このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理や「命もうけ」に役立つような知恵のヒントをわかりやすくお伝えすることにあります。
小手先の健康法よりも何よりも、人間や生命が、まさに自然が生み出した信じがたい驚異的で稀有な存在であることを、生きているうえで、しっかりと認識かつ直観することが大前提として何より大切なことなんだと思われてなりません。
いろいろな健康回復のノウハウは、そういう大前提の大きな知恵に、あとから自然についてくるものだと思っています。
先回、体のひとつひとつの細胞にあるDNAを一本につないだら、とてつもない長さになる事実をお伝えして、人間の命というものの信じがたいまでの絶妙な仕組みが、まさに自然が生み出した奇跡であることについて書きました。
先回の記事を書きながら、20年前に出会い、背筋がぞくぞくするほど感動した、インドの詩人タゴールの詩を思い出しましたので、ご紹介しておきます。
まさに、脈々と世代を超えてつながっていく生命の波打つようなつらなりについて直観し、それを讃えた生命の讃歌ともいえるものかもしれません。
「昼となく夜となく、わたしの血管をながれる同じ生命の流れが、世界をつらぬいてながれ、律動的に鼓動をうちながら、躍動している。
その同じ生命が、大地の塵のなかをかけめぐり、無数の草の葉のなかに歓びとなって萌え出で、木の葉や花々のざわめく波となってくだける。
その同じ生命が、生と死の海の揺り籠のなかで、潮の満ち干につれて ゆられている。
この生命の世界に触れると わたしの手足は輝きわたるかに思われる。
そして、いまこの刹那にも、幾世代の世代生命の鼓動が わたしの血のなかに脈打っているという思いから、わたしの誇りは湧きおこる。」
― タゴール「ギタンジャリ」より
この詩を読み返すと、そのときどきで新たな感動を私は覚えて、何か生き返ったような気持ちになります。フランスの哲学者ベルグソンは、このような生命の脈々たる躍動する連続性のことを、「エラン・ヴィタール」(生命の飛躍)と呼んでいるようです。
このタゴールの詩や、この「エラン・ヴィタール」(生命の飛躍)のコンセプトは、実は私のライフワークを貫く根本テーマです。私にとって、あくまで健康や医療の問題は、このテーマの中の小さな一部に過ぎないという思いもあるのです。
以前PHP研究所より出版した「きっと治る―『生きるよろこび』が体を癒す」という本の締めくくりに、このタゴールの生命讃歌ともいえる詩を、読者への生きる励ましのメッセージとして、紹介したものですが、そこに、私がタイの北部のメーホンソンで自ら撮影した、日の出とともに、まばゆい光の中に咲きだした花たちの風景の写真作品を、編集者にたのんでカラーで添えさせていただきました。
その本のページから直接スキャンしたのであまりきれいな写真のコピーができませんでしたが、読者の皆さんの偉大なる命へのささやかなエールとさせていただきますね。