2006年04月25日

統合医療は、なぜ必要か?

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理や「命もうけ」として役立つような、目からウロコの情報や発想を、わかりやすく、やさしくお伝えすることにあります。

 ところで、このブログ記事の横に、統合医療についての解説は、まとめた形で書いてあるのですが、それでも実感として、なぜ、統合医療が、これから必要なの?ということについては、今ひとつ、時間が湧かない方も多いかと思います。

 今回は、そこのところを、もう少し具体的に、例を出して、少しづつ考えてみたいと思います。

 統合医療というと、何かイメージでは、現代西洋医学と東洋医学という一見、水と油くらいに違うように思われるものを無理矢理くっつけるような感じににもとれますが、ただ強引にむすびつけようとするものではなく、それぞれの視点を大切にしながら、そののときの患者さんの状況に対して、もっとも最良の選択をする医療の試みといえます。

 昔、高校時代、授業で柔道があったのですが、下手な相手にへんな投げられかたをされたせいか、うまく受身が取れず、背中からモロに落ちて、そのときのショックのせいか、急に耳の穴を指でふさいだように聞こえる音がこもり、よく音が聞こえなくなり、どうしていいかわからなくなって困ったことがあります。

 こんなとき、人間のからだをバラバラに視る現代西洋医学では、別に目に見えるケガをしているわけでないのですから、整形外科に行ってもまず治せないし、耳鼻科に行って耳をいじったってダメなのは目に見えています。また、薬で何とかなるものでもないことも直感的にわかりました。あのとき、現代西洋医学の医者に駆け込んでいたら、まず治らず、難聴のままで、その後ずっと過ごすことになっていたかもしれません。

 幸いに、昔から家族でお世話になっている鍼治療の先生を知っていたので、すぐにそこに駆け込むと、状況を全体的にとらえて、特別治療として、指先を切って先から血を出すなどの処置をしてくれました。そういう治療をしているうちに、見事に耳の聞こえ方も正常になり、難を免れました。通常の病院の治療は、単なる症状を抑える対症療法が中心なので、こういう背中から落ちたショックで起こった聴覚異常の症状に対して、全く無力でありましょう。

 では、なぜ、通常の病院で、こういう鍼治療ができないのでしょうか?あったほうが便利じゃないですか。 

 もし、そのとき、普通の病院に駆け込んでも、その状況に最適な方法を東洋医学的な視野も持った上で、医療者が選択してくれるのであれば、私は、迷わず、まず病院に行ったことでしょう。

 でも、そんな医療など、実際にほとんどの病院で行われていないのです。こういう私の体験したケースなどは、いったいどこの診療科に行ったらいいか、わからない。こういう場合、ほんとうに患者は困るわけです。

 別に現代西洋医学を否定しているわけではありません。

 もし、交通事故にあってケガをしたら、救急病院で外科的な救急医療を受けるのがよく、そういうときに、漢方薬局に駆け込む人は、まさかいないでしょう?

 でも、たとえば、手術をして、体が弱っているとき、からだの免疫力を回復させるために、考えられた食事や栄養、さらに漢方、鍼灸などを併用すれば、術後の排尿困難などをすんなり回復させる手立てもあるのに、病院では、西洋医学的なやりかただけで、そういうやりかたをうまくブレンドしてはくれません。西洋医学しかやらないから、治らないままでいる病気だって、たくさんあるでしょうね。

 また、人間の病が癒される、回復するということは、機械の修理とは違いますから、心身両面に配慮して、患者さん自身の治癒能力を最大限に導けるように配慮しなければならないのに、必ずしも、そういう人間を丸ごとみる医療になっているとはいえません。

 医療の専門家たちは、違う体系を持つ西洋医学と東洋医学が、うまく統合されて治療に使うのはむずかしいと頭でかえって複雑にして決めつけていますが、意外に、案ずるより生むが安し、で、患者さんの置かれた状況に合わせて、患者さんにとってベストな選択をしていくという視点があれば、けっこううまく助け合えるものです。

 患者さんにとっては、西洋医学であろうが、東洋医学であろうが、その他の治療法であろうが、そんなことはどうでもいいことであって、自分や家族にとって、より安全で、より効果があり、それでいて、あまり高価すぎなければ、なんの治療であってもいいわけです。

 学会での議論などを聞いていると、医療の専門家とか、医学の権威といわれる人たちには、こういうあたりまえの患者の視線でものを見ることが、あまりにもできていないように、感じることが多いものです。

 患者さんにとって、より頼りになる医療を考えたら、当然、統合医療的な考え方にならざるを得ないと思うのですが。


   

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2006年04月13日

健康で幸せに、のびのびエレガントに年をとる生き方

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理や「命もうけ」の知恵として役立つような、目からウロコの発想を情報や発想を、わかりやすくお伝えすることです。

 米国のみならず、世界で有名な医師、アンドルー・ワイル博士の新刊の翻訳本がやっと、日本で出版となりましたので、ご紹介します。日本語版のタイトルは「ヘルシーエイジング」(アンドルー・ワイル著、角川書店)です。
ワイル博士の「ヘルシーエイジング」

 この本の英語オリジナル版「Healthy Aging」については、昨年2005年の10月にすでにブログでご紹介したとおりです。全米でベストセラーになり、そのトピックが、世界的に有名なニュース雑誌「TIME]の表紙のカバーストーリーになったほどです。

米国では、肉食で老けるのが早いためか、ホルモン剤を注射したり、美容整形手術で、自らの日頃の不節制は棚に上げて、インスタントに若返りを図ろうとする、あさましいわがままな人たちがあとを絶ちません。金に物をいわせて、強引に若返ろうとしますね。そういう米国での表層の流行を、まことしやかに日本に直輸入する業者も多いようですが、そういう安易な発想の目立つなかで、「年をとることは、そんなに悪いことではないし、あくまで自然なプロセスだ。」と、そういう事実を、まず潔く受容するところから出発している点が、ワイル博士の洞察の深いところです。多分に東洋的な人生観からの影響があるようです。英語オリジナル版「Healthy Aging」by Dr. Andrew Weil, MD

考えてみれば、年齢を逆行させて、赤ん坊に戻ることなど、できないわけで、永久に生きることも、若いままでいることもできないのは、自然の摂理です。年をとった人が、急に赤ん坊みたいに戻ったら、それこそ、今どきの言葉でいえば、「キモイ」じゃないですか。

 しかし、「生きることに知恵ある者は、上手に生き生きと年齢を重ね、のびのびと幸せにエレガントに年をとっていくこともできる」という点を、具体的に掘り下げて、生き方だけでなく、栄養やライフスタイルに関する具体的なアドバイスまで、しっかりしているところに、ワイル博士の持ち味があります。

TIME Oct. 17, 2005
ワイル博士は、インスタントな手っ取り早い方法などおしえません。むしろ、いかに自然の摂理にさからわず、むしろ、その理を生かして、いかに生き、上手に幸せに老いていくか、という人生全般を考えています。その知恵も、やはり「急がば、まわれ」ということのようです。

 ワイル博士とは、もう15年以上にもなる長い友人づきあいをしていますが、そういう交流の中で、ワイル博士のお母様とも親しく、おつきあいさせていただいた思い出があります。

 ワイル博士のお母様は、93歳で数年前に亡くなるまで、ほんとうに生きることを楽しんだ、非常に生き生きとした好奇心をもった方でした。ワイル博士のお母様の家に、以前、何度か泊まらせていただいたことがあるので、よく知っています。

 90歳近くになっても、こんどはインドを旅行したいわ、などと生きる好奇心が尽きない人でした。エレガントな見事な年のとり方のモデルになるような女性で、ワイル博士と、ときどき「ジェニーがなつかしいね。」と語り合っています。

 本のなかにも、そのお母様、ジェニーのエピソードが出てきます。親切で看護婦のように人の世話をすることが好きで、よく気がつく芯の強い女性でした。

 フランソワーズ・サガンという有名なフランスの女流作家がいますが、彼女は、過度のアルコール摂取、ヘビースモーカー、連日の夜遊びで、とことん不節制の限りの尽くし、彼女が40歳になったときの写真を見たら、まるで70歳半ばを過ぎた老婆のようでした。整形してもゼッタイに無理なくらい、顔がしわしわで驚きました。不節制のツケは、確実に非常にはっきりと老化に反映されるようです。

 肉食民族の、欧米白人らとちがい、日本人は、年の割りに若く見られますから、ほんとうに日本人は、そのことをうれしくありがたく思うべきではないでしょうか。

 不節制の限りを尽くして、あわてて、若返ろうとしても、自然の厳格な因果の法則は、くつがえりません。だから、自然の法則に逆らわない「急がば、まわれ」的な、上手な年の取り方に知恵が必要となるのでしょう。

 「多くの人たちは、不節制のあまり、年若くして自殺している」

という言葉もあります。

 「いかに生きるか」という問いは、「いかに年をとっていくか」という問いにつながり、ひいては、「いかに死ぬか」という問いになり、それでは、「いかに生ききるか」という問いに立ち返り、今の生き方を考え直すきっかけとなりそうです。

 かたいことはいいません。皆さん、この世では一度きりの人生。のびのび生き生きと、生きることを大いに味わい楽しみながら、上手にエレガントに年をとっていこうではありませんか。
   
Posted by otsukako at 09:32Comments(0)TrackBack(0)

2006年04月05日

ダイエットは、なぜ、たいてい失敗するのか?

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理や「命もうけ」の知恵として役立つような眼からウロコの情報や発想を、わかりやすくお伝えすることにあります。

 金融・経済のエキスパートである木村剛氏が、ご自身のブログで、私の先回のブログを取り上げてくれて、うなってくださったそうで、とてもうれしく思っております。ありがとうございます。

 是非、シンプルな王道を実行され、花粉症の症状をうまく改善していただきたいものです。

 食生活というものは、日々、あたりまえに日常化しているものゆえ、一大盲点になりやすいものです。

 さて、その食生活をコントロールして正し、体質を変えようと、意志の力だけで実行しようとすると、いつもとちがうことを習慣化しようとするので、そのストレスが反動となってしまいがちで、途中で挫折しやすいものですね。

 人間は、わがままですから、無理矢理、意志の力で行おうとすると、その反発がきます。

 「頭でわかっちゃいるんだけど、なかなかむずかしい」というやつです。

 ですから、ある習慣づけの軌道に上手に乗っかるまで、うまく自分を誘導し、条件づけしなくてはなりません。

 また、目標も、ただ自分のために、というより、家族のため、息子や娘のため、というように、自分以外の人たちとからめて、「だから、自分は、こうするのだ」と決意すると、より挫折しにくくなります。

 さらに、いきなり、これもだめ、あれもだめ、というネガティブな消去法で、ダイエットを考えるのではなく、いったん口に入れるのをお休みするものを決めたら、すぐに、それ以外に、代わりにこれもあるし、あれもあるし、いろいろ他のオプションが豊富にあることを自覚されることです。

 「なーんだ、こんなに他に食べれるものがあるじゃないの」と思えれば、OK。

 食生活の改善は、人のわがままな心理の裏をかくと、上手に軌道に乗せやすい。

 そのコツを申し上げましょうか?

 ダイエットをうまく軌道に乗せようと思ったら、開始する前日に、意を決して、わざと徹底してお腹がはちきれるくらい暴飲暴食してみるのです。

 もう翌日は、もう、食べものを見るのもうんざりするくらいになりますね。否が応でも、無茶をやったので、胃腸も休みたいので、食べたくなくなる。

 また、花粉症の人なら、アルコールを飲んだり、食べ過ぎたあとは、当然、症状はひどくなり、不快になります。

 体が食べることにうんざりしている、また、花粉症の症状が悪化してしまっていやだ、という気分のタイミングを逃さず、すかさずダイエット・コントロールに入るのです。

 食いすぎて、食うことにうんざりしているあとなので、今までとは違う少食のダイエット・コントロールを、非常にしやすくなります。

 コツは、食べ過ぎて、もううんざりしている気分のところから、いっきょにダイエット・コントロールの習慣づけをしていくことです。

 いきなり意志の力で、あれもだめ、これもだめ、という消去法でダイエットしていくより、はるかに軌道に乗せやすいです。

 私は、海外出張が重なって、かなり太ってしまった時期に、こりゃいかん、ということで、意を決し、わざとバカ食いして、食べるのも見るのもいやになった翌日から、すんなり少食のダイエット・コントロールをにして、胃袋を小さく条件付けしてしまい、1ヶ月で、無理なく15kgほど体重を落としたことがあります。

 そして、最初の1週間が、習慣づけるための勝負で、そのときに自分以外の人にからめた使命感ある目標設定がものをいいます。2週間目からは楽です。

 食生活の改善をして、体質を根本から変えたい人や体重を落としたい人は、こういう心理的に入りやすい条件付けをしてみると、うまくいきやすいようです。

 軌道に乗りはじめると、「おやっ?いつもより体が軽い」とか、「あれっ?いつものような花粉症の症状が出なくなった」などという体の変化を、はっきり自覚できて、うれしくなるので、さらに気を良くして続けやすくなります。

 思いっきり飲み食いやって、思いっきり症状をわざとひどくして、その逆にうまく飲食を誘導し、そのあとの結果が、はっきりと体で自覚できるように、自分を心理的な気分の波に乗せてしまうことがコツです。

 木村剛氏の体質改善のチャレンジにも、是非、このコツをお役立ていただきたいものです。


   
Posted by otsukako at 06:06Comments(0)TrackBack(0)