立ちになって拍手を彼女に送ります。


「おまえなんか、どうせ、だめだよ。無理に決まってるよ。」

こういう思惑を、現実にひっくりかえして、相手が、全面降参するくらいの結果を、目の前に突きつけてやることほど愉快で、痛快なことはありませんね。

私も、見ていて感動し、気分がすがすがしくなってしまいました。


YouTubeを見ていない人は、日本語訳のつけたものを見つけましたから、見てみてくださいね。

英国の番組は、YouTubeの動画を、そのままこちらのブログなどのサイトに埋め込むことができない(英国とGoogleとの著作権に関する同意事項による)ので、ここをクリックして、YouTube画面から、直接ご覧ください。

でも、ここで、やり手のプロデューサーである、辛口の批判をズバズバいうサイモンという審査員のひとりは、どうも事前調査で、このような展開をうすうす予想し、計画していたようでもあります。

こういうオーディションは、いきなり本番というわけではないでしょうし、予備審査というものもありましょうから、あまりにも意外なドラマチックなケースに対する人々の反響を予想、期待して、彼がマーケティング戦略をはかっていたような部分もあります。

というのは、この番組の直後、よく編集された番組内容が、全世界にYouTubeなどを通して、いっせいに公開され、実に短期間に知らされた事実であり、あまりに手際がよすぎるからです。

ねらいはあたって、すぐに公開された番組のYouTubeの動画は、あっというまに数百万のアクセスとなり、一大事件となります。

サイモンは、すぐに、このドラマチックなデビューをした彼女のCDは全世界で数百万枚売れると、読んでいたようです。

このような表に出ないマーケティングの仕掛け人が存在するのが世の中なのだということも見抜いてくださいね。

しかしながら、自分が長年、純粋に夢見ていたことがかなった彼女の顔を、その後、くりかえし、くりかえしYouTubeで見ていたら、最初は、男性が無理に性転換した人かと思うほどだった彼女の顔が、もはやブサイクなイメージではなく、ある種の人間的なかわいらしさを感じるくらいに印象が変わってしまったのには、人間心理というものの変わりやすさを感じました。

純粋に感動すると、実は陰に売り込みの仕掛け人がいた、というと、いやな印象を受けますが、現実には、そういう人がいないと広まらないのも現実であり、彼女自身が何か、画策したわけではないので、私は、素直によろこぶことにしました。

しかし、皆さん、皆さんも、彼女のように、自分の人生で、自分をこばかにしてくる連中がいたなら、そういう連中のハナをあかしてやることを生きがいにしたいものですね。

だって、痛快で、愉快で、気分がすっきりするじゃないですか。


  
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2009年04月30日

タイの伝説的な外科医セン博士は、今年99歳

タイ国の厚生大臣を、過去に10年もの間つとめたことのある外科医、セン博士は、ことしの5月で、もう99歳になります。

それほどのご高齢なのに、全然、頭は衰えておらず、私が出した手紙の内容など、ちゃんと覚えているのですから、おそれいるどころか驚嘆してしまいます。

セン先生のことは、以前にも、すでにブログや、新刊の本で紹介しましたが、セン先生は、かつて厚生大臣の時代に、無医村ばかりで医療がいきわたっていない当時のタイ国の実情を知り、それをなんとかしようと、病床のある病院を、タイ全国におよそ600ほどつくり、また、病気の予防のため、タイ国民の公衆衛生指導にも力を入れ、タイ公衆衛生の父といわれている方です。

そのような現実の重大な仕事をいくつも成し遂げたばかりでなく、何よりも、その人間性の大きさに、私は、人間としてほれ込んでしまいました。

稀有なご縁で親しくおつきあいさせていただくようになり、今では、先生のご自宅を訪問するたびに「This is your home.」といってくださることは、何よりも幸せなことと思っております。

ご自宅で会食をするたびに、謙虚な仏教精神を持ちながらも、その精神のスケールのでかさと私心のなさには、いつもあらためて驚かされます。

そして、世の中のことであれこれ心が迷いやすい己の身を省みて、心が洗われ、また自分が本来のマットウな道に立ち戻らせてもらえたような気持ちになります。

自分が現在、心の底からメンターとして慕う先生です。

ある意味で、迷ったときに決断する際に、自分の心の支えとなっているような先生です。

足が、以前よりだいぶ弱られましたが、タイでは、9とか99は、ラッキーナンバーとされていますので、ますますお元気で、100歳を超えてまで、できる限り、お元気で生きていていいただきたい、と、心から願っています。
  
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2009年03月30日

世界150カ国から患者さんが集まってくる、国際的な5スターホスピタル

タイの首都バンコクのど真ん中に、ブンルンラッド病院という私立の病院がある。

ここには、その評判を聞きつけて、世界150カ国から患者さんが集まってくる

なぜかといえば、5スターの病院といわれるほど、ホテル並みの行き届いたメディカル・ケアや医療サービスが受けられるからである。

米国の医療機関でトレーニングを受けてきた腕の立つ優秀な医師たちの存在もさることながら、一流の医療設備を誇りながら、とても親切で、あたたかみのあるスタッフの対応が、高い評判となっているようなのだ。


ホスピタリティのある医療サービスとは、実際に、どういうものなのか、大いに参考になる事例だと思う。

タイの一般的な病院と比べれば、高額だが、米国の目玉が飛び出るように高い医療費から比べれば、かかる治療費は、手術やその他の治療費と快適なホテルのような入院費用を含めても、だいたい米国でかかる費用の5分の1以下ですむようなのだ。

そういうところが魅力となって、技術を誇り、高額な割には、かならずしもサービスの質がよいとはいえない米国の医療を逃げ出した患者が多く利用するようになってきている。

高くて不親切な米国の病院よ、さようなら、というわけである。


たとえていうと、米国の国際線のフライトの機内サービスを思い出してみれば、米国のサービスといわれるものの質が、いかにホスピタリティのない、雑でレベルの低いものであるかは、想像がつくのではないだろうか。

米国の高度な先端医療技術は評価できても、米国のあまりに高すぎる医療費は最悪で、決して、他国が絶対にマネをしてはならないものだろう。

参考までに、Bumrunrad Hospitalの情報をYouTubeで、読者の皆さんにお届けします。

ただし、英語のままですので、あしからず、申し訳ありません。



  
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2009年02月28日

生命の讃歌 Canto Derra Terra - バリ島の画家 アントニオ・ブランコ氏の天真爛漫なる精神

バリ島の画家アントニオ・ブランコのことは、以前、ブログでも書き、新刊の本でも、ふれた。

彼が書いた絵も、それなりに評価できるが、何よりも彼の生き方そのものが、まさに芸術そのものだった。

彼は、もうこの世にいないが、彼の奥さんや、息子さんとその子どもたち(ブランコ氏にとっては孫)とは、現在も変わらない交流がある。

皆、へんに気取らない、それでいてセンスがあり、気さくで、人なつっこく、実に親切で明るい。そういう家族だ。

いつもバリ島に寄ってたずねるたびに、心から歓迎してくれることはうれしい。

天真爛漫で自由な精神は、自然に家族のDNAになっていくのだろうか。

今は亡きブランコ氏を記念してできた美術館には、いつも流れている音楽があり、その音楽を聴くたびに、天真爛漫なブランコ氏をなつかしく、思い出す。

すると、氏のことを思い出し、涙がこみあげてくるのだ。


流れていた、その音楽がなんという曲であるかを必死に調べて、はじめて知ったのが、世界的に有名なイタリアのテノール歌手、アンドレア・ボチェーリであった。

そして、そのとき、はじめて彼が全盲であることを知った。

そのとき、流れていた曲を、いつかブログの読者にお聞かせしたいと思っていたら、YouTubeのおかげで、それが可能になった。

彼の歌うCanto Della Terra が、あるイメージ映像にまとめられているが、人間の眼が、決意のようなものを暗示しているようで、聞いていて、なんとなく、生きる勇気をもらうような気分になる。




皆さんは、どのようにお感じなられるであろうか。

できたら感想をいただきたい。

  
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2008年11月19日

米国史上、初の黒人大統領誕生の背景を考えてみる

米国の大統領選挙によって、バラク・オバマ氏という、米国史上、初の黒人の大統領、が誕生しました。

彼は、あの独裁者サダム・フセインと同じく、フセインというミドル・ネームなので、マスコミがいくら彼のことを持ち上げても、投票する者は、土壇場で冷静になって気が変わり、マケイン氏に変えるだろう、などともいわれていました。

ところが、本番では、圧倒的な勝利。これは、たしかに歴史的な事件です。

しかしながら、海外のどこの先進国でも、テレビの報道は、この米国大統領選のことばかりで盛り上がっていたのに、米国と関係の深いわが国、日本では、なんと大統領選挙の当日も翌日も、野球の日本シリーズの方がテレビ放映のメインで、巷の話題や関心ごとになっていたので、私は、あきれかえりましたね。大いにしらけてしまいました。

さて、世界的なヒーローになったオバマ氏。たしかに物腰の柔らかさ、ライバルを卑下するようなネガティブで辛らつな批判のやり方はできるだけ避けようとする姿勢。教会の牧師から学んだのではないか、と思えるような、人を酔わせるスピーチ。でも、見方によっては、あまりに人を酔わせるレトリックばかりが目立ちます。具体的な政治的かつ経済的な政策はないに等しい、感じさえします。

孔子がいうように、「巧言礼色、鮮し仁」ですから、言葉に酔わされるままでいたらいけません。

米国の自己主張の強い、たくましい女性たちが次々と味方になって、彼の後ろ盾や戦力になっていくところも、強い女に守られたオバマというイメージを感じさせました。

なんといっても、オバマ氏の奥さんであるミッシェル・オバマ夫人が実にパワフル。シカゴに強い基盤を持つ名士の父を持ち、頭が切れる女性弁護士。オバマ氏をカモシカにたとえるならば、その婦人は、虎のような感じ。彼女の存在が、どれだけ黒人女性の吸引力になったか、限り知れないものがあります。そこへもって、超人気のある黒人女性テレビ司会者、オプラ・ウィンフリーまでが、初の米国黒人大統領の実現に対して、支持を表明し、CNNのラリーキング・ライブという全世界200カ国以上で放映されているインタビュー番組で、オバマ支持、初の黒人大統領というアメリカン・ドリームが可能と語っていました。

また、予備選の前から、YouTubeで、オバマ・ガール(Obama Girl)という、単に軽い気持ちのパロディで作られた、オバマ氏を支持するセクシーな女性が、まるでそのキャンペーンであるかのように、曲に合わせて踊り、歌う動画配信をしたら、たちまち、数100万ものアクセスが殺到し、マスコミでも大いに騒がれることになります。

ただし、このオバマ・ガールは、勝手に支持を表明して、踊っているだけで、まったくオバマ氏の選挙運動とは無関係ですが、とにかく話題を米国で呼びました。

オバマ氏が登場したことで、一般大衆で、今まで、あまり政治に関心のなかったような人たちがいっせいに、インターネットの動画配信などを通じて、強い関心をしめしてきたことは特徴的でした。

米国民は、いつもどこかダーティーなイメージがつきまとうブッシュには、もういい加減、うんざりしている様子が顕著でした。

いつもぎりぎりの票で、不正疑惑すら感じさせる状況で、かろうじて勝ってきたブッシュ大統領の共和党の今までのやりかたが、アフガン、イラクと泥沼の戦いに入り込み、捕虜に関する証拠が不十分であったり、捕虜への拷問を正当化し容認していた、ラムズフェルドのあまりに醜く、ダーティーな戦争誘導への裏工作など、次々に明らかになり、「もうブッシュ政権だけは、いやだ!うんざりだ!」という機運が相当高まっていた様子は感じられました。

国連で発表した戦争攻撃を正当化する証拠が、実はまったくなかったことなどを知り、国民の信頼の厚いパウエルなどは、結局ブッシュ政権にいいように使われてだまされて、うんざりし、2期目はブッシュ政権から辞退してしまったほどですからね。

私の友人で、ダニエル・コビアルカという米国のバイオリニストの音楽家は、人の心を癒す音楽を作る、ふだんはおとなしい人なのですが、その彼が、私に、「こんなことをいってはいけないのだろうけど、ブッシュだけは、暗殺されてしまったほうがいい、と考えたことが何度もある。」と思わぬ告白をされて、びっくりしてしまったことがあります。

とくにいろいろ国際会議で出会った人などにも聞いてみると、とくに世界中のインテリ層、マスコミは、もうブッシュ政権にうんざりしている様子が、ひしひしと感じられました。

皆が、テロリスト、オサマ・ビン・ラディンを絶対に捕まえる、とブッシュが宣言しても、ブッシュ家自体が、もともと石油の利権に関して、ビン・ラディン家と親しい関係にあったことなど、皆、知っていますし、ブッシュの背後に石油のメジャーや軍産複合体の巨大な力があることを、けっこう知っているものです。

もうブッシュの共和党にはうんざりだから、そろそろ今度は民主党に期待をして、次は、亭主のビル・クリントンのだらしのない数々の不貞にも耐えしのび、自分が大統領になるべきチャンスをずつと待ち望んでいたヒラリー・クリントンあたりが女性大統領になって、彼女の長年の構想である社会福祉や医療健康保険制度の改革など、今までの政治経験を生かしてやってもらい、その次くらいにオバマ氏の出番が来るほうがいいのではないかと、私は思っていました。

ですが、米国民は、あきっぽいですし、ながーい目でものを考えることは非常に不得意ですから、もう、いやなブッシュから逃れたい一心で、また、不貞のだんなとともにファースト・レディーとして、今まで散々見飽きているヒラリーより、経験はなくとも、若さと勢いに乗ったオバマ氏を民主党の大統領候補に選んでしまいます。

最後には、ケネディ家までオバマ支持にまわりましたし、共和党のマケイン氏を大統領選を争っている最中に、国民の信頼の厚い黒人のコリン・パウエルが、共和党でなく、民主党のオバマ氏の支持を表明するなど、ますますオバマ氏は、アメリカンドリームを夢見る人たちのエネルギーとともに、押し上げられていきます。

将来、黒人大統領もあるかもしれない、という、一般大衆の潜在意識を感じたのは、FOXTVでシリーズで放映された、テロ組織と命がけで戦うジャック・バウアーという人物が主人公の「24 ― Twenty Four」という連続テレビドラマに、デビット・パーマーという米国史上初の黒人大統領が生まれたストーリーがありましたから、こういうドラマが当たり前に受け入れられ、人気を博している事実を見て、近い将来、現実に、黒人大統領が生まれても違和感のない時代が、もうすぐそこまで来ているような予感を感じたものでした。

どうも、その勘は正しかったようです。

米国のみならず、世界のインテリたちが興奮し、庶民層を含めた一般大衆が興奮し、若者たちがインターネットなどでも参画し、みながお祭りのように騒ぎ、興奮した大統領選挙は、かつてなかったものを感じます。

私は、個人としては、オバマ氏は親しみやすいし、志も理想を追っているようで好きなのですが、どことなく米国の大統領というよりは、大学学生委員会の委員長といったイメージの存在に感じました。

演説は上手で、口は達者なのですが、さて、実際の政治的手腕となると、やくざな北朝鮮や、したたかな中国、強硬なロシアなどに、なめられて手玉にとられてしまうのではないか、という懸念があります。国際外交は、やくざな世界ですからね。

最初は、私もオバマ氏でも悪くないんじゃないか、と考えていましたが、大統領選が近づくにつれ、一方のマケイン氏のことも調べてみたら、マケイン氏の政治家としての実力と実績は、とてもオバマ氏がかなうところではないように思えてきました。オバマ氏は、ビル・クリントンと同じく、やや八方美人です。

ジョン・マケイン氏は、べトナム戦争で、瀕死の重傷を受けただけでなく、5年間もベトナムの捕虜となり、拷問を受けたにもかかわらず、絶対に国の機密事項について口を割らなかった男です。さらに、彼の父親が海軍のえらい地位にあることもあって、彼は国の秘密をばらすことにより、彼だけ特別に釈放し、解放する取引を持ちかけられますが、断固、拒否します。彼は、とことんスジを通し、絶対に心を売らない鉄の意志と忠誠心を持っている人物のようです。

帰国して、政治家に転身してからも、彼は、友人が病気や事故で入院したようなときは、どんなに政治家として忙しくとも、まっさきに駆けつけて、励ましたという、まさに、義理人情に厚い、それゆえに、人望の厚い人物のようです。

ですから、たとえ、同じ共和党の同僚であっても、ラムズフェルドが、軍の拷問を容認していた事実がわかると、ただちに、その諮問委員会を作り、徹底して、妥協なく事実の究明に当たります。自らが、捕虜になって拷問をされた経験から、いかなる場合でも、そのような人道に反する行為は正当化してはならないと、きびしく究明しています。

また、ダーティーなブッシュのやりかたをひどくきらっていたようで、たびたびブッシュ政権のやりかたを、共和党員でありながら、きびしく非難や批判をし、共和党内で浮き上がってしまったこともたびたびあるようです。

自分が党内で立場が悪くなろうが、やるべきことをあえてやって、ごまかさず、スジを通すから、一匹狼とかいわれるわけですが、そのような姿勢を、私は非常に高く評価します。

臭いものに蓋をして、長いものにまかれて、あいまいにごまかすことができす、たとえ、自分の共和党における立場が孤立しても、人間の尊厳に関わるような、見過ごせない妥協できない要件に対しては、あえて自分にとって損になるようなことでも、スジを通して、徹底して究明する。私は、徹底してスジを通すマケイン氏の姿勢と捨て身の根性が気に入ってしまいました。なかなかの人物です。日本の政治家には、こういう骨の太いスジを通せる政治家が見当たりません。

マケイン氏は、共和党の中でノーマークで、資金もない中、自らの信念で立候補し、いつの間にか共和党の大統領候補にのぼりつめます。その不屈の信念と行動力には、これぞ、男の中の男とでもいいたくなるような感動を覚えました。

70歳を過ぎた高齢であり、オバマ氏のように、上手にインターネットを武器に器用に選挙資金を集めたり、インターネットを宣伝に活用するには、武骨すぎたような感じがしますが、私は、政治家としては、現時点では、マケイン氏のほうが、不器用でも、はるかにスケールの大きさがちがうように思われました。このことは、長年の米国通の日本人からも指摘されていました。

また、マケイン氏は、たとえ選挙の情勢で不利になろうとも、相手を卑下して攻撃するネガティブ・キャンペーンは、あえてやらない潔さとフェアーな精神を貫きました。このことも、私は高く評価します。人間としての品格が高いのだと思います。

ただし、選挙は、論理的な理性よりも、感情が勝ります。

別にマケイン氏のせいでの金融危機ではないし、ブッシュとマケイン氏は、全然違うと強調しても、人々の脳裏には、いまいましい8年間のブッシュ政権の悪夢が頭によみがえり、もうブッシュ政権の継承だけはいやだ、と感じる多くの米国民の感情は、理屈では抑えきれなかったようです。

また、初の黒人大統領の誕生というドラマに酔いたい大衆のお祭りのようなパワー、インターネットを通じての草の根的な盛り上がりも、未知数のオバマ氏を味方しました。

頭の固い共和党の連中は、選挙の敗北をマケイン氏のせいにしたりしているようですが、マケイン氏というスジのとおった、本気で国のため、国民のため尽くしてきている政治家を引退させたり、共和党のすみに追いやってしまうのは、もったいない気がします。

すでに共産主義は崩壊し、西洋文明が生んだ資本主義も、がん細胞の末期症状に入りつつあり、それがゆえの、経済学では説明できないような金融混乱と危機をひきおこしている現実を、強く認識し、まったく新しい発想が必要とされているように感じます。

それゆえに、オバマ氏は、米国民のみならず世界の人々に希望を与えるグローバル説教師としての役割だけに終始してもよいし、たとえば、仮に口だけで、彼個人の政治的能力は「中空構造」(中は空っぽ)ということであってもいいから、社会福祉の問題はヒラリーの念願だったので、ヒラリーにやらせ、たとえ、共和党であっても、その人望によりマケイン氏に、例外的に政治参謀的に側近になってもらうなど、あらゆる壁や制限を乗りこえて、真に政治的に実力のある有能な人々をスタッフにそろえ、一致団結して問題解決に新しい発想と行動をもたらしてほしいと思います。

あたかも、かつての米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーについて、「自分より有能な人物をつかいこなす知恵を持つ者、ここに眠る」というようなことが刻まれた墓碑があるように、オバマ氏には、自分より、はるかに経験と能力のある人たちを上手にフルに使いこなして、多くの問題解決に着手してもらいたいと願っています。

さて、オバマ氏のいくつかのキャンペーン中の演説や、勝利が決まった直後の番に行なった勝利演説など、聞き入ってみると、その言葉のリズムとともに、何か自分までどんどん感化されて、感動がこみ上げてくるのがわかります。

まさに教会の牧師の力強い説教のような、わかりやすい言葉とその反復、さらに、しだいに増幅されてくる演説のリズムと抑揚は、あたかも「猫にママタビ」のように、一般大衆の心とつかんではなさず、聴衆は、ノリのいい音楽を聴いているかのように、酔わされてしまいますね。オバマ氏は、言葉の魔術師のようです。是非、感動のビクトリー・スピーチを下から聞いてもらいたい。英語がわからなくとも、最初のほうを音楽のように聴いていると、そのうまさが感じられるように思います。





しかしながら、初の黒人大統領誕生を屈辱的に思っている白人たちも多いようです。オバマ氏暗殺の計画の疑いで、FBIによって、すでに680件以上逮捕されているようです。

保守的で狂信的な白人中心主義者は、米国には腐るほどいます。

米国では、J.F.ケネディのような新しい変革者があらわれると、暗殺されることがあるから、心配です。ケネディは、オズワルドという青年にではなく、背後の軍事産業の意向を聞かなかったため、FBIや軍産複合体がぐるになって、ケネディを暗殺したという説には、かなり説得力があります。

私は、あの捏造と画策と陰謀に満ち溢れた、背後で軍事産業とつながっている戦争屋のラムズフェルドは、オバマ氏が勝利宣言した同じシカゴの出身ですし、かなり、オバマ氏をいまいましく思っているはずです。

平気で捕虜の拷問も正当化し、平気で隠蔽する奴ですから、おそらくあたりが動いて、非常に汚い手で、たとえば、中近東からのイスラム系の人間を雇って、オバマ氏暗殺を企て、また悪いことをイスラムのせいに見せかけて、いっきょに世論を操作し、また戦争を正当化し、戦争に誘導しようとするのではないか、と懸念します。あの男なら、やりかねませんから。ああいうみにくい白人を牢獄にぶちこめないものなんでしょうか。

オバマ氏の身にずっと何事もなく、見事、初の黒人大統領としての大任が全うされることを、切に祈ります。
  
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2008年10月31日

米国大統領選直前に見つけたパロディ映像にたまげる

11月の米国大統領選挙を目前にして、そのオバマ対マケインのの勝負をパロディにした映像をYouTubeで、偶然見つけ、たまげてしまいました。

一見、キモイ感じで、悪い趣味だなーと思いつつも、よく見ていると、けっこうよくできていて、まわりの人間たちもいい加減でなく中途半端な形で作られていない。

2人の候補者が、フレンドリーにフェアーに競り合っている感じも出ている。

ブッシュのように、どこかダーティーでない、フェアーな対決。

また、このようなパロディ映像が作られて、YouTubeで流されること自体、今回の大統領選挙に、若者たちが強い関心を持っていることがわかりますし、どこかお祭り騒ぎのような一般大衆の盛り上がりを感じます。


私は、はじめて、この映像を見たときは、思わず、目が点になってしまい、あっけにとられてしまいました。ただ、このパロディが陰湿な中傷ではなく、おぞましさはあるものの、見方によっては、なんとなくさわやかなユーモアで一貫している感じもして、それなりに評価できました。

しかし、ここまで一国の大統領候補をパロディにしてしまえるのか、と、あきれもしました。

いかにも、アメリカらしいパロディで、ある種のたくましさを感じます。

しかし、よくできた映像です。

皆さんも、どうぞご覧になってみてください。

あきれ果てるか、笑い転げるか、それは、あなた次第です。

開けなおって、笑えれば、それも「百薬の長」になるかも。




  
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