ごぶさたしてしまい、申しわけありません。
ニューヨーク在住で、コーネル大学の終身教授をやっている米国人の親友が、無理がたたってか、突如、脳卒中で倒れ、言葉と腕に自由がきかなくなってしまったので、急遽、ニューヨークに飛び、一週間のあいだ、毎日病院にお見舞いに行くとともに、回復への指導もしてきました。
人から信頼が厚く、頼りにされ、頭の切れ、バリバリ仕事もできる、やり手で活動的な人が、突然、体の自由が効かなくなると、大いに活躍していた人ほど、ショックが大きいものなんです。バリバリやっていた社長さんなんかは、まさにそうですね。
私も、ずいぶん昔にネパールで倒れ、骨と皮になってしまったことがありますから、あのときの、自分の気持ちを思い出しました。両手の指をあわせて輪を作ると、その中にスッポリ足の太ももの部分がおさまってしまうなんて信じがたいでしょう?でも、そうなってしまったんですね。ほんとうになさけなく、みじめでした。
人から頼られるしっかり者と見られている人は、いやなもので、表向き弱音も弱気も見せないで、平気なそぶりをしているため、みな、「ああ、彼はしっかりしているから大丈夫だ、安心だ」などとタカをくくって、本気で心配してくれなかったり、それが弱っていて気持ちが敏感になっていると、えらく薄情に思えてきたりするんですね。
彼は誰からも頼りにされる、とくに乳がんの指導では、数多くの末期患者の命を救ってきた天才肌の男なんです。多くの人は彼をあてにして頼りにできるけど、彼には頼れる人がいないわけなんですよ。
これはけっこうつらいものがあります。苦しいですよ。弱い立場になっても、体がついていかなくても、どこかつっぱっていなけりゃならない。
こういうことを理解してあげる人が意外にまわりにいないで、彼に迷惑ばかりかけている。病院にいる彼に、さらに追い討ちをかけるように、次から次へと自分と自分の家族の蒔いたトラブルについて、彼を頼って、あれこれ子どものように病室に電話をして相談してくる人がいるのですから、たまりません。
人の心に超鈍感な人っていますね。相手に追い討ちをかけて、無邪気に笑いながら、苦しんでいる人にさらに焼きごてを押し付けているようなものですね。
最初、病室に足を踏み入れたときは、友人は、わざとしらとぼけて、「ああ、ニューヨークで何かの会合か何かあったのかい?」などと、しらとぼけていましたが、「いいや、君を助けるために来たんだよ。」と、はっきり伝え、毎日、その入院中のリハビリ病院に通い、薬にたよらないで回復するための具体的なノウハウをおしえ続けました。
がんばっている人ほど、自分が突然こけてしまったときのショックはかなりのもので、非常に大きな心の傷になっていたりします。「こんな状態になってしまうなんてなさけない、自分がふがいない」とつい嘆き、内心すごくあせるのです。
ここらへんまで見抜けなければ、本物の医療じゃない。
だから、「今はただよくなることだけに集中して、他のことは考えずに、禅の坊主になったつもりで、無心でいなよ。」と、くりかえし彼を諭しました。
そう休むときは、休むに徹しなければなりません。
より早く確実に回復するためには、「急がば、まわれ」なんです、ほんとうに。
早く完全に治りたいなら、あせらないで、目の前のことに淡々と取り組むほうがよいのです。バリバリやっていた人ほど、せっかちにあせります。社長さんに多いですよ、こういうせっかちなタイプ。だから、かえって治しきらなくなってしまう。
一週間、ニューヨークに滞在して、毎日病院通いをしたあと、友人と別れる際、いつもはとても冷静な彼が、男泣きをしていたのには少々驚きました。やはり、よっぽど内心うれしかったんだと思います。
彼には恩もあるし、ほんとうに無二の親友と思っているので、また、将来的にも、いっしょに有意義な仕事をしていきたく思っている同僚、同志でもあると思っているのです。
だから、こういうケースは、倒れたあとタイミングよくどういう上手な対処をしたかで、その後の回復の度合いが決まってしまうので、「やはり、ここは友人として、黙って見ているわけにはいかん、できる限りのことはやってやらんと、いかん」と強く思い、あえてニューヨークにまで来たわけです。
ほんとうに思い切って来てよかった、と思いました。また、現場に足を運び、本人と直接、話ができると、より正確な現状把握と判断ができますからね。
やはり現場に足を運ばないと、ほんとうのことはわかりません。
まわりから聞いた情報には、かなり誤解や間違いがありましたから。
そこは、ニューヨーク大学のリハビリ専門病院でしたが、かなり自由で、明るい雰囲気で、見直しましたね。
そのレポートもいずれ書きたいものです。
ニューヨークですから、病室にいる人も、まさに人種のるつぼ。
ユダヤ教のキャップを頭にかぶった患者さんもいましたよ。
よく研修医がまわって、友人に声をかけていましたが、だめな医者とそうでない医者は歴然としてますね。
だめな奴は、やたら覚えたての血圧の知識を総動員して、もっともらしく数値の分析をして説明していました。いらないって、そういうまことしやかな医学知識のぶりっこは!
そういうことやれば、患者さんはますます数値にとらわれ、それを気にして、その数値の変化に一喜一憂するようになり、じっくり腰を落ち着けて治せなくなるじゃないですか。
これだから、知識偏重の暗記型秀才医者は困る。
相手は、生身の人間ですからね。そういうことをいったら、相手がどのように感じてしまうかくらい考えろよな、といいたい気分でしたね。
できる奴は、なにげない話を明るくしながら、同時に、相手の様子をよく観察していて、すでに患者さんの体調の変化をしっかり読んでいるんですね。
知識の暗記よりも、目の前にいる生きている患者さんの様子を正確に観察・判断できる人のほうが名医でしょうね。
いい医者になる人は、一回は死にそうな病人になるくらいの経験しないといけませんね。