2015年10月14日

川島なお美さんの早すぎる死の現実から、つくづく考えたこと5

川島なお美さんが、54歳の若さでお亡くなりになったことはとても残念なことでした。マスコミや世間は適当なストーリーを造って抗がん剤を素直にやらなかったから早死にしたなどという医者の権威に合わせるような、もっともらしい解釈をしがちですが、だいたい実際の事実には反しているものです。

川島なお美さんに関しての真実は、文藝春秋の最新号11月号に、セカンドオピニオンとして相談を受けたことがあるという近藤誠先生が、かなり明確に分析しています。

川島さんは、非常に冷静で、マスコミがいう、医師の指示通り抗がん剤治療をしなかったから、死期を早めたというのはまったくのウソで、近藤先生は、抗がん剤治療をやっていたら、もっと早くに亡くなっていただろう、と指摘し、川島さんの冷静な判断をほめているくらいです。

無責任なマスコミと医者の言うことほど当てにならないものはありません。

もう手術をすべき段階ではないのに、手術は受けないつもりであった川島さんを、医者の専門性と権威で、強烈な圧力をかけて説得して手術をすすめ、それを断行した医師に、彼女が早死にした原因と重い責任があるということです。

不安や恐怖をかかえている患者が、専門知識を楯にした専門医の言葉の圧力に従わず、あえて、違う道を選択することは、ほとんど不可能に近いことです。

それくらい、ぎりぎりのところに追い込まれている患者が、つい医者にすがって、奇跡を求めてしまうことは無理からぬことです。

でも、その医師の指示に従ったからこそ、もっと延命できるものを短くしてしまった責任をその医師はどう考えているのでしょうか。がんが広がってしまい、しかたがなかった、という、いかにももっともらしい言い訳で納得していいのでしょうか?


もう無理な手術をするべき段階ではなかったのに、あえて手術を行なった外科医は、ブタ箱にぶちこむべきくらいの罪人だと私は思っています。

西洋医学の父、古代ギリシャの医聖ヒポクラテスは、医の大原則として、「まず、患者を害するな。」と喝破しています。 

ですが、技術を過信した強引な手術をやりたがる大病院の優秀なる外科医たちは、やらなくてもいい、もはや手術をする段階でなく、おだやかに対処しなければならないときにも、あえて強引に手術をやりたがる傾向があるように思います。

自然の理に逆らった強引なやりかたは、まず、まちがいなく失敗します。手術は成功した、だが、まことに残念なことに患者さんは亡くなった、というような事例を数多く生んでいます。医者の技術過信は、私には、ごうまんなおごりとしか思えません。

私は、ただ空想で評論しているわけではありません。そういう現実に直面し、医者が余計なことをやってくれたおかげで、かえって患者の命を縮め、何度も歯軋りしてきたくやしい思い出がいくつもあるからです。

近藤先生が考えられる可能性について冷静に分析しています。

一番心が迷い、弱っているときに、手術をすれば、よくなるように思わせ、強引にするべきでない手術を行い、結局は、彼女の願いを裏切って早死にさせた外科医の罪はかなり重いです。

弱っているときに、体力を失うメスを入れれば、がんがいっきょに増えて広がってしまう可能性がかなり高いことを臨床医として、その医師が知らなかったとは言わせません。知らなかったと言い張るなら、やぶです。一流私立大学の病院であろうがなかろうが、その医師は、やぶです。いや、大ウソツキの詐欺師であり、犯罪者です。

病院名と担当医の名前を公表して、本来、責任を追及すべきことではないかと私は思っています。

医者の権威による圧力で患者を期待させておきながら、あっさり殺しているようなもので、こういうおろかな外科医は、医師免許を剥奪し、永久に追放するべきではないか、と私は思いますね。

人の命がかかっているのですから、別に言いすぎだとは思いません。助けられる確信がないなら、体力を落とし、寿命を縮める手術はするべきではありません。

こういう現実をしっかり直視せず、感情的な文学のようなストーリーの世界での話にしてしまうのがマスコミや無知な世間であり、それゆえ、同じような悲劇が、医者の言葉を過信する人たちによって、何度も繰り返されてしまうのです。

実は今年になって、私の高齢の母が何度も意識を突然失って倒れ、何度かもうだめかと思えるほどあぶないときがありました。

ある市立病院の循環器専門医の指示通りに1年過ごしてきたら、治るどころか、どんどん悪化して、家で寝たきりに近い状態になってしまいました。

薬に反応しやすく、薬に弱い母が病院に入院して、あたりまえのように病院で日常的に出される余計な薬も追加された「薬漬け」の毎日になれば、まず母は殺さかねないことを、私はかなり正確に予測できますので、自宅で母を看護しております。

病気そのものの知識にはくわしい専門医の意見を尊重し、その指示通りに従えば少しは良くなるのかと期待しましたが、まったく改善されず、どんどん悪くなっていく一方でした。

それでも、ただ様子を見ましょう、というだけで、つらい症状と不安を抱えたまま、無駄な時間がただただ経過していくばかり。まったく良くなりませんでした。

そこで、とうとうその主治医に見切りをつけ、現代医学での検査は行なっても、その薬物中心で管理するだけで、治すどころか、全然改善もできない対症療法の治療に愛想をつかしました。

ただ、その医師は、問題はありましたが、高齢だから、強い薬はかえって負担がかかり、良くないということで、極力弱めの薬で血圧のコントロールだけにとどめ、病気の診断や経過については、何人もの予約患者が待っていて時間がない中、かなり詳しく説明してくれたことは評価しています。

現代医学の医師としては、かなりましな医師であったと思います。私も専門家としての判断と知識は素直に敬意を持って聞いておりました。ですから、言い争いもしておりません。

こういうましな専門医でも、なかなか病状を特定できず、かつ、まったく改善すらできなかったのです。これが現実です。

ましてや、臓器バラバラ医学の専門医ですから、心臓のことには、さすが専門医なのでくわしかったですが、脳神経との絡み、さらに自律神経がらみの判断となると、わたしは専門ではないからと、逃げるばかり。


私が新しいシステム医学として注目していた中医学による体系での漢方処方を心身両面から考えて、母の病状にピッタリ合いそうなものを探し出し、慎重に試してみたら、まったく改善しなかった病状がたった3日の服用であきらかな改善が見られました。

現在も継続しておりますが、完全に治らないまでも、1日に何回も意識を失って倒れていたものが、月に数回倒れるだけに改善されてきております。

一時は、えらく落胆し絶望していた母も、そのおかげで、気持ちも安定してきて、回復へのたしかな希望を持てるようになり、明るくなりました。


こういう体験から、つくづく医者は病気そのものの知識にはくわしいが、患者が回復できるよう導くことがまったくできない人種なのだな、ということを痛感しました。ただ、薬で症状をかろうじて管理しようとしているだけなのです。治しているわけではありません。とくに循環器はそうですね。

その医者は、漢方なんかでは絶対無理だ、もう高齢であちこち体が故障しているので、良くならないし、しかたがないと、あきらめるしかない、と断言していました。

医師の指示通りにやれば、少しはよくなるかと信じていた母はその言葉に、相当傷つき、ショックを受け、ひどく落胆しておりました。


病気の見たては悪くないですが、改善せずに困り果てている老人に、平然と、もう無理だからあきらめろ、と言い放つ医者に、私は、「このやろう!今に見ていろよ!おまえのいうことを、根本からひっくりかえしてやるからな!」と逆に心に闘志を燃やし、私は、ひどく倒れたときに後頭部をすごい音を立てて直撃したときなどは、もうだめかもしれない、と絶望しかかりながらも、決してあきらめませんでした。

かえって、母の発症してから2年間の病状の変化を徹底的に観察・分析し、論理的に仮説を立て、まず、この症状を変えることができれば、それが連鎖して、不整脈や脳虚血発作のつながりにも当然好影響を与えるはずだ、と徹底的に論理的に考え、機能医学としての中医学的な視座で、漢方処方をしぼりこんでいきました。こういう考えで、それなりに知識はあった私が、中医学の体系での視座と考え方を新たに学び、しだいにその本質的なところが理解できてくると、いままでは浅くしか漢方を理解していないことを痛切に感じました。

中医学の考え方を必死に学びなおし、専門家の意見も聞きました。調べ抜いて、必死に考え抜いて、おそらく母の場合はこれだろう、とひらめきとともに思いついた処方がありました。

友人の中医学漢方の専門医と議論をして、彼にたのみこみ。彼の中医漢方クリニックでその処方をまず試してもらうことにしたのです。

こちらも、死にものぐるい。必死です。

ある程度、医学の知識にくわしい私でも、病院や医師との関係や、もっともふさわしい回復への道を見出すのに、これだけ苦労するのですから、素人の一般の方が、がんについてご自身で判断していくのは、どれだけたいへんか、と思います。

そうしたら、優秀な循環器の専門医が1年間、あれこれ様子を見ても全然良くならず、かえって悪化する一方だった母の症状が、慎重に1日1服するだけで、3日で症状ががらりと大きく改善されだしたのです!

ぴたっとツボにはまったときは、これほど即効性が中医学漢方にあるとは思いませんでした!

これは、必死に考え抜いてきた私と、いつまた倒れるかわからないという恐怖と不安に毎日のように味わっていた母にとっては、まさに暗闇にさしてきたひとすじのたしかな光でした。


私は、思わず、「ざまあみろ!」と叫びたくなりました。その医師は漢方など絶対に役に立たないと断言したのですから、本当に、ざまあみろ、くそくらえ!でした。

私は、自分が治せないくせに、西洋医学を優位に見て、いつも漢方を見下すような言動をするアンフェアーな医者がかなり多く、そのことが好きになれません。本当につまらない幼稚なプライドにしがみついている医者は多いですね。

それでいて、自分でお手上げになると、専門ではないが漢方でもやってみましょうと、漢方に自分たちの尻拭いをやらせようとする。そして、かんばしくないとなると、漢方はやはり効かないと決めつける。なんとごうまんで、おろかなメンタリティでしょうか!


その医師は、不整脈を専門とする循環器内科医として、心臓の知識にはたけていたのでしょう。でも、すべてを心身相乗、つながりと連鎖のなかで考えていくことがまったくできておらず、この病状は、自律神経が絡んでいるので、心臓そのものの異常が原因ではない、と断言しました。

あげくのはてに、自分は循環器で心臓が専門だから、自律神経からくるものはわからないし、治せない。他の科でも無理だろう、と言ってきました。まあ、正直に本音を言ってくださったことは感謝ですが。

私は素直に聞いておりましたが、その専門医は病気の知識は豊富だが、根本的な基本を忘れている「おバカ」だなと見抜いていました。

なぜなら、心臓は交感神経と副交感神経で支配・調整されているわけで、ということは「心臓のはたらきそのものが自律神経である」という大前提を忘れているのか、完全に無視しているのです。中学の理科の教科書にも書いてあることです。まさに専門バカの盲点としか思えませんでした。

私は、心身相乗的に考えても、まず、自律神経の根本をうまく調整できれば、当然、それは心臓のはたらきの調整にもつながり、そのことにより、脳の虚血発作も起こりにくくなるであろうという、物事をつながりの連鎖の中で、論理的に仮説を立て、もっとも論理的にスジが通り、自然の理にかなっているので、まずは自律神経を調整することは現代医学では無理なので、ますそのことを中心にシステム医学としての中医学漢方での全体調整を行ったわけです。あとは連鎖の法則による自己回復調整能力にゆだねました。

このように病気の知識ばかりに偏り、どんどん問題を複雑化・深刻化させてしまう現代医学の専門医は、自分のいたらなさや盲点を、患者の高齢のせいにして、年で故障だらけなんだから、もうあきらめろ、ひどくなったら重症になったら入院すればよい、というだけでした。

この優秀な心臓の専門医、すなわち循環器内科の医者が1年かけても、病状の特定もなかなかできず、診断確定も定まらないまま、様子を見るだけで悪化する一方だったものを、循環器の専門医でもない私が、病院に入ったら、こんなやりかたで薬漬けにされれば、薬に弱い高齢の母の心臓は止まってしまうだろうし、本当に殺されてしまうと、絶対あきらめないで、医者の判断まかせにしなかったのがよかったのだと思います。

やはりサバイバルするためには、なんとしてでもサバイバルするための必死の勉強を本気でしなくてはなりません。

私が徹底的に観察したうえで、論理的に考え抜いたやり方が、専門医をこけにしてあざ笑うかのように、たった3日で症状を大きく改善してしまった事実には自分でも本当に驚くとともに、何よりも、母が明るく希望を取り戻すことができたことが何よりもうれしかったものです。

こういう実体験もあり、いざというときに、強引に入院させ、病院の管理下に置いて強い薬をがんがん入れられて薬漬けにされ、体力が弱っているときに緊急に手術などすれば、まずまちがいなく、命を縮めるか、病院に殺されることを、かなり肌で実感として感じております。身近での実例もいくつも知っております。

高度な医療技術を誇る割には、このようになさけないほど全然治せないのが、現代医療の現実です。

ましてや、病気を攻撃し、叩く、という、発想の根本が間違っているので、もともとが全身の免疫病であるがんが、ただ手術でがんを切り取れば治るなどと妄信しているレベルは、とても科学ではなく新興宗教のレベルです。

例外はあるにせよ、せまい視野での思い込みしかない医者が助けられるわけがないといっても過言ではないと思います。

「医者を選ぶのも、寿命のうち。」ということわざもあります。

別に医者はあなたの命が失われても、責任はとってはくれません。


お金があれば、がんは助かる、などと思い込んでいる方がいますが、それも現実逃避のおとぎ話で、かえって金を積んで権威を当てにしたから、一人娘は30歳で早死にしてしまった、というシンガポールの華僑の大富豪の実例を、よく知っています。なぜなら、私がシンガポールで華僑の実業家の友人に紹介されて、お母さんと娘さんのコンサルをしたからです。30歳で乳がんでした。

甘やかしたつけとしての、ひどい偏食に加え、抗がん剤はあきらかに向かないタイプでしたので、こんこんと、この娘さんの場合は、抗がん剤は合わないでしょうから、絶対にやらないほうがいいです、と強く忠告しました。

でも、結局、金にモノを言わせて、有名病院の権威ある有名な先生にコネをつけて、あれほどやめておけ、と忠告したにもかかわらず、その大富豪は私の忠告にさからって、その医者の権威にすがり、抗がん剤治療をやってしまいました。

どうなったと思いますか?もちろん、ズバリ私の忠告どおりで、もののの見事に、すぐにその娘さんは亡くなりましたよ、30歳の若さで!がんそのものではなくて、抗がん剤の副作用で!

あたりまえですよ、自然の理に反しているのですから!


ですから、お金があれば、がんは助かるとか思い込んでいる、おろかなお金持ちがかなりいますが、まったくの勘違いで妄想でしかありません。

金よりも、根本から論理的に考える能力と自然の理にかなうような知恵の方がはるかに大切です。


医者や病院の言うことを鵜呑みにせず、くれぐれも用心され、決して油断されないことです。

ちょうど「相手はえらいおサムライさんだから、おれたち百姓じゃ無理だから、あとはおかませするしかねえ」という百姓メンタリティですませてしまうと、おサムライさんの食いものになるのと同じです。

自分たちは素人だから、不満はあっても、あとは専門の病院にまかせるしかない、と気持ちの上で、弱気になってギブ・アップしてしまうと助けられる人もも助けられなくなってしまいます。

とくに、がんの場合、そういう小市民的な弱気のメンタリティに陥って、がん患者を病院におかませするしかないと逃げて、「そうするしかしかたがない」と思い込むと、まず、間違いなく延命できませんし、命を確実に縮めてしまいます。

このことで、何人もの方が、早く命を落としています。なぜなら、自然の理にかなっていないからです。


たとえ、がんがあっても、毎日が元気で長生きできれば、それでいいはずなのに、がんを強引に叩き、排除しきろうとあせれば、必ず、逆に、延命より、命を縮めますので、どうぞ、このことは、くれぐれも心得ておいてほしいと思います。

専門知識がなくても、論理的に考えてスジが通らないで、自然の理にかなっていない強引なやり方であったら、まず、やめておいたほうがいいでしょう。


たとえ、体内にがんがあっても、あと20年くらい元気でいれれば、それでいいじゃないですか。

くれぐれも権威主義をかざす医者には注意しましょう。まことしやかなもっともらしいウソをつく医者はかなり多いですから、決して油断しないようにいたしましょう。サバイバルするためには、確固たる決意と知恵が必要です。


あなた自身の命とご家族の命をしっかり、かつ、したたかに守るためにも、そのことを決して忘れないでください。  

Posted by otsukako at 23:04Comments(1)