2005年08月25日

世界心身医学会議

 このブログは、経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」に役立つような知恵を、わかりやすくお伝えしていくことが目的です。

 今、神戸で、第18回世界心身医学会議(The 18th World Congress on Psychosomatic Medicine )が開催されていて、それに参加している最中です。

 会議の発表が、すべて通訳なしで英語だけなので、一般的な日本人の医師や医学者、臨床心理学関係の方々には、かなり敷居が高いかもしれません。でも、世界での多くの国際会議は、オール英語が当たり前です。

 こういう国際会議に参加していると、器用に少々英会話などできてもまったく無意味で、いかに英語で積極的に内容ある自己の主張を、どんどんできるかどうかが勝負だな、と、つくづく感じてしまいます。

 英語をいかに上手に器用に話すかよりも、いかに英語で伝えたい内容をはっきり伝えられるかの方が断然大切であることを、あらてめて思い知らされます。

 ペラペラしゃべれることより、発音がへたでもいいから、内容がはっきり相手に伝わることの方が重要なのです。

 
駅前留学の英会話レッスンぐらいでは、まったく歯が立たないと思います。かなり高度な専門的な内容を、博士号を持っている連中と、英語でやりあわなければならないんですから。

 国際会議の場で、日本人参加者は、どちらかというと、やはり「待ち」の姿勢で、質問も遠慮がちですが、海外からの参加者は、すぐにマイクに向かって歩いていき、どんどん質問し、コメントしていくことに、まったく遠慮がありません。

 今回は、毎年たくさん開催される日本での国際会議のひとつにだけ、開会の祝辞を述べるという公務があるという、天皇皇后両陛下が来賓として開会式に臨席され、生まれてはじめて近くで、そのお顔を拝見できた幸運をとてもありがたく思っております。

 心身医学(Psychosomatic Medicine)とは、ひとことでいえば、心身の相関関係、すなわち、「心と体のむすびつき」を重視して、健康と病気を考え対処する医学ですが、その内容については、いずれあらためて書くことにします。

 会議に参加していて、どうも「うつ病」が、世界的に問題になっているようで、その症状が、心や精神の面からではなく、まずは、不眠、倦怠感、疲れが取れない、などの身体的な症状から徐々に始まることが特徴で、普通の医者は、よく見逃してしまうことが多いのだそうです。

 そのため、うつ病と、はっきりわかるまでに、かなり重症になってしまうことが多いようです。責任感のあるがんばりやさんが、いつのまにか、うつ病を進行させてしまいことが多いようで、自分だけは大丈夫だ、と思いやすい経営者の方々も、注意が必要です。

 最近、日本で20歳前後の若い女性にも、うつ病が増えているように感じます。

 私は、うつ病の患者さんに共通することとして、皆に自律神経失調があると思っています。

 アレルギーのところでも述べたように、自律神経失調は、身体的な病気であれ、精神的な病気であれ、どうも現代のさまざまな病気の背後に、しっかり根を落としているように感じています。





  

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2005年08月21日

書評

 本来、このブログは、経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」の知恵となるような情報や発想のヒントをお伝えすることが目的ですが、メイン・テーマ以外にも、私の眼で見たさまざまな情報をお伝えします。

 以前、ご自身のブログ記事で私のブログ記事を紹介してくださった、有名な金融コンサルタントの木村剛氏が、以前11万部のベストセラーになった本を全面的にバージョンアップされて「最新版 投資戦略の発想法」(アスコム刊)を、最近出されました。どうも、出てすぐに、またベストセラーになっているようです。投資戦略の発想法
 私は、金融関係は、まったくのど素人であり、門外漢なのですが、勉強のために購入してみました。

 読んでみて、エビデンスをきちんとデータで示しながら、バランス感覚よく、読者に対してさまざまな配慮や心配りをしつつ、金融と経済についてのモノの考え方の基本をしっかり押さえて、とてもわかりやすく書いてあることに、感心してしまいました。

 実は、はるか昔、学生のころ、経済学とか経済学者というものに大きく失望してしまったことがあり、そういう分野の人たちのいうことは、ほとんど信用していなかったので、なおさら、です。

 というのは、学生のころ、経済原論というものの講義を聴いたとたん、「人間は合理的にモノを買う」というような大前提で、ほとんどの理論が成り立っていることに気がつき、「だって、人間は、必ずしも合理的にモノを買うとは限らないじゃないか。」と疑問が湧き、これはおかしい、と思ってしまったからです。

 そういう疑問を教授にぶつけ、経済学が、経済活動という「人間の行動」の研究でもあるならば、「なぜ、経済理論に、『経済心理学』なるものがないのか?」、と突っ込むと、いやがられて、そういう領域の研究はないし、やっていない、などと、冷たくいわれてしまいました。

 また、1978年ごろ、米国で有名なマサチューセッツ工科大学(MIT)に研究留学するため、近々渡米することが決まっていた理論経済学の助教授に、「マスコミは、日本経済が不況とかいっていますが、先生は、今の日本は不況だと思われますか?個人的なご意見でけっこうですから。」と質問したところ、「ぼくは、経済の理論が専門で、現実の経済のことはわからない。」と、いわれてしまい、私は唖然としてしまったものでした。そして、「ああ、こりゃ、だめだ。経済学の机上の理論など、現実にはクソの役にも立たないではないか。」と、経済学というものに、さっさと見切りをつけてしまったのでした。私がちょうど20歳ころの話です。

 私には、経済学の理論というものは、動き出したとたんに、故障して動かなくなるポンコツ車みたいに思えました。

 私は、その当時、「人間が合理的にいつもモノを買うかのような理論は、ウソだ。人間は、感情でモノを買うのだ。」と直感していました。

 今振り返ってみれば、やや早とちりですが、けっこう本質をとらえていて的を得ていたな、と今でも感じています。

 ああ、そのころに、木村剛氏のような経済学の先生に出会っていれば、見方が変わっていたかもしれない、と思いましたね。

 木村剛先生は、ちょうど私より年齢が2つくらい下で、私と同世代に当たるので、そういう意味でも、今回この本を読んで、親しみを感じました。

 読んでみて、本当に大切な、すべての土台になるような基本をくり返し強調されているところに、思わずうなりました。

 自分を省みて、経済面でどんぶり勘定の多い私としては、これは大雑把でも家計簿をつけなくては、と大いに反省させられましたが、なるほど、と納得し、共感するところばかりでした。

 また、金融・経済のことであれ、やはり医療と同じで、付け焼刃の「対症療法」では、だめなのだな、ということを、つくづく感じました。

 やはり、基本を大切にする「根本療法」でなくては、長期的な意味で、問題は解決できないのだな、ということも、共鳴しました。

 物事の本質というものは、似ているものですね。

 根本を押さえていない、目先だけの安易な株式投資や、デイトレでのセンセーショナルな短期的成功本ばかりが目立つ現況にあって、物事を根本の基本から洞察し、「急がばまわれ」を説く、この本は貴重です。

 私なりに、この本に書かれている原理原則を簡潔に表現するならば、次のようになると思います。

 「表大なれば、裏も大なり。山高ければ、谷深し。リスクでも同じこと。ゆえに、リスクを最小限に抑え、急がばまわれ。まず、自分を知り、自分の足元より着実に始めよ。大きなしくみを知り、その性質を知り、長期的な視野で、その流れに乗り、まかせよ。細かいことにとらわれず、その流れにまかせれば、結局は大きな実りとなって収穫できる。急がばまわれば、それが結局近道になる。」

 たとえば、治療においても、アルコール性肝炎にかかっている人を確実に治そうとするならば、アルコールを毎日飲みながら治そうとすることは、論理的に考えても無理なことは当然なのですが、そういう安易に虫のいいことばかり考えるのが、多くの人間です。投資でも同じようです。

 また、自分の体のこともよく知らず、さらに、自分の体の現状や体質に合っているかどうかも考えずに、社長さん同士、ただ互いにすすめられるままに、むやみにわけもわからない健康食品をあれこれたくさん摂っている、などという現実も、木村氏が、投資について指摘している注意点によく似ています。

 どうもお金に関して、政府も銀行も、これからますますあてにならないし、たよりにならないため、自分で自分と家族の生活を守っていかなければならない、という木村氏の指摘は、まさに医療の現実において、いざというときに意外に病院や医者がたよりにならないという事実に重なりますし、双方とも、ふだんからの「備えあれば、憂いなし」という自己責任のセルフケアと予防が大切という点では、まったく同じです。

 博覧強記ともいえる豊富な金融・経済についての知識を、きちんとエビデンスをデータで示しながらも、素人にもわかりやすく、本質面から親切に解説してくれていることは、ありがたい限りです。 

 木村剛氏は、金融コンサルタント、金融職人と、自らを称し、論客としても知られているわけですが、この本は、まさに氏が、心ある良き「金融セラピスト」であり、「金融ドクター」であることをよく示していると思います。

 この本の内容を基にしたDVD「木村剛の投資家入門」も、DVDが5枚もついていておよそ1万円という安価なので、さっそく注文して、今、見て勉強しているところですが、本の内容とまさに相乗作用となって、より明確に理解できますし、何よりそのわかりやすい内容に感心しています。

 きちんとしたデータのエビデンスを伴った、わかりやすい金融・経済の知恵、お金に関するサバイバルの知恵を学べる基本テキストとして、本・DVDともども、素人の方にも玄人の方にも、心からおすすめいたします。



  
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2005年08月16日

原爆で被爆しても原爆症が出なかった人たち―3

 志半ばで倒れるわけにはいかない、重責を担った経営者とその家族のための健康管理と「命もうけ」の知恵のヒントを、さまざまな例やエピソードを通じて、わかりやすくお伝えしていくのが、このブログの目的です。

 先日、テレビを見ていて、20年前の日航機墜落についてのドキュメントをやっていました。

 突如操縦不能に陥った飛行機を、なんとか立て直そうと最後の最後まで、必死にがんばり続けた機長たち。

 自分だってこわいだろうに、急降下していく機内で、お客さんへの避難誘導アナウンスのためのメモを書いていたスチュワーデス。

 「もう、だめだ」と覚悟をして、やはり急降下する飛行機の中で、必死に家族への最後のメッセージを紙に書き残した人たち。

 はじめてひとりで飛行機旅をしていた9歳の男の子の横にたまたま座り、おそらくは、怖がるその子をなだめてくれていたであろう、子ども好きな、お寺が実家の娘さん。

 そこにあるのは、極限状況の中にあっても、自分自身の恐怖心より何よりも、他の人や家族のことを思い、自分の果たせることを最後までやり遂げようとする真心。そこに、まったく私心というものがない。

 これは、もう理屈ではありません。文学などの物語で想像で描くのは容易ですが、現実に生きざまで、命をかけて、あえてそう成し遂げることは、本当にむずかしいことだと思います。

 無我夢中で、自他を超えて最期の行動を取った彼らの姿と心を思うとき、やはり、私は、眼に涙がこみあげてきます。そういう最期を生き切った人たちを、本当に立派な日本人だ、と誇りに思います。

 この8月15日は、60回目になる終戦記念日でした。もちろん誰もが死にたくないに決まっているのですが、それを、国や自らの家族を守るために、あえて自分の命を投げ出し、若くして死んでいった兵士の方々や、負傷したり、病気で、異国でひとりさびしく亡くなっていった兵士の方々の思いを考えると、胸が詰まります。

 こういう人たちが命をかけてくれたからこそ、今の平和な日本での自分たちがある、という事実は、つい平和にあきてくると忘れがちになりやすいことゆえ、肝に銘じて、忘れないようにしたいものです。

 さて、先に申し上げた、8月9日に長崎に原爆が投下され、その爆心地から1.4kmしか離れていない場所で被爆したにも関わらず、原爆症が出なかった人たちがいる事実について、私は、すでに私の著書「体はこうして癒される」(サンマーク文庫)のなかで、はっきり書いています。何が被爆した彼らを原爆症から守ったのか、ということについての説明になると思いますので、以下、引用いたします。

 1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.4kmのところで、当時浦上病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。

 博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液の状態を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)

 さらに博士は、次のように職員に命令したという。

「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」(秋月辰一郎著「死の同心円−長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)

 「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。

 すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。

 このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

 博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。

 「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊)

 博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。

 (中略)

 秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のようにいっている。
 
 「それは、人間の体質を作り変えることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。また、慢性疾患に罹患していても、体質を変えていつの間にか病気が離れる身体になる、この医学である。」(「体質と食物」)


 「塩と玄米とみそ汁が、放射能の害から命を守っただって?まさか、そんなバカなことが!そんな簡単なことで原爆症を免れたなら、医者なんていらねえよ!」と、きっと皆さん、思われたに違いない。

 私も、最初、同じように思いました。しかし、実は、一見、簡単そうに思えることの中に、実は深い意味が隠されているものなのです。とくに生命に関しては。

 今では、私には、秋月博士が行なったこと、言ったことの、重大な意味がよくわかります。

 また、現代西洋医学は、すべて人を平均化して対症療法で処方する方法ばかりにとらわれているので、個人の「体質」の違い、「体質」の強さに対しては、まったく盲目に近いといえます。

 口から入るもの(飲食)が、一番身体内部に直接影響を与える外部からの環境因子になりますから、たしかに、身体の体液環境を守りうる要因にはなりうるのです。

 もしかすると、近い将来、ここ2〜3年のうちに、台湾が独立宣言したら、中国が侵攻し、台湾と条約のある米国と中国の戦争へと突入し、いやがおうでも、日本もそれに引きずりこまれて参戦。中国しか頼るところがない北朝鮮が中国と組んで狂いだし、ついに日本に核爆弾を打ちこむなどということだって、一歩誤れば、将来ありえない話ではありません。

 ちょっと、そこのあなた、毎日、ハンバーガーなどのジャンクフードや、牛丼、コンビニで買ったレトルト食品ばかりで食事をすませていたり、毎日外食で、焼肉やおいしいグルメの食べ歩きばかりしていると、そういう人たちは、放射能にやられたら、すぐにコロリですぞ。

 インスタントのみそ汁を摂ったとしても効果はありませんよ。ケミカルな添加物が加えられていない本物の自然醸造の味噌でないと薬効はありません。その代わり、そういう本物の良質の味噌を使ったみそ汁を毎日1回は摂るよう心がけると、「みそ汁好きには胃がんが少ない」といわれるように、予防になるかもしれない。

 世界保健機関WHOでも高く評価された、日本の伝統食や伝統的発酵食品の知られざる底力を見直して、毎日の食事の基本に取り入れた方が、結局、体質的な力を強めて、免疫力もアップすることになり、わけのわからないウイルス性の病気にもかかりにくくなって、いざというときは、放射能の害からも運良く身を守れるかもしれないし、はるかにお得なようですよ。

 なお、講談社をはじめとして、秋月辰一郎博士の原爆体験記録の本は、非常に貴重なので、原爆投下から60年を記念として、是非、復刊してもらいたいものと心から願っています。
 



   
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2005年08月12日

原爆で被曝しても原爆症が出なかった人たち―2

 おもに経営者とその家族のための健康管理や、いざというときの「命もうけ」の判断に役立つヒントや生命のインテリジェンスともいうべき知恵を、さまざまなエピソードを通じてお伝えするのが、このブログの目的です。

 ですが、ときどき成り行きで、参考になりそうな、さまざまなエピソードにも触れていきます。

 先回、実際に使って威力をたしかめたかった原爆を故意に投下し、罪のない一般人を無差別虐殺した歴史の事実に対して、米国は謝罪すべきである、と申し上げましたが、どなたかが短絡的に勘違いされて、右翼的だとか、保守派だとか、勘違いされても困りますので、若干、補足説明いたします。

 私は、右翼も、左翼も、両方とも、きらいです。

 実は、事実の証拠に基づいて、言葉できちんと明確に、その悲惨で残酷な歴史の事実を伝えたら、それをフェアーに認めて、そのようなおそろしいことを二度としないよう、あえて勇気をもって発言・行動する人間が出てくるのも、多様性の国である米国の良いところでもあります。

 言語化し、事実で証明し、はっきり主張しなければ、「あれは、ああしなければ日本人は、全員自害するまで、戦争に降伏しなかったであろうし、ああしたからこそ、戦争を早く終結させ、むしろ多くの日本人の命を救ったことになるのだ。」などという米国政治家たちの巧妙なプロパガンダと狡猾な詭弁によって、米国民自身が、事実を知らされずに、無知のまま、だまされ続けることになります。

 はっきり事実に基づいて主張するならば、それをフェアーに認める人も必ずいるのが、多人種混合である雑種の国、米国の良いところなのです。

 はっきり言わなければ、察してはくれません。そして、あいまいなままだと、へたをすると、だんだんなめてかかられるようになります。これが国際社会の力学の常識です。

 ごまかしの日和見の和解ではなく、ある意味で、ときには、本気で口喧嘩をしながら、お互い、「あいつ、なかなかやるな、なめてかかれないな」、と身を正しながら、喧嘩を通じて仲良くなっていくのが本来の国際外交のプロセスなのです。なめてきたら、「一歩も引かないでスジを通す」ことが、逆に相手をむしろ感心させるものです。ゼッタイおどおどしたり、あいまいにごまかしたり、見て見ぬふりをしてはなりません。

 事実を認めて、たしかにこれは虐殺に値し、正式に謝罪をするなら、ただでさえ現在、世界の中で自己中心的とされている米国は、世界の国々から、人類の共通の原罪とも業ともいえる戦争の罪を認めた潔いリーダーの大国として、むしろ逆に評価されるでしょう。

 そのとき、日本は、世界に向かって「戦争という人の行為と狂気を憎み、人と国を憎まず」と明言すればよいのです。西郷隆盛が愛した言葉、「敬天愛人」のように。これが東洋精神、いや、日本精神というです。

 戦争という極限状況で、人はまさに狂気にさらされ、勝った国も負けた国も、どちらにも逃げられない非があります。どちらかが絶対的に正しいなどということはありえません。 

 さて、最近、NHKテレビでやっていた原爆についての番組を見ていて、また、涙がどんどんこみあげてきて困りました。

 広島の原爆直後、人々が避難した、マッチの明かりすらない、真っ暗なせまい地下室には、重傷者や死傷者ばかりがあふれ、負傷者が苦痛でうめき、死臭も混ざった異様な臭いと重苦しさが漂っていたようです。

 そういうどうしようもない絶望的な状況の中、子を身ごもっていた若い女性が産気づきます。多くの人が苦しみ、死んでいく中で、それでも、あえてこの世に誕生して来ようとする新しい命がある。

 しかし、そのようなせまく負傷者ばかりの真っ暗な地下室の中で、どうすることもできないような絶望的な状況であったにちがいありません。

 ところが、そういう中、自ら重傷を負い、自分も苦しいはずなのに、一人の女性が、「私は産婆です。私がやります。」と名乗り出たのだそうです。

 真っ暗な闇の中、手探りで最後の自らの命の力をふりしぼって、若い女性の出産を助け、なんとか赤ん坊が無事生まれると、その重傷のお産婆さんは、力尽きて息を引き取ったそうです。

 自分の苦痛もかえりみず、あえて最後の力をふりしぼり、まさに自分の命をかけてまでして、生まれてこようとする他人の赤ちゃんを助けたその女性の覚悟のことを思うと、もうつまらない理屈などふっとんで、ただ涙がこみあげてきてなりません。

 絶望的な極限状況にあって、自分もかなり重傷で苦しいのに、それでも、他人の赤ちゃんの命を救うことを決意し、自分の命を捨てて、行動した勇気と愛情は、すさまじいもので、もう理屈ではありません。

 自分の命を差し出してまでして、新たに生まれてくる命を救おうとする―これは、自分を完全に捨て切らなければできない、もっとも尊い無条件で無償の愛でしょう。

 私は、こういう極限の中でも、そういう精神を持ち、そう生き切った人の実例を知ると、魂が奥底から感動し、こう書きながらも、涙があふれてきて止まりません。私は、ここに人間の究極の精神性を、はっきり見る思いがします。

 私は、ある資産家で、ビルをいくつも所有し、はやくも50歳でリタイヤ。高貴な哲学や芸術を語り、宮沢賢治を愛し、グルメ三昧を楽しみ、高級美術品収集が趣味。世界はあたかも自分を中心に回っているかのように事業を次々に成功させ、夢を実現させてきたその人を、学生時代、とても尊敬し、あこがれていました。

 ところが、あるとき脊髄に腫瘍ができて手術したことで、下半身不随の車椅子の生活になったとたん、その人は、高貴な人生哲学も成功哲学もどこへやら、単に自分を卑下し、自らの不運を嘆き、身内の人に八つ当たりしてあたり散らすような、どうしようもないわがままな幼稚園児みたいになってしまった現実の例を見ています。私は、その変わりようにショックを受けました。

 現実の限界的な極限状況に直面したとき、理屈ではなんといえても、実際となると人間は、やはり弱いものです。 

 一方、若干25歳の女性で、気がついたときには、胃がんのすでに末期状態で岩のように腫瘍が大きくなっており、つらく苦しい抗がん剤治療を病院で受け、とうとう腹水でカエル腹のようになりながらも、決して家族につらいとか、苦しいとか、ひと言も文句を言わなかった人がいました。

 たまに外出できたときの外の空気や光景に素直に感謝し、心配してくれる家族に感謝し、まだ若く、結婚もしていないうちに、死ななくてはならないのはどれほどまでに悔しく無念であったろうに、泣き言やわがままなど愚痴も何も言わずに、眼の前の死を覚悟し、潔く堂々と死んでいきました。それは見事でした。

 人生の成功を謳歌しながら、60歳をすぎて車椅子の生活になったとたん絶望し、だだをこねるだけの、わがままな幼児になってしまった老実業家と、若干25歳の小柄な女性でありながら、決して人間として卑しくならず、人のせいにもせず、ただ潔く堂々と生き切って死を迎えた平凡な女性との、命の生き切り方のあまりの違いに、驚かされたものでした。

 人の精神レベルというものは、本当に年齢や肩書きや見かけからではわからないものです。

 2例とも、私の知人や友人の妹さんの例で、私は、かなり身近な立場で体験した実例です。

 人間の生老病死における極限状況下においては、人間社会の地位、名声、財産、権力、といった価値は、こっぱみじんに吹っ飛んでしまいます。


 そういうギリギリの中にあって、自分も生きたいし苦しいのに、あえて覚悟し決意して、他人の赤ちゃんを、自分の最後の力を使って、あえて助けようと実際に行動することは、実際には、なかなかできることではない。 

 たとえ他人の子どもであっても、このような地獄の状況の中で、これから生まれてこようとする新しい命を救う覚悟と決意をさせたのは、女性の母性的な本能の為せるわざだったのかもしれません。

 親が、あるときは、自分の命を引き換えにしてでも、わが子の命を救おうとすることがありますね。

 よくわかったようなことをいう経営コンサルタントや心理学者が、米国の「マズローの法則」を引用して、人間の行動の動機は、生理的欲求から安全と安定の要求、ついには、段階を踏んで自己実現の欲求に進んでいくものなのだ、と、もっともらしく説明することがあります。

 真っ赤な嘘です!とはいいません。ですが、人間行動を理解するための目安としての仮説としては役に立ちますが、人間には、そういう段階を飛び越えたような自他を超えた動機や精神も存在しますから、あきらかに法則というには間違っています。

 米国から輸入された学説を鵜呑みにして、たいして自分の頭で考えもせず、「マズローの法則」を金科玉条のように扱うのは、頭が、海外ブランド学説に弱い精神的田舎者なのではないでしょうか。

 いずれ「マズローの法則」の未熟さについては、機会を改めてくわしく書こうと思います。

 米国内ですら、欲求の階層が5段階では足りないと、修正され、いままで内容がさらに進化してきた事実も知らず、今だに、米国で1940年-50年の間に生まれた古い仮説を、人間はそう行動するものなのだと決めつけて、新興宗教のように信じ込んで、人に解説したり本に書いている経営コンサルタントや心理学者が、あまりに多いのには、あきれかえります。

 ようするに欧米のブランドに弱い、カッコつけのぶりっこなんですね。自分の頭で根本から考えていない証拠でしょう。

 自分の命をかけて、生まれてくる赤ちゃんの命を助けた、重症のお産婆さん、親が自分の命に代えてでも子を救おうとする行動、どれも、「マズローの法則」という単純で稚拙な仮説などに、その動機は全くあてはまっていません。そうではないでしょうか? 

 申し訳ありません。何か熱い思いに引きずられて、筆が止まらなくなってしまいました。

 原爆に被爆しても原爆症が出なかった人たちが、どうやって命を守ったかについては、次回、なるべく近い時期に書きます。

 思いがけないことが、生と死の明暗を分けることになります。 

 それまで、忍耐強く知恵を絞って考えてみてください。

 





 

   
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2005年08月09日

原爆で被曝しても原爆症が出なかった人たち―1

 このブログは、経営者とそのご家族が、知恵の力により、健康管理と「命もうけ」ができるようなヒントをお伝えしています。

 きょうは、1945年8月9日に長崎に原爆が投下されてから、ちょうど60年になります。

 最近、テレビで、広島で原爆に被曝した方々の歴史的な証言のドキュメントを、たびたび見る機会があり、つくづく、その悲惨さ・むごさには、あらためてショックを受けました。そういう場に巻き込まれて、不幸にもお亡くなりになった方々に、あらためて心からご冥福をお祈りしたく思います。

 とくに、母親が、自分の子どもをなんとか守ろうと自分の体で覆いかぶさるようにして、カッと眼を見開いたまま、子どもとともに真っ黒に焦げて死んでいた、という証言とか、別の母親が、自分の赤ん坊を胸のなかに抱きかかえ、立ったまま黒焦げになって死んでいたという証言、さらには、自分の食べたかったであろう米のめしの日の丸弁当を「これをお母さんにあげてください」といって息絶えたという子どもがいたという証言、そういうことを聞いていて、もう涙がぼろぼろと止めどもなく出てきてなりませんでした。

 こういう人たちは、何も悪くないのに、命を無理矢理うばわれ、自分の人生と家族をめちゃくちゃにされ、どれほど悔しく、悲しく、つらかっただろうか。

 欧米を中心とする白人たちは、アジアやアフリカや南米を次々に自分勝手に強引に植民地にしていって、現地の人たちを奴隷扱いし、想像を絶するむごい強盗・略奪の限りを尽くしてきた歴史的事実があるのに、世界に向かって、あらためて自分たちが歴史の中でやってきたことに対して反省や謝罪をしたという例を、ほとんど耳にしたことがありません。

 広島・長崎への原爆の投下も、狡猾な白人の政治家たちによって、巧みに自己正当化され、いまだに、アウシュビッツの強制収容所でさえも上回るような、そういう完全な人間虐殺の事実に対して、正式で公的な謝罪を一切していません。

 米国大統領に、こういう、あえて故意に行なわれたむごい犯罪的虐殺という歴史の事実に対して、全面的な謝罪をさせてこそ、日本は真の意味で国際的な独立国になりうるのだ、と思います。

 そうであってこそ、東洋が、西洋に対しての植民地根性ではない、対等な立場での国際的なパートナーシップを作れるというものでしょう。

 興味深いことに、テロリストの温床などと、米国マスコミにレッテルを貼られている中近東のアラビア半島にあるイスラム圏の国に行きますと、皆が、口々に、こう言ってきます。

 「日本は、非常にえらいし、たいしたものだ。だって、あの米国に原爆を落とされて、たいへんな被害を受けながら、そこから立ち直り、資源もないのに、世界のトップともいえる、最高に品質のいいものを次々に作り上げた。これは、本当に信じられないくらい、すごいことだ。日本人は、たいしたものだ。」

 日本が、本当に精神面でも、欧米にへこへこと媚を売らない、本物の世界のリーダーたる独立国となりうるのは、いつの日でしょうか。

 さて、実は、悲惨極まりない、許しがたい原爆ですが、長崎に原爆が投下されたとき、爆心地から、ほんの1.8kmの場所で、その建物の中にいた全員が被爆したのにも関わらず、彼らに、その後、被曝による原爆症が出ず、命が奇跡的に助かったという事実があります。

 彼らは、原爆が落ちたときに、ある医師の指示で、とっさに、体に対して、あるガードをしたのですが、いったい、どういうことをしたと思いますか?

 とっさの機転で体のガードをした彼ら以外、同じ距離で被曝した人は、皆、原爆症のため、苦しみながら、早くに亡くなっています。

 彼らは、皆、原爆症にもかからず、長生きし、そのとっさの指示を皆に与えた医師は、たしか90歳近くまで長生きされたようです。

 原爆を落とされたとき、何が、生と死の明暗を分けたのでしょう?

 是非、次のブログ記事が出るまでに、皆さん、ご自分で考えてみてください。



  
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2005年08月06日

今の制度だと実は医者もたいへん

 このブログは、経営者と、その家族のための健康管理と「命もうけ」に役立つような知恵を、わかりやすく伝えるものですが、それには、今の医療の現実をしっかり知っていただく必要があります。

 その上で、どういう選択をしていくかが、助かるか助からないかの「命もうけ」の勝負なのです。 

 できれば、「未病を治す」という言葉があるように、病気になってしまう前に、体の異変を察して、うまくケアをし、病気のリスクを回避してしまうのが一番です。

 今までのブログで、今の医療の問題点をはっきりさせるために、医者の盲点ともいえるところを指摘したため、何か医者ばかりを責めているように感じた方もいるかもしれません。

 でも、今の医療制度にがんじがらめにされて、実は、医者もたいへんなのです。

 父親を脳卒中で亡くした友人が、心機一転、地方の有名国立大学の医学部に入りなおし、消化器系の内科医になったのですが、彼が、大学病院に勤めていたとき、しみじみと私に語ってくれたことがあります。

 「大塚、患者さんをできるだけ時間をかけて診てあげたいんだが、大学病院など、午前中だけで、数百人の患者さんを診なくてはならないことがほとんどなので、患者さんにできるだけ時間を割いて説明してあげたくても、物理的にとても無理なんだ。こちらも、なんとかこなすのが精一杯で、へとへとだ。」

 また、全人的な医療をしたいと医者になった、別の内科医の友人は、できるだけ、薬に依存しないよう、できるだけ薬を出さない指導を患者に実行したところ、患者から、こう怒鳴られたといいます。

 「おまえは、医者で、薬を出すのが仕事だろう?なぜ、もっと薬を出さないんだ、このやぶ医者が!」

 やれやれ、こんな患者だったら、やりきれませんね。全然わかっていないんですから。

 また、先の消化器系の内科医になった友人もいっていましたが、夜中、急患で、寝ているところを叩き起こされて、なんとかかけつけると、患者が、おなかが痛い、と訴えていて、「はやく、薬でなんとかしろ!」とすぐに痛み止めの薬を要求してくる。それを断ると、怒り出す。そんな患者も多いのだそうです。

 彼は言っていました。「だって、大塚、その患者、ただ焼肉食べ過ぎただけなんだよ。自分が食べ過ぎたのがいかんくせに、それを薬でなんとかしろ、と強制してくる。これは患者の方がおかしいよ。

 そうなんですね。医者は原則として、頼ってきた患者を拒否できないルールがありますから、患者を選べない。

 わがまますぎる、いやな患者が来ても、原則として断れないんですね。

 患者の側で、病気というものを、何か自分とは関係のないものとして、なんでも安易に薬に頼って、手っ取り早く解決しようとする意識や根性にも、大きな間違いがありますね。

 そして、どんな名医が時間をかけて診察しても、新米医者のペーペーが診察しても、保険の点数は同じ。

 ましてや、患者さんのいうことに耳を傾け、相手が納得するまで説明する努力を一生懸命にしても、まったく保険の点数になりませんから、親切丁寧に、時間をかけて患者さんの立場に立った医療をすればするほど、病院経営上は、効率が悪くなり、赤字になり、へたをすれば倒産、という悪循環になります。

 患者一人一人に時間をかけずに、機械的に、やたら検査をし、薬を出し、手術を増やし、しなくてもいい点滴の数をやたら増やして保険の点数をかせぐ、そんな感じで、ただ患者の数をこなすほうが、病院経営上、効率よく収益が上がる制度なのです。

 こういう健康保険制度に、非常に怒りを感じ、本当にやりたい医療ができない、と憤っている現場の医者は、かなり多いのです。

 医療費が高騰しているというのに、それに対して制度を長い間少しも変えることなく、無策のままですませている日本のお役人たちの罪はかなり重いと思います。




   
Posted by otsukako at 05:43Comments(1)TrackBack(2)

2005年08月02日

医療専門家たちの感性

 このブログは、本来、経営者とその家族のための健康管理と「命もうけ」の知恵をわかりやすくお伝えすることですが、ときどき医療者の知られざる一面もご参考に実際のエピソードとしてお伝えします。いかに、一般の感性とちがうか、おわかりになるかと思いますから。

 今回は、いつもと文体を変えます。これは、ある実話です。

 ある高名な歯科医の娘で、家を継ぐために自分も歯科医になった方がいるが、いつも忙しく動き回りすぎての過労がたたってか、あるとき脳卒中で倒れてしまった。その話を聞いて、容態を心配して、その人をよく知る歯科医にたずねると、あっさり、彼はこういった。

 「もう、だめでしょうね。」

 なんとも冷たい、あっさりした、他人ごとのような言葉であった。知り合いのことですよ。

 その脳卒中で倒れた女医さんは、奇跡的に、後遺症もなく、見事に回復された。ほっとして、その回復をよろこんだ。

 そこで、知り合いの医師が、あっさり「もう、だめでしょうね。」といったことを彼女に伝えたら、「それは、あまりにひどい!」と、カンカンになって怒っていた。

 そりゃ、そうである。いつもは親しそうにしていながら、倒れたら、あっさり、もう、だめでしょう、では、薄情きわまりないではないか。それを知って怒るのは無理はない。でも医者の世界ではよくあることである。

 その女医さんは、以前元気な頃は、その歯科医師の世界では目立つリーダー的存在だったのに。

 すっかり後遺症もなく、見事に回復したあと、歯科医師の仲間の関係者が集まって、快気祝いの食事会を、精進料理でおこなうことになった。

 その女医の先生には、以前、歯科医師会の会合で、私の講演会をセットしてくださったこともあり、恩を感じていたので、私も誘われて、会費は高くとも、よろこんで出席した。

 やはり、こういうことは、皆でよろこんであげるのがあたりまえの常識で、それでこそ友人というものであろう。

 結局、およそ20人ほどが集まった。

 私は、めでたい回復のお祝いなのだから、当然のこと、お祝いとして、花束を買って持っていった。

 でも、驚いたことに、お祝いに花を持ってきたような人間は私ただ一人であった。

 私は、快気祝いの集まりなのだから、他の歯科医師たちも、当然、花くらい持ってくるのが当たり前に思っていたが、誰も持ってこなかったことに驚き、あきれてしまった。

 いくらしっかりした人とて、倒れて病んでみて、おそらくいろいろな不安があったに違いないはずだ。

 そういう、女医さんの気持ちをくんで、全快をしたことを、いっしょになって、よろこび合おうとする姿勢や配慮などが、医師仲間に、全然感じられなかったのである。

 なんという医療専門家たちの感性の鈍さ。信じられなかった。

 こういう人たちが、患者を診ているのか。

 私は、会の始まりに、とっさに全快祝いのセレモニーの場を作り、その女医さんへの花束の贈呈式を行なった。

 花束を受け取った女医さんは、ぽろぽろ涙を流していた。

 花を忘れずに持ってきて、本当に良かったと思った。

 さて、食事会が始まると、医者たちの世界の会話は、一般の世界とかなりちがう。

 「いろいろな病気が増えてきて、本当に困りものですね。」などと、つい私が言ったら、ベテランのどっしりした、ある女医の参加者は、こう言った。

 「でも、病気が増えてくれないと、われわれ商売あがったりですからね。病気がなくなったら、われわれが困りますもの。」

 快気祝いの食事会の場で、こう言い放つ神経。

 私は、ショックを受け、唖然として、その言葉を聞いていた。




   
Posted by otsukako at 05:35Comments(7)TrackBack(0)