このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」の知恵について、目からウロコの情報や発想を、わかりやすくお伝えすることです。
末期がんになっても生き延びてしまう人に共通するものは何か?
これが、以前、皆さんにご自身で考えていただく質問として投げかけた問いでした。
何人かの方から、とても良いコメントをいただき、感謝しております。
ほとんどの方が、自分だけは、おそらく大丈夫、と思って、日々を生きています。
ある意味で、誰かががんになった、と聞いても、お気の毒に、とは思っても、実際のところは、しょせん他人事ですから、実感はないわけです。
また、ほとんどの人が、明日も同じように自分は生きていられると、タカをくくっています。明日、交通事故で、あっさり亡くなるかもしれないのに。
誰もが、明日の命の保証など、ありません。あくまで未来は、「一寸先は闇」であり不確実なものです。
「誰もが同じように明日もわからぬ身」― そういう意味では、末期がんになった方々と、そうでない方々に、たいして差はありません。
ただ、がんと宣告される当事者になると、そりゃ誰でも、ほぼ間違いなく、表面上、どんなに冷静にふるまえたとしても、内心は、超パニックになりますよね。
今まで、まだまだずっと先で、自分には関係ない、とタカをくくっていた自分の死の問題が、急に目の前に迫ってくるような感じになるからかもしれません。
ちょうど、いきなり不意打ちを食らうような感じでしょうか。
誰もが、当事者本人になれば、まちがいなく、不安と恐怖で、取り乱します。無理はありません。そうであって、当然だし、自然だと思います。
病院を頼り、医師を頼り、そういういざというとき頼りにしたいものが、意外に、あまりにも頼りにならないことを、いやがおうでも現実に自分自身の問題として突きつけらます。
そうなると、いったい、どうしたらいいのか、とますます不安と恐怖でパニックになりやすいこともしかたありますまい。誰もが弱いところのある血の通う人間ですから。
ある知人が、健診で、食道がんが発見され、あわてて手術を行なった、ということを知らせてきました。そして、いきなり結論的なアドバイスを求めてくるのですが、あまりに限られた断片的な情報だけで、こちらにいきなり解答を求めてこられるのも、非常に困るものなのです。
なぜなら、その人の今までの病歴も、病気の経過も、生活習慣も、何も、そういうことについて、具体的で、まとまった情報をほとんどおしえてくれもしないまま(一度も会ったことのない見知らぬ人の場合もあります)、いきなり、どうしたらよいか、とインスタントな解答だけを求めて聞いてくるのですから。
人は体質など、みな異なるものですし、ある病気になるに至った背景には、それなりの体の側の事情があるでしょうから、そういうことが起こる背景について、なんの具体的な情報も提供されないまま、インスタントな解決方法を、いきなり求められても、そんな虫のいい話にカンタンな答えなどあるわけがありません。
自分の置かれた状況を冷静に見ることなくして、てっとりばやい方法を見つけようとあせるから、根拠のない健康食品業者の広告にのせられたり、くだらない霊能者の、やはり根拠のない話に、翻弄されたりするわけです。
昔、ある人の紹介で、がん予防秘法250万円とうたって、信者から金を取っているような、とんでもないインチキ霊能者に会ったことがあります。現在もけっこう名前を売っている霊能者で、予備校の経営までして自分が経営する出版社から本を何冊も書いているような人ですから、うっかりだまされないように十分に気をつけてくださいね。私にいわせれば、こういうのこそ、もっとも性質の悪い犯罪だと思っています。口のうまさで、人の弱みにつけこみ、根拠のないことで法外な大金を巻き上げるからです。
病気というものは、その病態生理も含めて、くわしく慎重に調べた上でないと、へたに安易にアドバイスをすることなど、責任上できないものです。それなのに、いざとなると、ほとんどの人は、具体的な自分自身についての情報提供も経過報告もないまま、まるで相手が千里眼の超能力者であるかのように、いきなり解決策を求めてきますから、しょせん無茶な話です。
わらをもつかみたい思いなのは、誰でも同じでよくわかります。
でも、他人まかせや「おすがり」の気持ちでは、末期のがんを克服し、生き延びることは、まず無理です。腹をくくり、しっかり自分自身と向き合うことが、まず不可欠です。
だからこそ、自分を第三者の目で見る視点が、とても大切になってきます。
そういうときこそ、自分が今どういう状況に置かれているのか、ということをできるだけ正確に認識していないと、砂漠の真ん中に、いきなり地図も水筒も用意せずに、やってきて、次々と現れる、オアシスの蜃気楼に向かって走り出すようなことを何度も繰り返してしまい、ただ体力の疲労と心労を増すばかりです。
砂漠にただ一人、コンパスもなく、地図もなく、水筒もないまま、いきなり放り出されたようなときほど、体力の消耗を防ぎ、太陽や月の位置などを慎重に観察して、できるだけ正確に「自分は今どこにいるのか」とういうことを、まず知らなくてはなりません。
なぜなら、自分のいる現在位置がわからなければ、どこに向かったらよいのかすら判断できないからです。
見るに見かねて、限られた断片的な情報からだけで、やむをえず、可能な限り推測できることや、今できることについて、励ます意味でやや具体的なアドバイスをすると、今度は、5年単位の長い目で考えなければならない問題なのに、あたかも軽い風邪が治るかのように、非常に甘い観測で、まるで健康食品を摂れば、がんが1〜2ヶ月で簡単に消滅してくれるにちがいない、と今度は甘い思い込みで期待してしまうケースも非常に多い。でも、そういうことは、まず、おこらないです。
がんは、そうあまくはありません。風邪が治るような感じで、1週間や1〜2ヶ月で、がんがすっきり消えて無くなる、などということは、まずありえません。
ほとんどの健康食品関連業者は、そういう意味では、みな大ウソツキですし、まさに犯罪的だと思います。
ましてや、アガリクスなどは、がんをかえって増やしてしまうというケースだってある事実も、きのこの抗がん作用の研究について世界的に権威がある第一人者の研究者である池川哲郎博士の研究によってしっかりたしかめられているのですから、それを「がんに効く」とうたって高額で販売する大企業も含めた販売業者は、犯罪的だと思います。
(もちろん、科学的なデータをできるだけ調べて、品質にも非常にこだわっているような良心的で誠実な業者も、例外的に存在しますから、健康食品会社すべてを否定するわけでありませんよ。ただ、あまりにひどいいい加減なものが、ただ売れさえすればいいというようなものが大手企業も含めて多すぎるのです。)
よくよく考えれてみれば、がんが肉眼で確認できるくらいの大きさになるまでに、最初のがん細胞ができてから、最低10年以上はたっているといわれているのですから。長年の積み重ねの上で、じわじわと時間をかけて、自分の体の中にできたものが、あっというまに短期間で消えてくれること期待してしまうことも、あまりに虫のいい甘い考えなのではないでしょうか。
さて、前回にも、申し上げたように、現実に、肝臓に8cmくらいの直径のがんがありながら、10年以上経過した現在も元気で、山登りにもどんどん出かけていってしまうような人もいます。
その方は、がんにまつわる不安や恐怖も味わい、手術も経験し、抗がん剤も経験し、その副作用で体に麻痺症状がおこるなどのつらい経験をしたうえで、「もうこんなことをうじうじやって、つらい思いをしながら我慢して生きるのはごめんだ!冗談じゃない!もう、こういうものに頼らず、自分の人生は自分で決めることにした。絶対に生きて、好きなことをどんどんやることに決めた!」という一大決断をされています。
その方は、それ以降、がんと見事に共生しながら、大いにやりたいことをやり、人生を思い切り充実されて生きておられるようです。
以下は、諏訪中央病院で有名な鎌田實医師から聞いた話です。
このようなお話であったように記憶しています。
ある主婦の方が、もう余命いくばくもない、あともって数ヶ月かという、がんの末期状態に入りましたが、その婦人は、鎌田医師に、このように、はっきり言ったのだそうです。
「私は、まだ死ねません。娘が学校を卒業する姿を見届けるまでは、どうしても死ねません。どうしても生きますから、どうぞ協力してください。」
医師たちは、できるだけの協力はすることを約束しましたが、さあ、もうもって数ヶ月、とても娘さんの卒業する時期までは、とても無理と考えていたようです。
ところが、そのご婦人は、そういう目標をはっきり持ってから、みるみるうちに持ち直し、娘さんの卒業前には、自宅に一時戻り、娘さんのためにお弁当を作ってしまいます。
そして、とうとう娘さんの卒業式の晴れ姿を見届けたばかりか、さらに長生きし、もう余命いくばくもないといわれたときから、2年近くも延命されたようです。
また、鎌田医師らは、チェルノブイリ原発事故で、放射能に被曝して白血病にかかってしまった子どもたちのために、医療奉仕団として、しばしば現地を訪問しているとのことですが、その現地で、白血病にかかった子どもたちの治療と世話をしている、まるでマザーテレサのごとき献身をしている女医さんがいたそうです。
ところが、白血病の子どもたちの世話を一心にしている彼女自身が、白血病にかかってしまいます。鎌田医師らは、ただ心配するばかりだったようですが、彼女は、いたって明るく、こう言い放ったそうです。
「何を心配なさるのですか?心配などいりませんよ。私は死にませんし、大丈夫です。私には、この子どもたちがいますから、ゼッタイに死にません。」
そのキッパリした断言に、鎌田医師らは、非常に驚いたようですが、なんと言葉どおり、彼女は、自らの白血病を見事に克服し、完治させてしまうのです!
私は、この話を聞いていて、ひどく感動してしまい、理屈を超えて、ただ涙がこみあげて止まりませんでした。
そういう話の後で、少しだけ、鎌田先生と直接言葉を交わす機会があり、その折、私は、ひとことこう言いました。
「先生、お話をうかがっていて、生きると心底決めてしまった人は、ほんとうに強いですねぇ。」
こう申し上げると、鎌田先生は、このようにいってくれました。
「まったく、そのとおりです。生きると自分で決めてしまった人は強いです。」
とくに単に自分だけのことではなくて、子を持つ母親としての愛情と使命感にあふれた決断と決心には、理屈をぶっとばすような母性的な力の強さを感じさせます。
まわりのご家族の協力や愛情、そういうものが心の支えになるところも多いでしょう。
でも、人によっては、そういうものを得られない人もいます。それでも断固として生ききる人がいます。
さんざん迷い、不安になり、恐怖にも襲われたりすることは人間だから当然でしょう。
しかし、そういうものに直面したあげく、人間がぎりぎりのところで、あえて開け直り、「自分はゼッタイに生きる」と、理屈を超えてキッパリ決意してしまうこと、がん細胞があろうがなかろうが、そう腹の底から決めてしまった人に、どうも、私は、見事に末期のがんでも克服してしまい、延命される人が多いように思えるのです。
「生きるとキッパリ決めてしまうこと」−これこそが、末期がんになっても平気で延命したり、それを克服してしまう人の共通項のようです。
一見、単純なことのようですが、このことの意味するものは、人生の「実存的変換」ともいえる根本的で深い意味を持っているように思えます。
「言うは易く、行なうは難し」ですが、こういう理屈を超えた決断は、高学歴で知識にしばられやすいインテリよりも、無学でも素直な人のほうが、はっきりと良い結果を出せるような気がしています。いのちの力を目覚めさせるものは生きた知恵であって、単なる机上の知識ではありません。
高尚な哲学を語り、自社ビルをいくつも所有し、若い頃は、世界は自分を中心にまわっているとさえ豪語したほどに儲けまくり、実業家として大成功した方が、60歳になってがんになり、背骨にがんが転移して、下半身不随になって車椅子生活になったとたん、高尚な人生哲学はどこへやら、わがままで駄々っ子のただの幼稚園児みたいに変貌してしまったような例を私は身近に見てきています。人間はそのように、いざとなると弱いものです。ぎりぎりの状態に追い込まれると、人というものはわからぬものです。
一方、ふつうの平凡な女性であっても、25歳で、若くして胃がんで亡くなることになりながらも、それをあるがままに受け入れて、まわりの人たちに感謝しつつ、見事に死に相対していったような潔い若い女性もいます。
こういう体験をすると、人間の生と死という問題に関しては、ぎりぎりのところに来ると、社会的な名声や地位やそういうものとは、まったく関係がないものなのだな、と痛感します。
私は、死に相対することの見事な人は、やはりどんなに平凡に見えても、人間として生きざまが見事であったように思えてなりません。
さて、がんに関しては、誰もが、自分自身やご家族のことで、身近に体験されると、大いに悩み、迷われるのではないかと思います。
そこで、そうときに役立つ知恵として、「がんと宣告されたらどうしますか?−がんに対処する知恵」というレポートにまとめてみました。
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がんに対処するには、冷静に、かつ、キッパリが肝腎なようです。どうぞ知恵をお役立てください。いざというときに、どれだけ役立つかわかりませんから。