皆さん、あけましておめでとうございます!
そして、皆さん、たいへん申し訳ありませんでした。
2009年は一度もブログを更新いたしませんでした。中には、いつも楽しみにしてくださっていた方も、少なからず、いてくださったようで、そういう方々に心から感謝するとともに、1年間書かなかったことを深くおわびいたします。
また、再び書き出しますので、どうぞ、ご期待ください。
以下は、今年の年賀状に盛り込んだ、未来の統合医療ホスピタル・ビジョンについて凝縮して書いた入魂の文章を中心にブログ向けに編集しなおしたものです。
このビジョンをはっきり誰にもわかる、納得できるコンセプトとして、実にシンプルにまとめることに、2年の海外の先端ホスピタルを取材し、アイデアとビジョンをあたためておりました。
2009年の11月に、東京大学安田講堂で記念すべき日本統合医療学会の大会が行われました。
引き続き昨年2010年の3月には、海外より演者を招いて、アジア国際統合医療学会が東京大学小柴講堂で開催されました。
このことは、早くより1983年ごろから東西医学を統合するような全人的医療(ホリスティック・メディスン)の必要性と可能性を感じていた私としては、なんとも感無量の思いがありました。
東大で統合医療学会の大会を行うなど、20年前は想像もできなかったことです。1989年に東京医科大学付属病院臨床講堂で、ホリスティック医学シンポジウム'89を開催できたことだけでも、当時は奇跡のように感じていましたから。
ここ数年、大学病院や大学医学部などでの方針を示す言葉にも「全人的医療」という表現が目立ってまいりましたが、これも20年前にはなかったことです。
時代にゆっくりと認知されつつあることはたしかなようです。
ここ2年ほど、私は、世界の先端をいくホスピタルの環境空間というものに強い関心を持ち、それに関する海外での国際会議に毎年参加し、だんだんとはっきり見えてきたビジョンがあります。
それは、何よりも、「ホスピタル」とは、そもそも弱っている人間が元気を回復していく場であり、本来は、何より患者さんがHappyになるための場のはずだ、ということです。
また、医師や看護師が忙しすぎて、過労で心にゆとりがないのに、患者さんの前では笑顔でいようとすることにも、やはり無理があります。
患者さんを応援し、サポートする医療者たちも、患者さんの回復をともによろこび、Happyになれる場。
患者さんが、ぐっすり眠れ、安心して休息でき、Happyになれる場。
(病院では患者さんは安眠できないので、病院に長くいると休息できず、病気はかえって悪化する、という認識は、医師たちが本音レベルで常識としてそう思っているというのが事実のようです。)
患者さんと医療者が協力して、いっしょに健康上の問題解決に取り組み、ともにHappyな気分を分かち合えるような場。
そこにいるだけで、しだいに元気が出てくるようなホスピタルの環境づくり。
そういうホスピタルこそが、今日、患者さんにも医療者にも、切実に求められているのではないでしょうか?
まことに残念ながら、こういう発想が、今までの日本の「病院」には全然なかったように思われます。
病院は、「病気の工場」ではありません。また「病人の監獄」でも「病人の収容所」でもないはずです。
でも、そういう重苦しいネガティブなイメージがついてまわりますね、病院には。
だいたい「病院」という言葉がいけません。まるで、よくなるどころか、「病の館」みたいな名称じゃないですか。
今日の医療のほとんどが、まるでクスリ屋の利益に都合の良いように計画され、デザインされているかのようです。
厚生省も、病院も、医者も、医大での医学教育も、あたかも巨大な製薬会社のビジネスの利益になるのに都合がいいように、ほとんど洗脳されてしまっているかのようです。
世界的に見ても、大切な人の命を守るための医療が、ほとんどクスリ屋の都合に合うような発想ばかりで、がんじがらめになっているではないでしょうか。
だから、「ホスピタル」という環境空間のコンセプトとデザインには「本質的な意識革命」が必要なのだと思います。
世界では、すでにエコロジカルなホスピタルを象徴する「Green Hospital」(グリーン・ホスピタル) のコンセプトが注目されてきており、エコで、省エネ、無公害、さらには、クリーンエネルギーを駆使したゼロ・エミッションのホスピタルを目標にするビジョンまでが、すでに登場してきています。
いずれ感性豊かな日本にこそ、そういう知恵を結実させた本物のホリスティックな統合医療ホスピタルが実現し、それをモデルとして世界に堂々と示したいものです。
本年もさらなるご支援をよろしくお願いするとともに、皆様とご家族の一日一日が、健康に恵まれ、笑顔と充実した幸福感にあふれたものでありますよう、心からお祈りしております。