2009年02月28日

生命の讃歌 Canto Derra Terra - バリ島の画家 アントニオ・ブランコ氏の天真爛漫なる精神

バリ島の画家アントニオ・ブランコのことは、以前、ブログでも書き、新刊の本でも、ふれた。

彼が書いた絵も、それなりに評価できるが、何よりも彼の生き方そのものが、まさに芸術そのものだった。

彼は、もうこの世にいないが、彼の奥さんや、息子さんとその子どもたち(ブランコ氏にとっては孫)とは、現在も変わらない交流がある。

皆、へんに気取らない、それでいてセンスがあり、気さくで、人なつっこく、実に親切で明るい。そういう家族だ。

いつもバリ島に寄ってたずねるたびに、心から歓迎してくれることはうれしい。

天真爛漫で自由な精神は、自然に家族のDNAになっていくのだろうか。

今は亡きブランコ氏を記念してできた美術館には、いつも流れている音楽があり、その音楽を聴くたびに、天真爛漫なブランコ氏をなつかしく、思い出す。

すると、氏のことを思い出し、涙がこみあげてくるのだ。


流れていた、その音楽がなんという曲であるかを必死に調べて、はじめて知ったのが、世界的に有名なイタリアのテノール歌手、アンドレア・ボチェーリであった。

そして、そのとき、はじめて彼が全盲であることを知った。

そのとき、流れていた曲を、いつかブログの読者にお聞かせしたいと思っていたら、YouTubeのおかげで、それが可能になった。

彼の歌うCanto Della Terra が、あるイメージ映像にまとめられているが、人間の眼が、決意のようなものを暗示しているようで、聞いていて、なんとなく、生きる勇気をもらうような気分になる。




皆さんは、どのようにお感じなられるであろうか。

できたら感想をいただきたい。

  

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2008年11月19日

米国史上、初の黒人大統領誕生の背景を考えてみる

米国の大統領選挙によって、バラク・オバマ氏という、米国史上、初の黒人の大統領、が誕生しました。

彼は、あの独裁者サダム・フセインと同じく、フセインというミドル・ネームなので、マスコミがいくら彼のことを持ち上げても、投票する者は、土壇場で冷静になって気が変わり、マケイン氏に変えるだろう、などともいわれていました。

ところが、本番では、圧倒的な勝利。これは、たしかに歴史的な事件です。

しかしながら、海外のどこの先進国でも、テレビの報道は、この米国大統領選のことばかりで盛り上がっていたのに、米国と関係の深いわが国、日本では、なんと大統領選挙の当日も翌日も、野球の日本シリーズの方がテレビ放映のメインで、巷の話題や関心ごとになっていたので、私は、あきれかえりましたね。大いにしらけてしまいました。

さて、世界的なヒーローになったオバマ氏。たしかに物腰の柔らかさ、ライバルを卑下するようなネガティブで辛らつな批判のやり方はできるだけ避けようとする姿勢。教会の牧師から学んだのではないか、と思えるような、人を酔わせるスピーチ。でも、見方によっては、あまりに人を酔わせるレトリックばかりが目立ちます。具体的な政治的かつ経済的な政策はないに等しい、感じさえします。

孔子がいうように、「巧言礼色、鮮し仁」ですから、言葉に酔わされるままでいたらいけません。

米国の自己主張の強い、たくましい女性たちが次々と味方になって、彼の後ろ盾や戦力になっていくところも、強い女に守られたオバマというイメージを感じさせました。

なんといっても、オバマ氏の奥さんであるミッシェル・オバマ夫人が実にパワフル。シカゴに強い基盤を持つ名士の父を持ち、頭が切れる女性弁護士。オバマ氏をカモシカにたとえるならば、その婦人は、虎のような感じ。彼女の存在が、どれだけ黒人女性の吸引力になったか、限り知れないものがあります。そこへもって、超人気のある黒人女性テレビ司会者、オプラ・ウィンフリーまでが、初の米国黒人大統領の実現に対して、支持を表明し、CNNのラリーキング・ライブという全世界200カ国以上で放映されているインタビュー番組で、オバマ支持、初の黒人大統領というアメリカン・ドリームが可能と語っていました。

また、予備選の前から、YouTubeで、オバマ・ガール(Obama Girl)という、単に軽い気持ちのパロディで作られた、オバマ氏を支持するセクシーな女性が、まるでそのキャンペーンであるかのように、曲に合わせて踊り、歌う動画配信をしたら、たちまち、数100万ものアクセスが殺到し、マスコミでも大いに騒がれることになります。

ただし、このオバマ・ガールは、勝手に支持を表明して、踊っているだけで、まったくオバマ氏の選挙運動とは無関係ですが、とにかく話題を米国で呼びました。

オバマ氏が登場したことで、一般大衆で、今まで、あまり政治に関心のなかったような人たちがいっせいに、インターネットの動画配信などを通じて、強い関心をしめしてきたことは特徴的でした。

米国民は、いつもどこかダーティーなイメージがつきまとうブッシュには、もういい加減、うんざりしている様子が顕著でした。

いつもぎりぎりの票で、不正疑惑すら感じさせる状況で、かろうじて勝ってきたブッシュ大統領の共和党の今までのやりかたが、アフガン、イラクと泥沼の戦いに入り込み、捕虜に関する証拠が不十分であったり、捕虜への拷問を正当化し容認していた、ラムズフェルドのあまりに醜く、ダーティーな戦争誘導への裏工作など、次々に明らかになり、「もうブッシュ政権だけは、いやだ!うんざりだ!」という機運が相当高まっていた様子は感じられました。

国連で発表した戦争攻撃を正当化する証拠が、実はまったくなかったことなどを知り、国民の信頼の厚いパウエルなどは、結局ブッシュ政権にいいように使われてだまされて、うんざりし、2期目はブッシュ政権から辞退してしまったほどですからね。

私の友人で、ダニエル・コビアルカという米国のバイオリニストの音楽家は、人の心を癒す音楽を作る、ふだんはおとなしい人なのですが、その彼が、私に、「こんなことをいってはいけないのだろうけど、ブッシュだけは、暗殺されてしまったほうがいい、と考えたことが何度もある。」と思わぬ告白をされて、びっくりしてしまったことがあります。

とくにいろいろ国際会議で出会った人などにも聞いてみると、とくに世界中のインテリ層、マスコミは、もうブッシュ政権にうんざりしている様子が、ひしひしと感じられました。

皆が、テロリスト、オサマ・ビン・ラディンを絶対に捕まえる、とブッシュが宣言しても、ブッシュ家自体が、もともと石油の利権に関して、ビン・ラディン家と親しい関係にあったことなど、皆、知っていますし、ブッシュの背後に石油のメジャーや軍産複合体の巨大な力があることを、けっこう知っているものです。

もうブッシュの共和党にはうんざりだから、そろそろ今度は民主党に期待をして、次は、亭主のビル・クリントンのだらしのない数々の不貞にも耐えしのび、自分が大統領になるべきチャンスをずつと待ち望んでいたヒラリー・クリントンあたりが女性大統領になって、彼女の長年の構想である社会福祉や医療健康保険制度の改革など、今までの政治経験を生かしてやってもらい、その次くらいにオバマ氏の出番が来るほうがいいのではないかと、私は思っていました。

ですが、米国民は、あきっぽいですし、ながーい目でものを考えることは非常に不得意ですから、もう、いやなブッシュから逃れたい一心で、また、不貞のだんなとともにファースト・レディーとして、今まで散々見飽きているヒラリーより、経験はなくとも、若さと勢いに乗ったオバマ氏を民主党の大統領候補に選んでしまいます。

最後には、ケネディ家までオバマ支持にまわりましたし、共和党のマケイン氏を大統領選を争っている最中に、国民の信頼の厚い黒人のコリン・パウエルが、共和党でなく、民主党のオバマ氏の支持を表明するなど、ますますオバマ氏は、アメリカンドリームを夢見る人たちのエネルギーとともに、押し上げられていきます。

将来、黒人大統領もあるかもしれない、という、一般大衆の潜在意識を感じたのは、FOXTVでシリーズで放映された、テロ組織と命がけで戦うジャック・バウアーという人物が主人公の「24 ― Twenty Four」という連続テレビドラマに、デビット・パーマーという米国史上初の黒人大統領が生まれたストーリーがありましたから、こういうドラマが当たり前に受け入れられ、人気を博している事実を見て、近い将来、現実に、黒人大統領が生まれても違和感のない時代が、もうすぐそこまで来ているような予感を感じたものでした。

どうも、その勘は正しかったようです。

米国のみならず、世界のインテリたちが興奮し、庶民層を含めた一般大衆が興奮し、若者たちがインターネットなどでも参画し、みながお祭りのように騒ぎ、興奮した大統領選挙は、かつてなかったものを感じます。

私は、個人としては、オバマ氏は親しみやすいし、志も理想を追っているようで好きなのですが、どことなく米国の大統領というよりは、大学学生委員会の委員長といったイメージの存在に感じました。

演説は上手で、口は達者なのですが、さて、実際の政治的手腕となると、やくざな北朝鮮や、したたかな中国、強硬なロシアなどに、なめられて手玉にとられてしまうのではないか、という懸念があります。国際外交は、やくざな世界ですからね。

最初は、私もオバマ氏でも悪くないんじゃないか、と考えていましたが、大統領選が近づくにつれ、一方のマケイン氏のことも調べてみたら、マケイン氏の政治家としての実力と実績は、とてもオバマ氏がかなうところではないように思えてきました。オバマ氏は、ビル・クリントンと同じく、やや八方美人です。

ジョン・マケイン氏は、べトナム戦争で、瀕死の重傷を受けただけでなく、5年間もベトナムの捕虜となり、拷問を受けたにもかかわらず、絶対に国の機密事項について口を割らなかった男です。さらに、彼の父親が海軍のえらい地位にあることもあって、彼は国の秘密をばらすことにより、彼だけ特別に釈放し、解放する取引を持ちかけられますが、断固、拒否します。彼は、とことんスジを通し、絶対に心を売らない鉄の意志と忠誠心を持っている人物のようです。

帰国して、政治家に転身してからも、彼は、友人が病気や事故で入院したようなときは、どんなに政治家として忙しくとも、まっさきに駆けつけて、励ましたという、まさに、義理人情に厚い、それゆえに、人望の厚い人物のようです。

ですから、たとえ、同じ共和党の同僚であっても、ラムズフェルドが、軍の拷問を容認していた事実がわかると、ただちに、その諮問委員会を作り、徹底して、妥協なく事実の究明に当たります。自らが、捕虜になって拷問をされた経験から、いかなる場合でも、そのような人道に反する行為は正当化してはならないと、きびしく究明しています。

また、ダーティーなブッシュのやりかたをひどくきらっていたようで、たびたびブッシュ政権のやりかたを、共和党員でありながら、きびしく非難や批判をし、共和党内で浮き上がってしまったこともたびたびあるようです。

自分が党内で立場が悪くなろうが、やるべきことをあえてやって、ごまかさず、スジを通すから、一匹狼とかいわれるわけですが、そのような姿勢を、私は非常に高く評価します。

臭いものに蓋をして、長いものにまかれて、あいまいにごまかすことができす、たとえ、自分の共和党における立場が孤立しても、人間の尊厳に関わるような、見過ごせない妥協できない要件に対しては、あえて自分にとって損になるようなことでも、スジを通して、徹底して究明する。私は、徹底してスジを通すマケイン氏の姿勢と捨て身の根性が気に入ってしまいました。なかなかの人物です。日本の政治家には、こういう骨の太いスジを通せる政治家が見当たりません。

マケイン氏は、共和党の中でノーマークで、資金もない中、自らの信念で立候補し、いつの間にか共和党の大統領候補にのぼりつめます。その不屈の信念と行動力には、これぞ、男の中の男とでもいいたくなるような感動を覚えました。

70歳を過ぎた高齢であり、オバマ氏のように、上手にインターネットを武器に器用に選挙資金を集めたり、インターネットを宣伝に活用するには、武骨すぎたような感じがしますが、私は、政治家としては、現時点では、マケイン氏のほうが、不器用でも、はるかにスケールの大きさがちがうように思われました。このことは、長年の米国通の日本人からも指摘されていました。

また、マケイン氏は、たとえ選挙の情勢で不利になろうとも、相手を卑下して攻撃するネガティブ・キャンペーンは、あえてやらない潔さとフェアーな精神を貫きました。このことも、私は高く評価します。人間としての品格が高いのだと思います。

ただし、選挙は、論理的な理性よりも、感情が勝ります。

別にマケイン氏のせいでの金融危機ではないし、ブッシュとマケイン氏は、全然違うと強調しても、人々の脳裏には、いまいましい8年間のブッシュ政権の悪夢が頭によみがえり、もうブッシュ政権の継承だけはいやだ、と感じる多くの米国民の感情は、理屈では抑えきれなかったようです。

また、初の黒人大統領の誕生というドラマに酔いたい大衆のお祭りのようなパワー、インターネットを通じての草の根的な盛り上がりも、未知数のオバマ氏を味方しました。

頭の固い共和党の連中は、選挙の敗北をマケイン氏のせいにしたりしているようですが、マケイン氏というスジのとおった、本気で国のため、国民のため尽くしてきている政治家を引退させたり、共和党のすみに追いやってしまうのは、もったいない気がします。

すでに共産主義は崩壊し、西洋文明が生んだ資本主義も、がん細胞の末期症状に入りつつあり、それがゆえの、経済学では説明できないような金融混乱と危機をひきおこしている現実を、強く認識し、まったく新しい発想が必要とされているように感じます。

それゆえに、オバマ氏は、米国民のみならず世界の人々に希望を与えるグローバル説教師としての役割だけに終始してもよいし、たとえば、仮に口だけで、彼個人の政治的能力は「中空構造」(中は空っぽ)ということであってもいいから、社会福祉の問題はヒラリーの念願だったので、ヒラリーにやらせ、たとえ、共和党であっても、その人望によりマケイン氏に、例外的に政治参謀的に側近になってもらうなど、あらゆる壁や制限を乗りこえて、真に政治的に実力のある有能な人々をスタッフにそろえ、一致団結して問題解決に新しい発想と行動をもたらしてほしいと思います。

あたかも、かつての米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーについて、「自分より有能な人物をつかいこなす知恵を持つ者、ここに眠る」というようなことが刻まれた墓碑があるように、オバマ氏には、自分より、はるかに経験と能力のある人たちを上手にフルに使いこなして、多くの問題解決に着手してもらいたいと願っています。

さて、オバマ氏のいくつかのキャンペーン中の演説や、勝利が決まった直後の番に行なった勝利演説など、聞き入ってみると、その言葉のリズムとともに、何か自分までどんどん感化されて、感動がこみ上げてくるのがわかります。

まさに教会の牧師の力強い説教のような、わかりやすい言葉とその反復、さらに、しだいに増幅されてくる演説のリズムと抑揚は、あたかも「猫にママタビ」のように、一般大衆の心とつかんではなさず、聴衆は、ノリのいい音楽を聴いているかのように、酔わされてしまいますね。オバマ氏は、言葉の魔術師のようです。是非、感動のビクトリー・スピーチを下から聞いてもらいたい。英語がわからなくとも、最初のほうを音楽のように聴いていると、そのうまさが感じられるように思います。





しかしながら、初の黒人大統領誕生を屈辱的に思っている白人たちも多いようです。オバマ氏暗殺の計画の疑いで、FBIによって、すでに680件以上逮捕されているようです。

保守的で狂信的な白人中心主義者は、米国には腐るほどいます。

米国では、J.F.ケネディのような新しい変革者があらわれると、暗殺されることがあるから、心配です。ケネディは、オズワルドという青年にではなく、背後の軍事産業の意向を聞かなかったため、FBIや軍産複合体がぐるになって、ケネディを暗殺したという説には、かなり説得力があります。

私は、あの捏造と画策と陰謀に満ち溢れた、背後で軍事産業とつながっている戦争屋のラムズフェルドは、オバマ氏が勝利宣言した同じシカゴの出身ですし、かなり、オバマ氏をいまいましく思っているはずです。

平気で捕虜の拷問も正当化し、平気で隠蔽する奴ですから、おそらくあたりが動いて、非常に汚い手で、たとえば、中近東からのイスラム系の人間を雇って、オバマ氏暗殺を企て、また悪いことをイスラムのせいに見せかけて、いっきょに世論を操作し、また戦争を正当化し、戦争に誘導しようとするのではないか、と懸念します。あの男なら、やりかねませんから。ああいうみにくい白人を牢獄にぶちこめないものなんでしょうか。

オバマ氏の身にずっと何事もなく、見事、初の黒人大統領としての大任が全うされることを、切に祈ります。
  
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2008年10月31日

米国大統領選直前に見つけたパロディ映像にたまげる

11月の米国大統領選挙を目前にして、そのオバマ対マケインのの勝負をパロディにした映像をYouTubeで、偶然見つけ、たまげてしまいました。

一見、キモイ感じで、悪い趣味だなーと思いつつも、よく見ていると、けっこうよくできていて、まわりの人間たちもいい加減でなく中途半端な形で作られていない。

2人の候補者が、フレンドリーにフェアーに競り合っている感じも出ている。

ブッシュのように、どこかダーティーでない、フェアーな対決。

また、このようなパロディ映像が作られて、YouTubeで流されること自体、今回の大統領選挙に、若者たちが強い関心を持っていることがわかりますし、どこかお祭り騒ぎのような一般大衆の盛り上がりを感じます。


私は、はじめて、この映像を見たときは、思わず、目が点になってしまい、あっけにとられてしまいました。ただ、このパロディが陰湿な中傷ではなく、おぞましさはあるものの、見方によっては、なんとなくさわやかなユーモアで一貫している感じもして、それなりに評価できました。

しかし、ここまで一国の大統領候補をパロディにしてしまえるのか、と、あきれもしました。

いかにも、アメリカらしいパロディで、ある種のたくましさを感じます。

しかし、よくできた映像です。

皆さんも、どうぞご覧になってみてください。

あきれ果てるか、笑い転げるか、それは、あなた次第です。

開けなおって、笑えれば、それも「百薬の長」になるかも。




  
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2008年08月31日

北京オリンピックに思う

北京のオリンピックが無事に終わり、花火までCGで捏造していながら、何が悪いと開けなおる今の中国の姿勢には苦笑してしまいましたが、無事に終わってよかったです。

4年に1回というチャンスに、そのときまでに、本番でピークとなるようなパフォーマンスができるように、綿密な計画と自己管理をして、絶えず練習してきたアスリートの姿には、理屈を超えて感動しました。

オリンピックで金メダルを取るということは、日本国内の最高峰、東京大学理科稽爐箸いβ膤惻験最難関に合格することよりも、はるかにむずかしい。

オリンピックは、4年に1回だけのチャンスで、金メダルは一人だけですから、毎年試験のチャンスがあって、少ないとはいえ、90名も合格できる東大の理傾膤覆茲蠅癲△呂襪にたいへんな競争率ですね。

水泳の北島は、手ごわいまわりの競争相手の存在を逆手にとって、それをむしろ利用して、自分以上の最高のパフォーマンスができるよう本番に自分を持っていったのですから、本当にすごいと思います。

4年間の努力が、あの一瞬で報われるかどうか決まるのですから。

とことん究極の努力と練習をこなした者だけが、土壇場で入り込める「無心」の境地のピーク・パフォーマンスを見たように思います。

でも、とはいっても、やはり、その人の持ち味、得意な分野があるのでしょうね。

北島が、いくらオリンピックで金を取れる集中力があるからといって、自分が好きになれない勉強をして、東大理靴鮗験しても受からないでしょうし、柔道の谷選手が、水泳をしても合わなかったでしょうし、柔道の集中力を生かして、東大理靴鮗けたとしても、やはり合格はむずかしいでしょう。

やはり人には個性があり、その人の持ち味に合った得意な分野がある、ということだと思います。

それにしても、スター選手は別として、オリンピック選手の大半は、自腹でやりくりして、きびしい練習をやってきたわけで、それは、ほとんど本人自身の個人の努力とまわりの人の協力によるものですね。国は全然ヘルプしていない。なぜ??

それなのに、オリンピックに出るとなったら、いきなり「日本」というのれんを肩からかけられ、見ず知らずの日本中の人たちからの、実に自分勝手な期待に応えなければならない。

これは、本当にたいへんですね。

日本という国は、ふだんは全然協力や支援などしていないくせに、こういうときばかり、選手たちに「日本」としての期待を一方的にかけますね。

もし、日本としての国としての期待をかけるのだったら、もっと選手たちがのびのび練習に専念できるように、大いに協力・支援をふだんからしてやるべきでしょう。

助成金を出すなりしてね。


4年に1回のことですよ。それくらい、つまらない無駄なダムの建設や誰も使わない道路を作るのに、何兆円も金をどぶに捨てるのをやめて、その予算から、国の面子を背負うアスリートたちに全面的に支援してやったらいいじゃないかと思いますね。

それだったら、練習に専念するための費用を捻出するために、テレビの宣伝に、選手が出なくたって済むじゃないですか。

彼らは、自分たちでがんばっているのであって、国が勝手に期待をかけて、いいときだけ、「日本」として一方的な期待をかけるのは、あまりに自分勝手すぎる様な気がしますね。そして、勝てば、やたらもてはやして英雄、負ければ、クソみそいわれるのですから。

日本政府は、あまりに無駄な金遣いが多すぎるのですから、まず無駄をやめて、使うべきところに金を使うべきなんです。

彼らに、国として期待をかけるのなら、国としてやってあげられることをやってあげるのがスジというものでしょうね。
  
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2008年07月31日

白血病を克服した友人

記事に書いたダニエル・コビアルカのコンサートには、ご本人と主催者のご好意によって、私の関係者や友人をご招待いただきましたが、その中には、脳溢血で倒れた体験を持つ歯科医の方や、脳梗塞で倒れたあとリハビリをされている会社役員の方、そして、高校時代のクラスメイトで、以前、白血病を発症し、闘病の末に、それを克服した友人の姿がありました。皆さん、久しぶりに会う方ばかりでした。

人は病という体験をすると、とても丁寧になるのでしょうか。
とくに大病を克服した方々からは、とくに心あたたまる丁重な感謝やお礼の言葉をいただきました。

今から、もう10年ほど前になるでしょうか、昔の高校時代のクラスメイトだった友人から連絡があり、深刻な相談がありました。詳しい事情を聞くと、なんと急性骨髄性白血病の診断を受け、大学病院で骨髄移植をすすめられ、ドナーを待っている状態、とのことでした。

そこで、私が心から信頼し、敬服する、ある医科大学の教授が、ご自身で白血病のような症状が出た折に、中医学をためして、見事に完治させた体験をもたれている方がいたので、すぐに連絡し、彼を診察してもらい、まずは東洋医学的な方法を試してもらうことにしました。

しかしながら、それにもかかわらず、残念ながら、病状は変わらず、友人は、結局、ドナーを忍耐強く待って、骨髄移植を受けることになりました。

その後、幸いなことに、骨髄移植が成功し、元気になり、めでたく結婚をされたとは風の便りでは聞いていました。ですが、相談を受けたときも含めて、ずっと長年会っていないままでした。

せっかくだから彼の奥さんもいっしょにご招待し、ダニエルの音楽で、ゆったりとリラックスして楽しんでもらおうと考えたのですが、その招待をとてもよろこんでくれている様子でした。

当日、私が声をかけた方々に、あいさつまわりを、コンサートの休憩時間にしておりましたので、あわただしかったのですが、高校時代の仲間のいる席のところに行きました。高校時代の仲間といっても、みな、大企業や中堅企業で役員や管理職をやっていたり、大学教授になった者もいましたから、なかなか皆たいしたものでした。

その白血病を克服した友人も、大手商社マンとして海外で活躍してきた人物です。いろいろ体に無理なこともあったのではないかと思います。

ほんとうに久しぶりに高校時代の友人たちに再会し、皆もコンサートを楽しんでくれているようで、うれしかったのですが、彼の姿が見えませんでした。

すると、どうもトイレに行っていたらしく、しばらくすると、彼があらわれました。

彼は、私を見つけると「きょうは本当にありがとう!」といって、手を両手で握ぎりしめてきました。

そのとき、久しぶりに会う彼の様子や表情を見て、彼がのりこえた闘病の大変さを、即座に私は理解しました。

ほんとうに全身でよろこんでくれているその様子を見ながら、「たいへんだったろうなあ。よく生きていてくれたなあ。」としみじみ、彼の無事がうれしく、心の中で、もらい泣きしそうになりました。

病気の実際の内容とそのたいへんな治療のことがわかる人間には、彼が相当つらいものをのりこえた、その大変さが、一瞬にして、痛いほどわかったのです。

手を握り締めて、放そうとしない彼のよろこびかたを見ていて、彼ら夫妻をコンサートによんで、ほんとうによかった、と、うれしかったものでした。

その後、彼からは、わざわざ、丁重に、菓子折りが届きました。ここまで、丁寧にしてくれなくてもいいのに、と、正直なところ思いましたが、とにかく、病を克服して、生きていてくれ、よろこんでくれたことが、何よりうれしかったです。

たしかに、死を覚悟するほどの大病を克服したような人は、人の親切や好意に対して、非常に敏感に素直に反応してくれるような気がしました。

友人が、生きていてくれて、本当によかった、と、しみじみ思うと、じーんと涙がこみあげてきました。

大病を克服した友人たちをコンサートに招待する機会をいただき、深いよろこびを体験させていただいた友人のダニエル・コビアルカと主催者のK・D社長には、心から感謝・御礼を申し上げます。ありがとうございました。

おかげさまで、コンサートに来た皆さんの心の中には、うれしい花が咲いてくれたようでした。
  
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2008年06月30日

すい臓がんで死を宣告された起業家の、歴史に残る名スピーチ

ここに、あるとき偶然出くわした、ある起業家のスピーチがあります。

その起業家は世界的に有名な人物ですが、あるとき、思いがけなくまさかの悪性の「すい臓がん」の宣告を受けます。

医師たちの最初の予想は絶望的。

たしかにすい臓がんというものは、さまざまな種類があるがんの中で、非常に性質が悪く、普通は、手術しても、抗がん剤治療をやっても、ほとんどの場合助からないというの現状の医学での常識になっています。

巨万の富と名声を得た上での、いきなりの死刑宣告のようなもので、他のがんのように延命すらのぞめない、非常にむずかしいケースがすい臓がんです。その危機から生還する可能性や延命の可能性は、極端に低い。それこそが、すい臓がんのきびしさなのです。

ですから、すい臓がんといわれたら、本当に、半端でなく、腹をくくり覚悟を決めないといけません。

それくらいむずかしく、生存率が圧倒的に低いのが、すい臓がんです。

その最悪のすい臓がんと診断され、彼は、もろに迫り来る死の恐怖に直面します。

今まで築いてきたものの価値さえ、一切が無価値に思えてくるくらいの絶望感とショック。

彼は、医師からはっきりと、余命は、あと3ヶ月から6ヶ月といわれて、本気で死を覚悟し、腹を決めます。

なかば、覚悟を決めて腹をくくったそのとき、病理の細胞診断で、きわめてめずらしい、ありえないタイプの腫瘍であり、これなら奇跡的に手術で除去すれば、再発しないであろう、というものだった。

なんというどんでんがえし。

まさに危機一髪、彼は命拾いします。

この世界的に有名な起業家の名前は、Appleの創業者であり、ipodの生みの親であるスティーブ・ジョブズ。

彼は、死の恐怖をのりこえたあと、1995年、スタンフォード大学の卒業式で、スピーチをします。これは、スタンフォード大学のご好意で公開されており、ここに自由に見ることができるので、皆さんにご紹介しておきます。

歴史に残る名スピーチです。

やはり死の恐怖をのりこえた人の人生観は、ひと味ちがい、大きさと深みがあります。

それでは、歴史に残る、心の琴線に触れてくるスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での名スピーチをご覧ください。





私は、聴いていて、思わずじーんとしてしまいました。

英語のわかる人は、英語で味わいながら何回かくりかえし聴いてみてください。

いや、やはり私は字幕がないと英語だけではどうも…という方は、この字幕をクリックしていただくと、他のサイトで字幕付きが見れます。

皆さんの感想を読んでみたいものです。

私は、素直に感動してしまいました。


  
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2008年05月21日

音楽の力と癒し−ダニエル・コビアルカの音楽

根をつめた仕事を精一杯したとき。

自分と直接関係のないことでも責任を背負い込むはめになってしまったとき。

また、理不尽なことで会社の上司に怒られたとき。

さらには、会社組織内部のゴタゴタや足の引っぱりあいに、ほとほと嫌気がさしてしまったようなとき。

そのようなときは、仕事やそれにまつわる人間関係などで疲れきったような心身をほっと休めたいときがありますね。

ダニエル・コビアルカそういうとき、ふとひとり静かにじっと聞き入る音楽が、心をなごませ、なんとも子どものころのなつかしいような純粋な気持ちを思い出させ、まさに、心身を癒し、充電してくれるようなことがありますね。

そういう音楽に聞き入るときには、なにかなつかしい大切なものを取戻すような至福の時間と空間があるように思われます。そうですね、ちょうど、いのちと心が、生きるバランスをしだいに取り戻していくような…そんな感じかもしれません。

米国はサンフランシスコ在住の音楽家、ダニエル・コビアルカ氏は、そのような音楽の力を信じ、そのような自然な音楽の癒しを、長年にわたって、追究してきたアーティストです。もう10年以上もの長いつきあいになる私の親しい友人の一人ですが、そのような音楽の力を生かし、さまざまな米国のホスピタルで演奏し、音楽療法としての成果もあげてきた人物です。

もともとはサンフランシスコ高交響楽団の首席第二バイオリニストとして、クラシック音楽を中心に演奏してきた演奏家であり、かの世界的に有名な指揮者のレオナード・バーンスタインに師事し、世界的に有名な、指揮者の小澤征爾氏の友人でもあり、彼の依頼で、長野冬季オリンピックの開会式でのオーケストラにもバイオリン演奏者として、参加しています。

そのような実力がありながらも、決してプライド高く気取るようなことなく、小さな子どもたちが2〜3人来て、彼に演奏をせがめば、よろこんで彼らに演奏をしてあげるようなやさしさや純粋さを持っているのも彼のいいところです。

彼は音楽のほほえみとよろこびを知っている人です。

そのダニエル・コビアルカ氏が、来る6月下旬に来日し、東京では6月27日に国際東京フォーラムで、6月29日には京都の国立京都国際会館で、10年ぶりに日本でコンサートをすることになりました。これは、彼の友人として、宣伝してあげないわけにはまいりません。

ダニエル・コビアルカのコンサート情報や、彼の音楽のサンプルは、クリックして聴いてみてください。

心ある日本の方が、彼のコンサートに来て、ほっと心を休めていただけたら、彼の人柄をよく知る友人として、心からうれしく思います。


追伸

実は4月25日に彼の10年ぶりのコンサートのためのプレスパーティーがあり、私が長く関わっている日本ホリスティック医学協会がコンサートの協賛にもなった関係や、ダニエル・コビアルカ氏本人からの強い希望もあり、プレスパーティーで私があいさつをするはめになりました。準備するひまもなかった私のあいさつが、たまたま好評だったようで、参考までにここにご紹介しておきます。

ただ一部ブログの文章と内容がかさなるところもあろうかと思いますが、ご了承ください。


「ダニエル・コビアルカさんとは、もう10年以上の長いおつきあいになります。

私どもがこのたびのコンサートの協賛に入っている日本ホリスティック医学協会というものを立ち上げたのが、1987年です。全人的医療を目指す、人間の心も身体も、いのちまるごと全体にアプローチする、そういう心ある医療をしようということで、有志が集まってできた協会でございます。それが1987年にスタート致しました。

一方、アメリカには米国ホリスティック医学協会というものがございまして、1990年にはシアトルでその学会がございました。そこで、あるすばらしい人間と自然の調和のスライドショーが上映されまして、そのバックで流れていた音楽が、アメリカ人の音楽にしてはスローなテンポな、何かホッとするような音楽でした。でも、そのときは、その音楽が誰のものかわからなかった。それで、それから私はいろいろ探したんですけど、なかなかその作者や演奏者がわからなかったんですね。

それから、数年たって、またアメリカでの学会に参加したときに、「医療と精神性」について世界的に有名なラリー・ドッシー博士という方がいらっしゃいまして、その方がまた講演のスライドで、ある音楽をバックに使っていらした。それもまた印象に残ったので、調べに調べましたら、その作者(アレンジ) と演奏者の方がダニエル・コビアルカさんだとやっとわかりました。

それで、その後、たまたま彼が来日したことを知り、お会いする機会がありました。アメリカのこの分野の医療の世界の方々と近い様で遠かったり、お互い知り合ってないようでしたので、あわてて私がつないだりしてですね、米国のホリスティック医学の分野で有名な医療者とのご縁を作ったりした、という記憶がございます。

私はダニエル・コビアルカさんのお人柄もそうですけれども、彼の音楽で何に心を動かされたかといいますと、たとえば「ヒーリングのためのヒーリング」、もしくは「癒しのための癒し」というか、何か舞い上がっちゃって自分だけ陶酔してワーとなっちゃうような、そういう類のヒーリング音楽は、巷にも数多くあるんですが、彼の場合は、さすがに世界的な音楽家の武満徹さんや指揮者の小澤征爾さんとも交友があり、小澤征爾さんからは、彼にたのまれて長野の冬季オリンピックでも、バイオリン奏者として参加されている。そういうしっかりしたクラシックのベースがあるのが彼の音楽なんです。

そして、それを聞いてみますと、派手に飾ったようなものじゃなくてシンプルなんですね。何かこう、子どもの時代にかえったような「なつかしさ」があるんです。それでふと耳を傾けるとちょっと心がホッとして、思わずうれしくなるような、なつかしいようなあたたかさを感じます。

私は奇をてらった癒しというのではなくて、何かホッと自然に心に感じて、しみじみその開放感が実感できるようなものが、本当の意味での癒しとかヒーリングをもたらす音楽ではないかと思っておりますので、その点で彼の音楽に惹かれました。

シンプルなようで心にじわーっと響いてきて、なつかしいものをホッと思い出させてくれるのが彼の音楽です。

今回、日本の方々に、彼がこのようなコンサートの形で演奏してくれる機会がもうけられて、もっと日本の方々に彼の音楽の良さを少しでもご理解いただければ、友人として、とてもうれしく思います。」

  
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2008年03月28日

米国の友人が脳卒中で倒れる

ごぶさたしてしまい、申しわけありません。

ニューヨーク在住で、コーネル大学の終身教授をやっている米国人の親友が、無理がたたってか、突如、脳卒中で倒れ、言葉と腕に自由がきかなくなってしまったので、急遽、ニューヨークに飛び、一週間のあいだ、毎日病院にお見舞いに行くとともに、回復への指導もしてきました。

人から信頼が厚く、頼りにされ、頭の切れ、バリバリ仕事もできる、やり手で活動的な人が、突然、体の自由が効かなくなると、大いに活躍していた人ほど、ショックが大きいものなんです。バリバリやっていた社長さんなんかは、まさにそうですね。

私も、ずいぶん昔にネパールで倒れ、骨と皮になってしまったことがありますから、あのときの、自分の気持ちを思い出しました。両手の指をあわせて輪を作ると、その中にスッポリ足の太ももの部分がおさまってしまうなんて信じがたいでしょう?でも、そうなってしまったんですね。ほんとうになさけなく、みじめでした。

人から頼られるしっかり者と見られている人は、いやなもので、表向き弱音も弱気も見せないで、平気なそぶりをしているため、みな、「ああ、彼はしっかりしているから大丈夫だ、安心だ」などとタカをくくって、本気で心配してくれなかったり、それが弱っていて気持ちが敏感になっていると、えらく薄情に思えてきたりするんですね。

彼は誰からも頼りにされる、とくに乳がんの指導では、数多くの末期患者の命を救ってきた天才肌の男なんです。多くの人は彼をあてにして頼りにできるけど、彼には頼れる人がいないわけなんですよ。

これはけっこうつらいものがあります。苦しいですよ。弱い立場になっても、体がついていかなくても、どこかつっぱっていなけりゃならない。

こういうことを理解してあげる人が意外にまわりにいないで、彼に迷惑ばかりかけている。病院にいる彼に、さらに追い討ちをかけるように、次から次へと自分と自分の家族の蒔いたトラブルについて、彼を頼って、あれこれ子どものように病室に電話をして相談してくる人がいるのですから、たまりません。

人の心に超鈍感な人っていますね。相手に追い討ちをかけて、無邪気に笑いながら、苦しんでいる人にさらに焼きごてを押し付けているようなものですね。

最初、病室に足を踏み入れたときは、友人は、わざとしらとぼけて、「ああ、ニューヨークで何かの会合か何かあったのかい?」などと、しらとぼけていましたが、「いいや、君を助けるために来たんだよ。」と、はっきり伝え、毎日、その入院中のリハビリ病院に通い、薬にたよらないで回復するための具体的なノウハウをおしえ続けました。

がんばっている人ほど、自分が突然こけてしまったときのショックはかなりのもので、非常に大きな心の傷になっていたりします。「こんな状態になってしまうなんてなさけない、自分がふがいない」とつい嘆き、内心すごくあせるのです。

ここらへんまで見抜けなければ、本物の医療じゃない。

だから、「今はただよくなることだけに集中して、他のことは考えずに、禅の坊主になったつもりで、無心でいなよ。」と、くりかえし彼を諭しました。

そう休むときは、休むに徹しなければなりません。

より早く確実に回復するためには、「急がば、まわれ」なんです、ほんとうに。

早く完全に治りたいなら、あせらないで、目の前のことに淡々と取り組むほうがよいのです。バリバリやっていた人ほど、せっかちにあせります。社長さんに多いですよ、こういうせっかちなタイプ。だから、かえって治しきらなくなってしまう。

一週間、ニューヨークに滞在して、毎日病院通いをしたあと、友人と別れる際、いつもはとても冷静な彼が、男泣きをしていたのには少々驚きました。やはり、よっぽど内心うれしかったんだと思います。

彼には恩もあるし、ほんとうに無二の親友と思っているので、また、将来的にも、いっしょに有意義な仕事をしていきたく思っている同僚、同志でもあると思っているのです。

だから、こういうケースは、倒れたあとタイミングよくどういう上手な対処をしたかで、その後の回復の度合いが決まってしまうので、「やはり、ここは友人として、黙って見ているわけにはいかん、できる限りのことはやってやらんと、いかん」と強く思い、あえてニューヨークにまで来たわけです。

ほんとうに思い切って来てよかった、と思いました。また、現場に足を運び、本人と直接、話ができると、より正確な現状把握と判断ができますからね。

やはり現場に足を運ばないと、ほんとうのことはわかりません。

まわりから聞いた情報には、かなり誤解や間違いがありましたから。

そこは、ニューヨーク大学のリハビリ専門病院でしたが、かなり自由で、明るい雰囲気で、見直しましたね。

そのレポートもいずれ書きたいものです。

ニューヨークですから、病室にいる人も、まさに人種のるつぼ。

ユダヤ教のキャップを頭にかぶった患者さんもいましたよ。

よく研修医がまわって、友人に声をかけていましたが、だめな医者とそうでない医者は歴然としてますね。

だめな奴は、やたら覚えたての血圧の知識を総動員して、もっともらしく数値の分析をして説明していました。いらないって、そういうまことしやかな医学知識のぶりっこは!

そういうことやれば、患者さんはますます数値にとらわれ、それを気にして、その数値の変化に一喜一憂するようになり、じっくり腰を落ち着けて治せなくなるじゃないですか。

これだから、知識偏重の暗記型秀才医者は困る。

相手は、生身の人間ですからね。そういうことをいったら、相手がどのように感じてしまうかくらい考えろよな、といいたい気分でしたね。


できる奴は、なにげない話を明るくしながら、同時に、相手の様子をよく観察していて、すでに患者さんの体調の変化をしっかり読んでいるんですね。

知識の暗記よりも、目の前にいる生きている患者さんの様子を正確に観察・判断できる人のほうが名医でしょうね。

いい医者になる人は、一回は死にそうな病人になるくらいの経験しないといけませんね。

  
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2008年02月29日

お金で買えるものと買えないもの

世の中には、いいとかわるいとかの判断は別として、たしかにお金で買えるものと買えないものがありますが、たとえば、皆さんひとりひとりの命は、たとえ1000億円、100兆円だしても絶対に買えないという厳然たる事実がありますね。

東急グループを一代で築き上げた五島慶太氏が、自分に余命がいくばくもないことを知り、「全財産をやってもいいから、私に寿命をくれ!」と号泣したという話があります。命を失えば、大事業もできません。

とはいえ、何がお金で買えて、何が買えないのか、をしっかり知っておくことも、よりよく味わい深く生きる知恵につながることでしょう。

たまたま、中国のことわざを、華僑の実業家が紹介していたので、なかなかドライで一味ちがう現実をずばり直視している奥深さを持っているような気がしますので、ここにご紹介します。


「お金で買えるものと買えないもの」 (作者不明)


お金で「家」は買えるけど、「家庭」は買えない。

お金で「時計」は買えるけど、「時間」は買えない。

お金で「ベッド」は買えるけど、「快適な睡眠」は買えない。

お金で「本」は買えるけど、「知識」は買えない。

お金で「名医」は買えるけど、「健康」は買えない。

お金で「地位」は買えるけど、「尊敬」は買えない。

お金で「血」は買えるけど、「命」は買えない。

お金で「セックス」は買えるけど、「愛」は買えない。



私は、このことわざをきっかけに、いろいろなことを考えてしまうのですが、皆さんは、どういうことをお考えになりますか?

お金も大切ですし、命も大切。

どちらも、人生の幸せを実感するためには、その土台となる大切なものですから、その絶妙なバランスをとっていくことがきわめて大切なんでしょうね。

日常生活に忙しいときに、立ち止まって考えさせてくれることわざですね。

立ち止まって皆さんは、何を思うのでしょう?
  
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2008年01月14日

ある賢人の卓見

 先回の記事を書いたあとで、以前していただいたトラックバックから、その方の書いたブログ記事のシメの言葉を読んで、思わずあらためてうなりました。

 それは、以下のようなものでした。あまりに見事なので、あらためてここに引用させていただきます。


「マスコミは何も知らず、また何もしない。

 官僚は何でも知っているが、何もしない。

 政治家は何も知らないが、なんでもやってしまう。

 経済学者はすべてのことを知り、すべてのことを行なう。

 しかし、遅きに失する。」   ― 木村 剛



実は、これは、私が以前ご紹介した精神科医ディビッド・ビスコット博士が、本の中で紹介していた言葉のリズムをそのまま使って、見事に金融・経済を専門とする達人、木村 剛 氏が、かしこく現代日本の世相を表わす表現にしてしまったわけです。

製薬会社と厚生労働省の役人との癒着や談合について、先回書いた後で、この木村 剛 氏が言い換えてくださった文章を読みかえしてみますと、「うーむ、お見事!」としかいいようがありません。まさに、現代の賢人です。おーい、誰か座布団1枚、木村先生にやっておくれ〜。

医療経済を含めた医療の世界に映し出しても、このようなことがズバリいえると思われるので、元の米国の精神科医が述べた文章の「リズム」に見事「呼吸」を合わせて日本の経済政策をあらわしてしまう、詩才ある木村 剛氏の見事な洞察力に、思わず拍手を送りたくなりました。


これは、木村経済語録の名言にされてもよいかと思われます。

  
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2007年11月09日

医師の世界を医師が表現した言葉

このブログは、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」に役立つような目からウロコの情報や知恵を、できるだけわかりやすくお伝えするのが目的です。

抗がん剤の問題は、皆さん各自に、もう少し考えていただくとして、もっと後になってから、私の考えを書くことにします。

今からずいぶん前、学生の頃だったかに、「精神科医ビスコット」という本を読んで、その中で紹介されていた言葉が、強烈な印象として記憶に残っています。

それは、以下のような言葉です。


精神科医は何も知らず、また何もしない。

内科医は何でも知っているが、何もしない。

外科医は何も知らないが、なんでもやってしまう。

病理学者はすべてのことを知り、すべてのことを行なう。

しかし、遅きに失する。

-----「精神科医ビスコット」P.4 ; ディビッドS.ビスコットMD著 星和書店)




この言葉を読んで、皆さんはどのようなことをお考えになるでしょうか?

  
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2007年09月17日

こんなときの、あなたの体調は?

このブログの目的は、おもに重責のある経営者やそのご家族の健康管理や「命もうけ」に役立つような、眼からウロコの発想や情報を、わかりやすくお伝えすることです。

今回は、「こんなときの、あなたの体調は?」すなわち「日常で、生活していて、こんなことが体におこったら、それはどういうことを意味しているのか?」というテーマで書きます。

ちょっとしたことですが、これは役に立ちますので、しっかり読んでくださいね。

たとえば、

「食事をしていて、うっかり口の中のほおをかんでしまう。」

「食べている最中に、うっかり舌を噛んでしまう。」

「まぶたが、なぜかぴくぴくけいれんしやすい。」

「いつもなら、なんともないのに、歩いていて、ちょっとした道ばたのでっぱりにつまづいて重心を大きく崩して、つんのめりそうになる。」

「急に、歩いていて、足首をぐきっとひねり、捻挫しそうになる。」

「朝方、寝床の中で、ちょっと足の伸びをしたところ、急に足がつってしまった。」

などなど、これらの現象に共通する体の状態の特徴はなんだと思われますか?

すこし、ご自身で考えてみてください。

そう、これらのことがおこる現象は、だいたい共通する特徴として、たとえば、睡眠不足や不眠などにより、「自律神経が疲れている」ときに、おこりやすい現象のようです。

もちろん、あくまで傾向であり、だいたいの目安ですから、よりくわしい観察により、特定の疾患を考えなければならない場合もあります。そういう場合は、適切な医師に相談し、専門知識を借りることも大切になります。

さて、これらの症状を上手に治す特効薬は、いわゆる薬物ではなくぐっすり、たっぷりよく眠って、心身を十分に休ませて、何よりも「自律神経の疲れをとる」こと、これに尽きます。

これらの現象に思いあたることが最近あるのなら、たとえ自覚はなくとも、心身が潜在的にかなり疲労しており、自律神経が弱ってきていますから、思い切って、休息をたっぷりとることです。

これに優る特効薬はありません。

こういう現象がおこっているときに、車の運転などをすると、とっさのときに、思いがけない判断ミスで、死に至るかもしれないような重大な事故をおこしやすいので、車の運転は控えましょう。

自分のひとつしかない命のためです。

ましてや、車に同乗者がいるようなときは、車の運転を誰か疲れていない他の人に代わってもらうほうが、ちょっとしたことで大きなリスクを避けることができます。

こういうちょっとしたことへの観察力も磨いて、自分の今の体調がどうであるか、を上手に判断し、かしこい行動を選ぶ目安にしてください。


皆さんへのワンポイント・アドバイスでした。

ちょっとしたことへの観察力が、思いがけないリスクを未然に避けることになり、実際、皆さんの「命もうけ」にかなり役立ちますよ。

  
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