2011年08月09日

秋月辰一郎医師から、今のわれわれに送られたメッセージ−8月9日長崎原爆記念日によせて5

8月9日 長崎原爆記念日。

ここで、3月11日以降に起こったことや3月15日のブログ記事に書いた緊急情報の内容を、ふたたび振り返って、再確認してみます。今回は、書き言葉のリズムで書きます。

長崎に原爆が落とされ、その爆心地から1.4kmという、非常に近距離で、病院の建物の破壊とともに、そこにいた全員がひどい被爆をしたのにもかかわらず、その後、原爆症の症状が出ないまま、その場にいた70人全員が生き延びたという歴史上の事実を知ったのは、今から26年前である。


同じ近距離で被爆した他の人たちはすべて死亡したなかで、彼らは生き延びたのである。いったい何が彼らを救ったのであろうか?いったい何が生死を分けたのだろうか?


その病院の院長であった秋月辰一郎医師は、もともと普通の人より、体力のない、かなり虚弱な人であった。ところが、彼は、89歳まで長寿をまっとうした。

こういう歴史上の知られざる事実は、やはり忘れてはならない事実として、今日にも伝えておかねばならないと強く感じ、私が出した最初の本に、その事実を、誤解されかねないことを覚悟で書き、出版したのは、1993年のことである。

当時は、その証拠となる、その病院長、秋月辰一郎医師の書いた記録の文献がすべて絶版のままであり、記録を調べるのに、国会図書館にもくわしい文献調査の神様みたいな友人に協力してもらったりして、絶版の本のコピーを手間ひまかけて集めたことを憶えている。死の同心円

3月11日に、東北大震災による津波と地震による壊滅的な被害は、福島第一原発の決定的事故へとつながり、まさに致命的な放射能汚染の被害の拡大は、いまだに継続しており、現在も進行中である。

3月14日の夜中から、強い胸騒ぎがして、「この原発事故は、このままではすまされない。事態の収拾がつかず、かならず予想以上の被害につながっていく」ということを、はっきりと直観した私は、もういてもたっていられなくなり、秋月医師たちが、ひどく被爆をしながらも、現実に生き抜いたという歴史上の事実を、今、人々に知らせてもいいものかどうか、私は相当迷った。

余計なことを言って、不安と恐怖で神経過敏になっている世間から袋叩きにされかねないリスクがあったからである。

しかし、自らが被曝をすることを覚悟して、文字通り命をかけて、福島第一原発の事故現場に向かった関係職員たちの、おのれを捨てた使命感のうしろ姿を見たとき、もう今おじけづいてだまって見ている訳にはいかないという激しい衝動にかられ、ほぼ徹夜して、慎重に練り上げて緊急メッセージを書き上げ、3月15日の早朝に、そのブログ記事を体を張ってアップしたのである。

そのときまで、まだ、秋月先生の文献は、今だ絶版のままだと思っていた。

長崎原爆記
ところが、予想をはるかに超えて、いきなり多大な反響があり、思いがけなく、読者からの感謝のコメントが続々と寄せられたことには、私自身がびっくりしてしまった。そのほとんどが好意的なもので、感謝の気持ちを素直に示すものであった。

たまに、やや否定的なコメントがあっても、今までコメントしてくれた人たちが、それに対して断固反論してくださり、私の書いたものを守ってくださった、という思いがけない事実には、逆にこちらが心打たれたものである。


今まで1年間、まるまるさぼっていたブログなのに、どこからいったい探し出してくるのか、たしか3月15日の日には、たいして読まれていなかったブログが、1日で1万5千ページビューにいきなりなってしまい、こちらがたまげてしまった。

そして、次から次へと、twitterからtwitterへと情報はリレーされていき、さらには、自分のブログで紹介させてくれ、というリクエストが次から次へと寄せられた。

まさに地下水脈を、静かに水が情報が流れていくように広がり、とうとう一番問題が深刻な福島県の住人のところにも到達。さらには、めぐりめぐって福島第一原発の現場担当者にも情報が届けられるという、インターネット情報の伝わり方の速さとその底力を思い知らされることになる。

また、いっしょに懸命にこのような情報を多くの人に伝えようとする人々のまごころのようなものを感じたものである。


どこからか聞きつけたマスコミからの取材申し込みもいくつかあったが、情報がまちがって伝わることを何よりもおそれ、一切マスコミの取材は受けなかった。

マスコミのライターのめしの種のために、こっちは体張って書いたわけじゃない。また、どういう情報の解釈をされて、どういう形で他人に報道されてしまうかが見えないので、はっきりいって百害あって一益もない、と確信していた。人の悲劇でめしを食っているようなケースが目につくマスコミ人の相手をしているひまなどはなかった。彼らは、常に無責任な立場で、モノを語れるのだ。

多くのコメントが寄せられる中で、逆にこちらが知らなかったことや、気がつかなかったことに、あらためて気がつかされることがしばしばあった。

そのなかで驚いたのは、すでに、今まで絶版で手に入らないと思い込んでいた秋月先生の幻の著書が、すでに昨年、復刊されていた、という事実である。



「死の同心円−長崎被爆医師の記録」( 秋月辰一郎 長崎文献社 )
で初版は、2010年6月30日。すぐに2版が同年9月15日で出ている。

また、
「長崎原爆記−被爆医師の証言」( 秋月辰一郎 日本ブックエース )は、初版が2010年11月25日である。

今まで、再販を引き受ける出版社がまったく見つからず、かなりの長期間、絶版のままであったのに、まったくちがう出版社から、昨年2010年に、2冊続けて復刊されていることは、まるで奇跡のような驚きであった。

これらの本が、昨年2010年、奇跡のように2冊連続して復刊されて、しばらくたって、ことし2011年の3月11日から予想もしなかった、思いがけない事件が起こっている。

まるで、私たち日本人に、今回の事件を予測して、大切なことを少しでも役立つように、秋月先生が、あの世から、必死に私たちに何か大切なメッセージを伝えようとしていたかのようではないか?

私には、そのように感じられてならないのである。



(次回につづく)  

Posted by otsukako at 10:30Comments(1)TrackBack(0)

2011年08月06日

広島の原爆でひどい被爆をしながらも、元気な子どもを7人も産み、健康に育てた女性5

8月6日は、広島の原爆記念日ですね。

福島第一原発の問題も依然としてあるし、外国のメディアも注目するだろうし、海外からの来賓があるだろうし、今年の広島の原爆記念日の平和式典は、朝からあちこちのテレビ番組で中継されるものとばかり思っていました。

ところが、海外のメディアの問題意識の強さに比べ、日本の民放の各局は中継などせず、NHKが朝と夜の7時にニュースのようなかたちで放映したくらいが目立ったところで、あとは、式典の模様を各民放は、少しだけニュースで流す程度。私は、愕然とし、驚いてしまいました。

国と民放とでの一種の情報操作があったのではないか、と思いました。東京電力と民放各テレビ局との癒着を考えざるをえない気持ちになりましたね。また、菅 首相が行うであろう、脱原発宣言をできるだけ広くは報道したくない、という東電と株主関係か何かで癒着があるがゆえの情報操作を感じざるを得ませんでした。

私は、とくに大手マスディアは、ますます当てにならないし、信用できない思いがしてしまいました。インターネットでは、けっこう報道がテレビよりも活発であったように感じました。

国もマスコミも、国民に対して、かなりの情報操作をしてきているみたいで、何が本当の情報か、わからないままできている今日、ますます、われわれは、自分たちや家族の身を守るために、自分たちでサバイバルの知恵を磨き、自分たちでわが身と家族の身を守っていくしかない、と思います。

ことしの3月15日に、やむをえない思いから書いたブログで、長崎の原爆で、近距離でひどく被爆しても、その病院にいた70人全員が、原爆症にかからなくてすみ、そのグループを指揮した院長にいたっては、89歳まで長生きしたという実例を、ご紹介いたしました。まだの人は、読んでみてください。

また、その記事のもとになった、原爆60周年の2005年8月16日に書いた記事も、まだの人はよく読んでみてください。

現在は、福島第一原発の事故による放射能汚染の食料への被害が広がっており、小さいお子さんをお持ちのお母さん方の中には、ガイガーカウンター(放射線測定器)を常時持ち歩いて、放射能のチェックをマメにしている方も多いようですね。それは、神経質にもなりますよね。わが子の命を被爆から救わなければならないし、将来、自分の子が、がんなどにかかって欲しくないですから、神経をぴりぴりさせてしまうのも無理はないでしょうね。

ただ問題は、いくら注意を払っても、政府やマスコミの情報すら信用できないところが多く、結局、きりがない、ということです。いくら神経質になっても、放射能除去装置というような便利なものが、あるわけではないのですから、結局、どんなに調べてチェックしても、きりがなくて、むしろ、母親もヒステリーか神経衰弱になりかねなし、その影響がもろに不安定な子どもの心理へと反映されてしまう可能性がかなり高くなると思います。

かえって、そのことで、神経をぴりぴりさせ、神経を不安定にし、多大なストレスをかかえ、自律神経系のはたらきを大いに乱れさせ、生体の防御能力を低下させてしまい、それがそのまま、自分たちの子どもの健康にそのまま反映されてしまう危険性をこそ、親たるもの考えなくてはなりません。

さて、実は、長崎の生存者だけでなく、広島に原爆が落ちたときにも、まるで奇跡のような女性の例があります。

彼女の自由とプライバシーを守るために、名前はあえて伏せて、HSさんとしておきます。

HSさんは、広島に原爆が落ちたときは、まだ小学校3年生で、9歳だったとのことです。

この場合も、なんと爆心地から、たった2kmという近距離で被爆し、すごい爆風で、からだごと吹っ飛ばされ、放射熱で、皮膚は大やけど。腕、顔、髪の毛、まつ毛が焼けたそうです。とっさに目を閉じたので、かろうじて眼は大丈夫だったようです。その後、やけどのただれから、腕にはうじが湧き、ケロイドの苦しみがはじまってたいへんだったようですが、これ以上、苦しい思いをしたくないので、当時、流行ったという、ケロイドをすべて除去し、脚の皮膚を移植するような手術は、拒否したそうです。


その代わり、毎日、さすっていたそうで、また、配給でもらった梅干を、無意識に欲して、常に食べていたとのことです。

HSさんは、ケロイドを負ってしまった顔を、20歳までは鏡を見るな、と母親から言われるほどに顔にはやけどのあとが醜く残ってしまっていたようです。

HSさんは女性ですから、顔にやけどのあとも残り、また、ひどく被爆してしまった身、これでは結婚も無理だ、子どもの原爆症もこわいので、とても子どもを産むことなどできない、とあきらめていたそうです。

そして、この放射能の研究をするために、猛勉強して、広島大学理工学部に入り、物理学を専攻したといいますから、かなり努力家のインテリともいえます。

その彼女の運命を変えたのが、のちに結婚されたご主人。結婚なんかできないし、まして子どもなんか無理と言うと、「そんなことはない。体質は食べ物で変えられる。細胞は食べ物によって常に作り変えられているのだから、大丈夫。」と励まされます。

ご主人は、玄米菜食の実践者でした。結局、HSさんは結婚し、いっしょに玄米菜食を実践し、なんと信じがたいことに、無理だとあきらめていた子どもを、7人(!)も産みます。そして、その7人はみな原爆症など出ることもなく、健康で、とても元気に育った、という事実があるのです。アンビリーバブル!じゃないでしょうか。ブラボー!とでも、叫びたくなるような快挙じゃないですか。すごいことですよね。


HSさんは、白砂糖を完全にやめ、玄米と味噌と自然塩と根菜や海藻をしっかりとる玄米食を徹底したところ、みにくく跡が残っていたケロイドもうすくなって、ほとんど消えてしまったとのことです。これも、アンビリーバブル!まったく普通ならありえないような話ですが事実なのです。

彼女は、国立大学の理系の物理専攻ですよ。単に盲目的に、実行したわけではないはずです。やはり、例え、科学的に証明されたことではなくても、これは何か試してみる価値があると直観し、素直に実行する人には、思いがけない福が現実に来るものですね。

私は、多くの母親が、神経をすり減らして、ガイガーカウンターを持ち歩いて、ほんとうはよくわからないOOシーベルトとかの数値を気にして、毎日を先の見えない不安や恐怖のままに、為す手もなく、過ごすよりも、先人が体験した貴重極まりない事実から学び、だめもとくらいの気持ちで、将来の子どもたちの健康と命の安全を本気で真剣に考えるのなら、こういうことを、徹底して家庭でやってみるほうが、どれだけ現実的な希望を作り出していくだろうか、と考えます。

まったく先が見えない今、為す手がないままに、不安や心配のなかで、絶望的な気分で、現実に立ち向かうよりは、少なくとも、こういうあまりにもシンプルすぎることを、徹底して実行してみてはいかがでしょうか。

少なくとも、私は、そのほうがはるかに現実的なご利益をもたらすと、考えています。


こういうことをいうと、科学的に証明されたことではないとか、理屈で批判をしてくる人もいますが、そのときは、必ずより効果的だと思われる代替案を示してください。そうでなければ、単なる傍観的な評論家としての批判だとすれば、それは無責任ですよね。現在の状況に対して、より有効な代替案をはっきり明示してほしいと思います。それが明示できないなら、だまっているべきだと思います。

今、目の前にある先の見えない現実のリスクを少しでも減らして、現実をサバイバルして、自分たちの健康、子どもたちの健康をできるだけ可能な限り守っていかなければならない立場にある、われわれに、長い時間のかかる研究の結果をいちいち待っていられる時間的ゆとりはないのです。

巷での放射能汚染よりも、病院の中での放射線による被曝の方が、ガイガーカウンターではるかに高い測定結果が出るのではないでしょうか?だったら、なぜ、病院にはガイガーカウンターを持ち込んで心配することなく、平気で安心していられるのでしょうか。野菜だ、水だ、肉だ、とこわがって、放射能汚染には異常なまでに神経をとがらすのなら、安心してかかっている病院の中のでの被曝の方が実はこわいんじゃないでしょうか。病院内被曝(院内被曝)については、慶應義塾大学付属病院の放射線科講師の近藤誠先生が、はっきりと明言されているので、近藤誠先生の本をお読みください。

つまり、ガイガーカウンターを持ち歩いて、あちらこちら測定しまくること事態、すでに心理的な落とし穴に入り込んでしまっている、ひとつの証拠ではないかと思います。

できるだけ、リスクを減らす努力をしたら、あとは、開け直り、先人の体験に習い、それを素直に実行するほうが、はるかに現実的な対処であり、それなりのご利益があろうかと思います。


ましてや、われわれは、HSさんのように、近距離で原爆に被爆し、大量の放射能汚染を浴びたわけではありません。彼女より、はるかに良い条件下にあります。また時間的ゆとりも彼女よりあります。ある程度、準備していく時間があるからです。ましてや、ひどい放射能による被爆をしたわけではありません。われわれは、HSさんの場合にくらべれば、圧倒的に有利な立場にいるのではないでしょうか。

さらに、HSさんは、9歳で被爆して、20歳まで、徹底して体質のガードをしてきたわけではありません。あくまで玄米食に本格的に取り組んだのは、20歳を過ぎてからです。そこからはじめて、みにくいケロイドの跡を手術なしで消し、不可能と思われた結婚を成し遂げ、7人もの元気な子どもを産み、育てたという事実は、福島周辺で不安におののくお母さんたちに、大きな希望と勇気と明るさを取り戻してくれるのではないでしょうか。

放射能汚染の拡大で、政府もあてにならず、専門家も打つ手がない、そういうやるせない不安が広がる中、私は、あえて、そういう現実に直面して、どうしようもない心配や恐怖におそわれている、とくに小さい子どもを抱えたお母さんたちとそのご家族に、次の言葉を贈ります。

「不安なままでいるよりも、とにかくやってみなはれ。」


だって、先の見通しがまったく立たない現状で、政府も専門家も、全然当てにならないわけでしょう?だめもとでしょう?

このやり方に、薬による副作用のような危険性はあるでしょうか?

はっきりいって、ノーリスクですね。

だったら、実際に事実として体験をした人のマネをしたら、いいじゃないですか?

だめもとで、やってみたら、どうでしょうか?

私は、ガイガーカウンターで測定して、神経すり減らしているより、はるかに良い結果が期待できると思っています。


くわしい食べ物の内容については、3月15日に書いたブログ記事の内容をよく読んで、参考にしてください。

困難に直面している方々に、現実的な希望が拓かれることを切に祈っております。


* 1年さぼってまったく更新していなかった私のブログは、あまりアクセスはないはずなのに、なかばハラをくくって書いた3月15日の私のブログ記事にに、いきなり突然1日で1万8千ページビュー、1ヶ月で10万ぺージビューもアクセスがあった事実は、書いた本人がびっくりしたものでした。先行きが見えない不安の中にいる人が、いかに希望のある情報をほしがっているかということを痛切に思い知らされました。驚いたのは、その情報を、人から人へ、twitterからtwitterへ、と情報のリレーがどんどん自発的に行われ、次々に、私のブログでも紹介させてください、という申し込みが殺到したことにも、驚かされました。また、次々に好意的なお礼と感謝のコメントが次々に寄せられたことには、とても励まされて感動したものでした。

あるとき、60万部のベストセラーにもなった「人生の宝地図」の作り方の指導で有名な、長年おつきあいのる友人の望月俊孝氏と、このテーマについての重要性について語り合う機会がありました。すると、彼はこのことは一大盲点ともいえる重大な情報であることに、強く共鳴してくれ、あらためて時間をとって対談の機会を作ってくださり、「放射能汚染に負けない生体防御の力をつける」というテーマでの対談CDとして、おもに彼の会員向けのものとしてまとめてくれました。まさか、このテーマでの対談がCDになるとは思いもよらなかったので、非常にうれしく思ったものです。一応、彼に制作費を使わせてまとめていただいたのですから、そのことで損をさせるわけにはいきませんので、一応、私からもここに案内をさせていただくことにいたしました。どうぞ、ご了承ください。



  
Posted by otsukako at 23:48Comments(4)TrackBack(0)