2008年09月30日

ダニエル・コビアルカの音楽の世界を映像で味わう

友人のダニエル・コビアルカの音楽の世界のイメージを上手に映像で表現しているような動画を、ちょうどYouTubeで見つけました。なかなかいいのでご紹介します。

ちょっと画面を眺めて、ほんのりリラックスするのには、ちょうどいいかもしれません。

The Ripple Effect Experiment−The Heartbeat To Eternity
(さざ波効果の実験−永遠への鼓動)


という題名がつけられています。Humanity Healingというところで作った作品のようです。

さあさあ、成田ビューホテルのフロントマネージャーのKさん、それから、いつも毎日懸命に働いている皆さん、少しのあいだ、手を休めて、頭と心を休めてみてくださいな。

このブログにお寄りいただいた方にふと笑顔が生まれますように。

そうそう、歯科医の私の友人がいっておりましたが、彼のまだ生まれたばかりの赤ちゃんが、なんとダニエル・コビアルカさんの、ゆったりした音楽を聞かせるたら、すぐに泣き止んでしまったそうです。

そのことを、すぐにダニエルさんにメールで伝えると、ご本人は、大よろこびしていました。

私も、うれしくなりましたね、ほんとうに。


皆さん、どうぞ、しばらくのあいだ、ゆったりとお楽しみくださいますように!




  

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2008年08月31日

北京オリンピックに思う

北京のオリンピックが無事に終わり、花火までCGで捏造していながら、何が悪いと開けなおる今の中国の姿勢には苦笑してしまいましたが、無事に終わってよかったです。

4年に1回というチャンスに、そのときまでに、本番でピークとなるようなパフォーマンスができるように、綿密な計画と自己管理をして、絶えず練習してきたアスリートの姿には、理屈を超えて感動しました。

オリンピックで金メダルを取るということは、日本国内の最高峰、東京大学理科稽爐箸いβ膤惻験最難関に合格することよりも、はるかにむずかしい。

オリンピックは、4年に1回だけのチャンスで、金メダルは一人だけですから、毎年試験のチャンスがあって、少ないとはいえ、90名も合格できる東大の理傾膤覆茲蠅癲△呂襪にたいへんな競争率ですね。

水泳の北島は、手ごわいまわりの競争相手の存在を逆手にとって、それをむしろ利用して、自分以上の最高のパフォーマンスができるよう本番に自分を持っていったのですから、本当にすごいと思います。

4年間の努力が、あの一瞬で報われるかどうか決まるのですから。

とことん究極の努力と練習をこなした者だけが、土壇場で入り込める「無心」の境地のピーク・パフォーマンスを見たように思います。

でも、とはいっても、やはり、その人の持ち味、得意な分野があるのでしょうね。

北島が、いくらオリンピックで金を取れる集中力があるからといって、自分が好きになれない勉強をして、東大理靴鮗験しても受からないでしょうし、柔道の谷選手が、水泳をしても合わなかったでしょうし、柔道の集中力を生かして、東大理靴鮗けたとしても、やはり合格はむずかしいでしょう。

やはり人には個性があり、その人の持ち味に合った得意な分野がある、ということだと思います。

それにしても、スター選手は別として、オリンピック選手の大半は、自腹でやりくりして、きびしい練習をやってきたわけで、それは、ほとんど本人自身の個人の努力とまわりの人の協力によるものですね。国は全然ヘルプしていない。なぜ??

それなのに、オリンピックに出るとなったら、いきなり「日本」というのれんを肩からかけられ、見ず知らずの日本中の人たちからの、実に自分勝手な期待に応えなければならない。

これは、本当にたいへんですね。

日本という国は、ふだんは全然協力や支援などしていないくせに、こういうときばかり、選手たちに「日本」としての期待を一方的にかけますね。

もし、日本としての国としての期待をかけるのだったら、もっと選手たちがのびのび練習に専念できるように、大いに協力・支援をふだんからしてやるべきでしょう。

助成金を出すなりしてね。


4年に1回のことですよ。それくらい、つまらない無駄なダムの建設や誰も使わない道路を作るのに、何兆円も金をどぶに捨てるのをやめて、その予算から、国の面子を背負うアスリートたちに全面的に支援してやったらいいじゃないかと思いますね。

それだったら、練習に専念するための費用を捻出するために、テレビの宣伝に、選手が出なくたって済むじゃないですか。

彼らは、自分たちでがんばっているのであって、国が勝手に期待をかけて、いいときだけ、「日本」として一方的な期待をかけるのは、あまりに自分勝手すぎる様な気がしますね。そして、勝てば、やたらもてはやして英雄、負ければ、クソみそいわれるのですから。

日本政府は、あまりに無駄な金遣いが多すぎるのですから、まず無駄をやめて、使うべきところに金を使うべきなんです。

彼らに、国として期待をかけるのなら、国としてやってあげられることをやってあげるのがスジというものでしょうね。
  
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2008年06月30日

すい臓がんで死を宣告された起業家の、歴史に残る名スピーチ

ここに、あるとき偶然出くわした、ある起業家のスピーチがあります。

その起業家は世界的に有名な人物ですが、あるとき、思いがけなくまさかの悪性の「すい臓がん」の宣告を受けます。

医師たちの最初の予想は絶望的。

たしかにすい臓がんというものは、さまざまな種類があるがんの中で、非常に性質が悪く、普通は、手術しても、抗がん剤治療をやっても、ほとんどの場合助からないというの現状の医学での常識になっています。

巨万の富と名声を得た上での、いきなりの死刑宣告のようなもので、他のがんのように延命すらのぞめない、非常にむずかしいケースがすい臓がんです。その危機から生還する可能性や延命の可能性は、極端に低い。それこそが、すい臓がんのきびしさなのです。

ですから、すい臓がんといわれたら、本当に、半端でなく、腹をくくり覚悟を決めないといけません。

それくらいむずかしく、生存率が圧倒的に低いのが、すい臓がんです。

その最悪のすい臓がんと診断され、彼は、もろに迫り来る死の恐怖に直面します。

今まで築いてきたものの価値さえ、一切が無価値に思えてくるくらいの絶望感とショック。

彼は、医師からはっきりと、余命は、あと3ヶ月から6ヶ月といわれて、本気で死を覚悟し、腹を決めます。

なかば、覚悟を決めて腹をくくったそのとき、病理の細胞診断で、きわめてめずらしい、ありえないタイプの腫瘍であり、これなら奇跡的に手術で除去すれば、再発しないであろう、というものだった。

なんというどんでんがえし。

まさに危機一髪、彼は命拾いします。

この世界的に有名な起業家の名前は、Appleの創業者であり、ipodの生みの親であるスティーブ・ジョブズ。

彼は、死の恐怖をのりこえたあと、1995年、スタンフォード大学の卒業式で、スピーチをします。これは、スタンフォード大学のご好意で公開されており、ここに自由に見ることができるので、皆さんにご紹介しておきます。

歴史に残る名スピーチです。

やはり死の恐怖をのりこえた人の人生観は、ひと味ちがい、大きさと深みがあります。

それでは、歴史に残る、心の琴線に触れてくるスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での名スピーチをご覧ください。





私は、聴いていて、思わずじーんとしてしまいました。

英語のわかる人は、英語で味わいながら何回かくりかえし聴いてみてください。

いや、やはり私は字幕がないと英語だけではどうも…という方は、この字幕をクリックしていただくと、他のサイトで字幕付きが見れます。

皆さんの感想を読んでみたいものです。

私は、素直に感動してしまいました。


  
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2007年07月31日

たくましいマザーテレサの知られざるエピソード

このブログは、おもに経営者と、その家族のための健康管理に役立つような「命もうけ」の知恵について、眼からウロコの情報や発想を、わかりやすくお伝えすることを、本来の目的としています。

以前、マザーテレサが、思いがけなくも、実にたくましい事業家的な手腕の持ち主であったことについて書いたところ、多くの反響をいただきました。

その記事を再読しているうちに、別なエピソードをふと思い出しましたので、この機会にご紹介いたします。

マザーテレサの信仰はカトリックでしたから、カトリック信者が多数を占める南米の国々の人々からは、強く指示されていたようです。

そんなあるとき、マザーテレサは、いきなり多大な寄付を南米の国から受けます。

もちろん、そのときは、南米の富豪の篤志家からの寄付と考えられていたようです。

ところが、あとからわかったことには、ふと「鬼の眼にも涙」だったのでしょうか、その送り主は、実は、いわゆる南米のギャングのボスだったとか。

南米の、その国の政府は、マザーテレサに手紙を出し、「送られたお金は、非合法なものであるから、こちらに返金してほしい」と懇願したようです。

ところが、マザーテレサは、その申し出をあっさり一蹴し、一度得た、そのお金を返金しなかったようです。

今までの彼女の行動から推測するに、

「 いいえ、このお金は、神様が、貧しい人のために与えてくださったお金です。きれいも汚いも、合法も非合法も、神のまえには意味を持ちません。神様が与えてくださったお金は、ありがたく貧しい人たちのために使わさせていただきます! 」

とでも、きっぱりいって、突っぱねたのかもしれません。

南米の国々は、カトリックの国ですから、マザーテレサの背後にひかえるカトリックの総本山、バチカン市国には、頭が上がらない。そういう彼女の宗教の後ろ楯となっている政治力をも巧みに使って、いったん受けた寄付は、頑として返さなかったのではないか、と思います。

たとえば、こういう例を考えてみましょう。

自分の幼い子どもたちが、何日も食べていないで飢えている。

なんとかしなければならない、と母親は必死になります。


そこに、たとえ盗まれたパンであっても、誰かから与えられれば、まずは何よりも飢えている子どもにパンを食べさせることを、鬼のようになって最優先するのが、強力なる母性の力でしょう。

誰からもかえりみられず、厄介者扱いされ、孤独に取り残されて、虫けらのように死んでいく人がある。

それを見ても、誰も実際には何もしようとはしない。

自分が、彼らにパンをやらなかったら、誰がやるというのか。


どうも、こういう鬼のような強烈な決意が、彼女にあったように思えてなりません。

たとえ、盗人がくれた金であっても、「お金に汚い、きれいはない。神様の思し召しだから、よろこんで、貧しい人のために使います。」と、きっぱり割り切っていたのではないでしょうか。

マザーテレサは、ノーベル平和賞を受賞した際も、多くの人が欲しがる賞そのものには、ほとんど感心がなかったようで、やはり、施設の皆を食わせるために、その高額な賞金が魅力だったから、あえて受賞を受諾したような感じを受けます。

そのような一端を示すエピソードとして、マザーテレサは、受賞のときのスピーチで、自分のためではなく、あくまで「貧しい人々を代表して」受けるとの発言をしていますし、彼女と話ができることを期待する世界の名士が集う受賞の晩餐会やパーティーには、眼もくれず、「そういうことに使うお金があったら、貧しい人に分けてあげてください。」とひと言いって、サッサと、その場を立ち去り、帰ってしまったそうです。

ここらへんが、慈善を売り物にするハリウッドの売名映画スターたちとは、全然違うところです。

私は、ノーベル賞の権威も価値も、否定しませんし、受賞そのものは素直に正当に、その価値を評価しますが、よくよく考えてもみてください。

ノーベル賞をつくったスウェーデンのアルフレッド・ノーベルは、何によって莫大な富を得たのでしたか?

ご存知の通り、ダイナマイトの発明によってです。

もちろん、人に役立つ発明でもありましたが、実は、ノーベルに天文学級の莫大な富を与える原因となったものは、皮肉なことに「戦争」なのです。すなわち、ノーベルは戦争長者であったわけです。

ノーベルは、そのことに非常に罪悪感を持ち、一生結婚もせず、家庭も持たないまま、孤独のままに、ひとりその生涯を終えたようです。

彼が、自らの罪滅ぼしとして、設立したのが、ノーベル賞であったわけです。

こういうノーベル賞の背景を洞察して、「ノーベル賞は殺人賞」と喝破した、東洋哲学の思想家も存在したようです。

「そんな贅沢なご馳走にかけるお金があるのなら、貧しい人に分けてあげてください。」といって、受賞パーティには、顔も出さずに帰ってしまったマザーテレサの肝のすわった太っ腹。

いったん受けた寄付金は、たとえ、盗人の金であっても、ありがたく貧しい人のために使おうとする強烈な信仰と精神。

やわでおせんちな甘い慈善根性では、短時間らい病患者の膿んだ足をさすってあげるくらいで、卒倒して逃げ出してしまうのが、関の山でしょうね。マザーテレサの施設では、シスターたちが、そんなことはあたりまえに毎日やるのですから!!

強烈な母性力あふれる、肝っ玉ゴッドマザーの、マザーテレサは、とにかく、一度にぎった金は離さないほどに、たくましい女親分だったのでしょう。

お見事です、テレサ親分!

  
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2006年08月12日

「衣食足りて、礼節なし」その米国的な一面 (2)

このブログは、おもに経営者とその家族の健康管理や「命もうけ」に役立つような、目からウロコの発想や情報を、わかりやすくお伝えすることを目的としています。
 
 暑い日が続きますね。水分を多く摂ることはいいことですが、汗をかくので、体に必要な塩分までどんどん外に出て行ってしまいますから、良質の添加物のない本物の梅干をときどき摂るなり、良質の添加物なしの自然醸造の味噌を使った味噌汁などを食卓でマメに摂り、脱塩しすぎになりがちなところを適度な良質の塩分を摂って補ってください。

 極度に脱塩すると、皮膚や粘膜が弱くなりますし、傷も治りにくくなります。適度な塩分補給は必要ですよ。 以上、暑い夏のワンポイント・アドバイスでした。

 さて、先回、米国のユナイテッド航空の乗務員の礼儀やマナーの悪さの例を上げて、どうも「衣食足りて礼節なし」になりがちな、米国航空会社の自己主張過剰な敵対的サービス(?)の実例を上げてみました。

 そんな折、最近、近所のコンビニで「サービスの花道」(講談社MOOK)という雑誌を見つけ、ページをめくると、有名な経営コンサルタントである大前研一氏が、私と同じような感想を、はっきりと米国航空会社に対して述べていたのには、そのあまりのタイミングの良さに、びっくりしてしまいました。
サービスの花道
大前研一氏は、その雑誌の「JALとオークラのサービスがだめになった理由」(P.10−P.11)という記事の中で、こう語っています。


 航空業界でいえば、顧客満足度が急落している代表例がノースウエスト航空。アメリカ人が「ノースワースト」と呼んでいるほど、そのサービスは最悪のレベルにある。私もファーストクラスに乗って、エアコンから水がポタポタ落ちてくるのに驚いたことがある。

 問題はその先だ。客室乗務員に文句をいうと、「私はエンジニアではないから、そんなことをいわれても……」という返事。「嫌なら、水の落ちてこない席へ移動すりゃいいじゃないか」という態度が見え見えである。言っても無駄だと寝てしまうことに決めたが、今度はクッションがない。乗務員に伝えると、「あんたが探して見つからないなら、ないんでしょ」という返事だった。 (中略)

 …世界最低レベルに躍り出たのが、アメリカの航空会社。「ついに、ここまできたか!」と、ため息が出るほどの惨状である。組合が強いので、少しでも労働強化があれば反発する。その結果、マニュアルを作って最低限のことしかやらない。しかし、サービスというものは最低限ではダメなのだ。


 私は、さすがユナイテッド航空では、ファーストクラスでのこういうクレームは聞いたことがなかったので、まさかノースウエストは、ファーストクラスでさえ、ここまでひどいのか、とは知らず、あきれかえったものですが、しかし、容易に想定できるやりとりです。

 最近のアメリカの航空会社の乗務員の態度やマナーには、たしかにお客にサービスをするとか、ホスピタリティあるもてなしをするなどという姿勢が、まったく感じられません。最低限のサービスですらできていない、実にいい加減な客への対応には、大前研一氏がズバリ指摘しているように、目に余るものがあります。

 ユナイテッド航空でさえ言語道断と痛感したのに、ファーストクラスですら「そんなこと俺知らないよ」という事なかれ主義で通したノースウエスト航空の乗務員は、まさに米国人が「ノースワースト」と呼ぶ通り、非常に悪質なストレスを、空の旅を心地よく過ごしたい乗客に与えるので、凶悪犯罪にも準じていると思います。

 私は、ユナイテッド航空の非常に失礼な接客対応について書いてから、検索エンジンで少し調べてみましたが、やはり、かなりの方が不愉快な思いをしているようですね。

 Googleで検索して、眼にとまったブログ記事「ニューヨーカーへの道−励まし系語学学校社長のNY日記」には、2005年6月22日に「ハワイ(最終日)ユナイテッドエアラインズの最悪の接客」というものがありました。

 読んでみると、これはひどい。最初から差別するような人を鼻でせせら笑うような失礼な対応をしただけでなく、機内でランチを買った折のお釣りをテーブルに投げ捨て、そのお金が、ランチのサラダの上に落ちたのだそうです。詳細が、かなり具体的に書いてあるので、実際の記事をお読みいただきたいと思います。

 ほんとうにこういう信じがたい対応が日常化しているアメリカ航空業界の末期がん的な症状を知るたびに、まずこういう乗務員は、サービスの仕事をする資格がないし、サービス業によって給料を受け取る資格すらないと思いますね。

 また、味気なくマニュアル化された機械的な接客教育以前に、そういう乗務員が育った米国の家庭での親の教育こそが、大きな問題だと思いますね。だって、あたりまえの人間のマナーや基本すらできていないですもの。礼儀とマナーに関しては、一部のエリート層の人たちは別にして、米国は本当にダメです。

 このブログ記事は、かなり具体的に書いてあったため、そのブログ記事を読んだユナイテッド航空の日本オフィスのカスタマーサービスから謝罪のメールが来たようです。2005年7月2日「ユナイテッド航空からの謝罪」というブログ記事を読んでみてください。

 しかし、やはり日本人ですから、その方も人がいいのだと思います。一応、思いがけなく謝罪のメールが来たことで、よし、とされたようですが、私は、謝罪を「メール」という、いくらでも、あらかじめお詫び文のテンプレートを作っておける非常に安易な媒体を使って行い、それだけで済ませているところが、ユナイテッド航空は、本質的には非常に人をなめているなと思いました。だって、メール一通でカンタンに済ませて終わり、なんて態度、根本がおかしいじゃないですか。

 また、日本では、その昔、たとえば、食料品や牛乳などに不備があり、腐っていたりしたら、その大手企業の中堅幹部の人が、菓子折りを持って、失礼のあったお客さんの自宅を訪問して、平身抵頭おわびにうかがうなど、あたりまえに行なったものですが、最近は、そういう誠意を示す基本姿勢が企業にも見られなくなりましたね。


 このひどい扱いを受けたブログ記事の方の場合も、もし、メールで謝罪という行為をとるなら、もっともカンタンな伝達手段であるメールでの謝罪だけで済まさず、せめて、お詫びの気持ちとして、無料往復航空券か、次回の旅行で使える座席のアップグレード券ぐらい、不愉快な思いを与え、迷惑をかけたお客さんに送るぐらいのこともできなければ、そんなメールでの形だけの詫びなど、単なる言葉の上での責任逃れのごまかしにしか思えません。

 先手を打って相手の予期していないメールを送り、丁寧に言葉の上でわびれば、なんとかそれだけで相手が機嫌を直してくれるであろう事をどこかで期待しているのであれば、それは、実に安易であって、丁寧な言葉とは裏腹に、実に誠意のない、ある種のせこいずるさを、私は、そこにかいま見ます。

 私は、具体的な実際の誠意ある行動のともなっていない詫び状などは、何の価値も意味もないと考えています。

 こういう問題は、医療や福祉のサービスやホスピタリティ・ケアを考える意味でも、非常に重要なテーマですね。大いに関係してくる。無関係ではないのです。

 まだ、どんどん怒濤のごとく書きたいのですが、またいっきょに書くと長くなって読みにくくなってしまうと思いますので、ぐっとこらえて、今回は、この辺でやめておきましょう。次は、あまり間を空けずに、早めに続きを書きます。

 なおホスピタリティと人間学については、葉山昌一さんという方がブログに、なかなか良い発想のヒントをわかりやすく書いておられますから、是非、参考に読んでみてください。さりげないブログ記事ですが、味のある内容で、おすすめです。

  
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2006年07月27日

「衣食足りて、礼節なし」その米国的な一面 (1)

 このブログの本来の目的は、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」について目からウロコのような情報や発想を、わかりやすくお伝えすることです。

 ですが、健康の問題は、結局、人生全般に関わってくることなので、健康の分野に限らず、そのときどきで問題意識を持ったことについて、幅広く書かせてください。

 今回のテーマは、「衣食足りて礼節なし」。このところ、ずっと書こうと思いながら、どういう切り口で書いたらよいか、ずいぶん悩んでいたテーマです。それほど、ある意味で憤りと怒りの感情がストレートにこみ上げてきたものですから、それが引いて冷静に書けるようになるまで時間がかかりました。それゆえ、単なる個人的な感情だけになっていないか、友人はもとより、成田空港ちかくのホテルのフロント・デスクのスタッフや、乗ったタクシーの運転手など、さまざまな分野の人に聞いて、意見を求めてみましたが、一応に「ひどすぎる。」との感想でしたので、やはり、事実としてお伝えして、考えていただくことも、よい問題提起と感じるようになりました。

 ここで、ひとつのキーワードを申し上げます。

「重大な病気が進行する前には、かならず、軽微な初期症状があらわれる」 

 この自然の摂理は、どうも会社であっても、国であっても、どうも同じような気がします。

 私は、20年ほど前から、米国に出張する場合は、ユナイテッド航空を使うことが多く、ずっとそのプレミア・メンバーですが、ここ2年くらいで、今までとはちがうやや異常ともいえる接客対応現象にたびたび遭遇するようになりました。

 もちろん、米国の航空会社などに、別に質の高いサービスなどは、最初からまったく求めていません。昔から、ユナイテッド航空などは、その昔、長身の白人のスチュアーデスが、眠っている通路側のお客さんの足がすこし通路側にはみ出していて、それを蹴っ飛ばしても何もいわないことなど、よくあたりまえにあったことですから。昔から、アメリカのやりかたは、とくにサービスについては、舌がバカではないかと思われるような大味のアメリカの料理同様、非常に雑でルーズです。

 ある有名人が、「アメリカは、サービスとホスピタリティーの国だ」とか、実にとんちんかんなことを言っていましたが、現場を知れば、それは、お金をより多く払ったファーストクラスの客には、媚を売るようなサービスをするが、あとは、まったくそうではない、ということが全くわかっていない発言だと思いました。サービスもなんでも、地獄の沙汰も金次第になりやすい国がアメリカですもの。事例はいくつでも上げることができますが、それが主題ではないので、やめます。

 米国では、他の国とちがい、飛行機のパイロットは、大型トラックの運転手、スチュワーデスをはじめとする乗務員は、低賃金のファミリーレストランのアルバイトウエイトレスぐらいの非常に低いステイタスしかなく、優秀な若い米国人で、なり手がいないわけですから、あまりサービスについては、最初から質の良いサービスは期待しても無理だと思っています。

 しかしながら、あくまで彼らのやっていることは、「旅客サービス業」であって、ただの「貨物運送業」ではないわけで、客を客とも思わない無礼で侮辱的な態度や、客の側に問題はないのに、明らかに自意識過剰な敵対的な言動をする場合は、これは見逃すわけにはいきません。「筋を通す」べきです。へらへら英語しゃべる奴に媚売って、あとでひそひそこそこそ仲間内で「あの従業員の態度は、ひどいわよねぇ」などとぼやいても、そのとき、筋を通して、はっきり相手に自分の意思を伝えなければ、伝えない方が悪い、とされてしまいますね。英語ができなければ、日本語のできるスチュワーデスを呼んで、はっきり主張しなければ、バカにされたままの負け犬で終わります。

 もちろん、お客が、お酒を飲んで騒いだとか、トイレでタバコを吸ったとか、あきらかに客の方がルールやマナーを守らず、わがままをいってきたら、毅然とした態度で、乗務員がそれに対処してかまわないと思いますよ。

 とくに、日本人は、何があっても、英語もできず、はっきりと筋を通すことができず、ただ我慢して黙っていることが多いので、非常になめられているところがありますから、そういうときは、はっきり相手にモノ申さないと、なめられたままで終わりです。後々の他の日本人への対応にも関わってきますから、断固として、あいまいにして、だまったまま身を引いてしまってはいけないのですよ。面倒でいやなことですけどね。米国では負け犬を思いやるようなことはありませんもの。

 いちいち言葉にして主張しなければ、なめられたままでバカにされたままで終わるようなところが米国の一番いやな疲れるところです。いちいち言語化してはっきり主張しないとわからない連中ばかりですから。相手の気持ちを察してくれるであろうと甘い期待をしているととんでもないことになります。ただ筋をはっきり通せば、まともな米国人の幹部クラスなら、話は通じるものです。

 また、むこうはトップダウンですから、もし、不当な理由で乗客に失礼なことをして、そのことが上司や会社のトップに、証拠となる事実とともに提示され、それが不当なものであることが認められれば、翌日から解雇されても文句を言えないのがアメリカ社会です。まともな人間は、そのことをわかっていますが、愚か者はわからず、自分の立場もわきまえずに、自意識過剰な自己主張だけを一方的に自己正当化していってきます。

 以下、書くことは、すべて日時、乗った便名、私の席番号、などくわしく証拠となる事実をメモしてありますから、単なる中傷とかではないので、いつでも乗務員名簿と顔写真と照らし合わせたら、証明できることを、あらかじめおことわりしておきます。また、あくまで「旅客サービス業」なのですから、きちんと具体的な会社名も当然のことながら明らかにすることにします。

 ユナイテッド航空で、あるとき到着地が近づいてきたのに、一向に、その国の入国カードを配らないので、スチュワーデスに聞いたことがあります。すると、答えは、「入国カードの数が不足していることは、すでにとっくにアナウンスしましたけど。」という答え。

 一瞬、ずいぶん無愛想な態度だな、と思いましたが、そこはぐっとこらえて、「そうですか。それじゃ、居眠りしているあいだにアナウンスが流れたのかもしれないですね。知りませんでした。それじゃ、その入国カードは、どこで受け取ればいいのですか?」と聞くと、あっさり「それは、わかりません。」との答え。一瞬、目が点になり、「はぁぁぁぁあ?!」とあっけにとられました。

 これじゃ、フライト乗務員としてのあたりまえの役割を果たしていない。コンビニの店員よりひどい。それはそれは、ひどくアメリカナイズされた日本人スチュワーデスでしたね。やっと気持ちを取戻し、「どこで受けとったらいいか、その案内もしてくれないんですか?それじゃ、入国カードを持っていない人は不安じゃないですか?」と聞くと、迷惑そうに、ちょっと待て、というような素振りをして、サツサと行ってしまいました。

 すると、前の方から、アジア系の日系か韓国系のアメリカ人男性が出てきて、後から聞くと、そのフライトのチーフ・パーサーだったようですが、その人が、「空港で入国カードを用意していなかったのが悪いので、われわれの責任ではない。」という、いきなり、どうしようもない幼稚ないいわけと自己正当化のセリフがとびだしてきました。

 これには、頭にきましたね。「まず、そういう不便をかけることに対する対しての誠意あるわびと説明があって、そのうえで、きちんと客にそれをどこで受け取ったらよいか、という案内をするのが道理だろう?君は、いきなり、いいわけと自己弁明だけをして自分を正当化しているだけじゃないか。そこに、なんの誠意も感じられない。君たちが、素直に不便をかけることをわびて、きちんとどこで入国カードを手に入れるか、案内してくれていたなら、別に何も言わない。こういう礼儀も誠意もない、幼稚ないいわけを正当化するだけで済ますのなら、私は、あなたの会社のCEO(最高経営責任者)に、直接、具体的なクレーム・レターを書かなくてはならなくなるよ。」

 こういうと、少しはびびったのか、今まで、客を客とも思わない命令口調だったのが、語尾に、「Sir」をつけるようになる。しかし、「それでもいいか?」をいうと、引っ込みがつかなくなったのか、「どうぞご自由に。」というので、「それじゃ、名前をおしえなさい。」というと、逃げてしまって、あくまでおしえようとしない。通常つけてある胸のネームカードもはずしてある。「それじゃ、誰かに聞いて調べて、クレーム・レターを書くからね。」と、英語でやりかえしました。

 時間と労力が無駄なだけだし、面倒くさいので、結局、クレーム・レターまでは書きませんでしたが、そのときは、いっぺんで不愉快な気分になり、相当あとまでいやな気分を引きずりましたね。こういうのをすべて英語でやるのもエネルギーが入りますよ。こういうモノの道理も分からないで自分を正当化するいいわけだけするやつは、思わず「幼稚園からやり直せ」といいたくなりましたね。これが、よくあるアメリカ的ないいわけの定型的な悪い例です。

 こんなこともあります。ちょうどトイレに行って、自分の席に戻ってきたところ、食事の残ったトレイをスチュワーデスが片付けていて、通路を塞いでいるところでしたので、邪魔をしてもいかんな、と思い、ちゃんとぶつからないように距離を置いて、作業が一区切りするまで待っていました。

 ところが、その後ろ向きになったスチュワーデスは、せっかちに進行方向である後方にまったく注意を払うことなく、急にすばやくバックしてきたので、もろに私の足を踏みつけました。当然、そこで、「Oh, Sorry !」とか普通のまともな人なら言うところなのですが、そのスチュワーデスは、自分からこちらの足を踏んでおきながら、いきなりこちらをにらみつけ、わざとこちらが当たったかのようなジェスチャーをするのです。

 あまりにもしらじらしいので、「私は、何もしてないですよ。ちゃんと待っていたら、あなたがいきなり下がってきて私の足を踏んづけたのですから、ひとことあやまるのは、あなたの方の礼儀なのではないですか?」と英語でいうと、「あなたは、私の後方にいたのだから、あなたがExcuse me.というべきだ。」といってきたので、また、目が思わず点になり、「はぁあああああ?!」と声を失いました。

 スチュワーデスが自分から足を踏んできて、客にこう平然といってきたのには、あきれ果てました。これは、アメリカナイズされた台湾系のスチュワーデスでしたね。

 あまりにも、失礼なので、こういうのは、ばんばんクレーム・レターを書いて、どんどんクビにするべきだと思いますね。この場合は、名前をしっかり控えました。

 だって、そうでないと、他のまじめに普通にやっている問題のない乗務員だって、彼女のせいで迷惑をかけられることになりますから。会社の教育によってではなく、その人自身の個性と人柄で、例外的に気持ちの良い対応をしてくれる人だって、ごくまれにいます。バカのせいでそういう人までがとばっちりを受けるようなことはかわいそうですからね。

 こういう何か勘違いしているような自意識過剰なおかしいスチュワーデスがいると、そのあとの気分がひどく悪くなるので、一種のストレス犯罪だと思いますね。そのスチュワーデスが行なった棚の上の荷物の整理も、パソコンが入れてある荷物がそこにあれば、壊れてしまうのではないかともわれるほど、乱暴で雑なやりかたでしたね。

 こういうバカな乗務員に客が逆に気を使うような場面が、ここ2年くらい、ユナイテッド航空に如実に増えてきています。敵対的サービス(?)というか、まさに客に、不当に敵対的な態度や言動を示すのが、おもしろいことに、白人や黒人の年配の乗務員ではなく、決まって、アメリカナイズされた自意識過剰なアジア系スチュワーデスなので、いやになります。全般的に、客に敬語など使うことも少なくなり、「命令口調」で客に指示する雑な乗務員の姿も、かなり見かけるようになりました。

 さらに、例を挙げると、ごく最近のことですが、上の棚に荷物を入れておいたら、スチュワーデスがやってきて、この荷物は誰のか、と聞くので、私のだ、と答えると、どうも、その荷物をさらに横に詰めて、他の客の荷物を入れるスペースを作りたい様子。そのバッグには、書物が入っていて重いので、背の低いそのスチュワーデスでは無理と思い、「ああ、それなら、私がやります。」といって、座席の上に靴を脱いで上がり、荷物を横の方に寄せました。

 やれやれ、と思って自分の席に帰ると、まだ、スペースが足りないといって、こちらを呼ぶので、また、座席の上に乗って、荷物をさらに詰めてスペースを作りました。あくまで親切心でやったことで、「Thank you.」とでもいうものかとばかり思っていました。それまでは、気分も良かったのですが、私がやりますから、そこをちょっとどいてくださいね、という感じで肩に触れたのでしょうか、すると、そのスチュワーデスは、私がセクハラでもしたみたいに、キッとなって、「私に、さわるな。」といってきたので、また、目が点になってしまい、一瞬、声を失いました。「はぁぁああああ??!何?この人??!」という感じ。

 私がいきなりふざけてお尻でもさわったなら、キッパリそういってもかまわないと思いますが、あくまで、親切心で「私が、やります」といって、そこをどいてくださいね、という感じでの、あきらかな状況の進行上の流れがあって、自然に肩に触れたくらいのことですよ。自意識肥大過剰意識にもホドがあります。

 だいたい、ムキになって、こういうこと言ってくる人間に限ってブスで、性格もブス。たのまれたって、さわりたくないような人物です。

 このスチュワーデスも非常にアメリカナイズされたアジア系の乗務員で、普通のまともな日本人のスチュワーデスなら、こんな極端な対応は客には、まずしませんが、こちらを日本人だと思って、なめてかかってきているみたいなので、英語で「私は、ただあなたを親切に手伝っただけじゃないですか。なんでそういうことをいわれなきゃならないんですか?ずいぶん失礼だと思いますけど。」というと、「別にはじめから、あなたのヘルプなど必要なかった。」という返事。また、思わず、「はぁあああああ??!」とびっくり。だったら、いちいち荷物のことで、こちらを呼び出さないで一人でやりゃいいではないですか。

 そういえば、日本の大手企業の米国支社の幹部が、部下の女性からセクハラで訴えられて、莫大な賠償金を取られたようなケースがありますが、たいていの場合、その女性と弁護士が、巧妙に計画的に脇が甘い日本人を「はめる」ようなケースが多いですから注意することです。

 本当は気分の良い日だったのですが、このことで、めちゃくちゃ気分が悪くなり、腹が立ちました。こういう自意識過剰なバカもどんどんCEOあてにエビデンスとともにクレーム・レターを出してクビにしてしまいましょう。米国のルールにのっとって、だまって耐えていないで、がんがんCEOあてにクレームレターを証拠となる事実とともに直言しましょう。米国では、あえてやらないと、なめられてごまかされて、まるでこちらが悪いかのような処置をされて終わりです。

 こういうことは米国ではあたりまえのことなので、その昔、あのふだんは温和なアンドルー・ワイル博士であっても、自分のお父様だったかが病気の折に実家に戻る際、その飛行機会社の不当な対応について、エビデンスを書き、激しく抗議している文面のレターが自宅の机の上にあったのを見て、いざとなると、アメリカでは、ここまでやらんといかんのだな、と思い知ったことがあります。

 私は、やむをえないミステイクや、すぐに自分のミステイクを認めてきた場合は、かなりこちらに迷惑や被害があっても、いさぎよく寛大に許してしまう人間なのですが、あきらかに自分に非があることでも、いいわけしてごまかしたり、自分を正当化してくる人間が大きらいですから、そういう人間には、一歩も引かないで、とことんやります。皆さん、アメリカでは、こういうケースは一歩も引き下がってはいけないですよ。いうべきときは、堂々といってください。そうでないと、どんどん、日本人をなめてかかってくるからです。面倒でいやなことですけどね。

 もちろん、そういう自我の肥大したひどい性格ブスのスチュワーデスばかりではありません。そのあと、そのスチュワーデスの言動を思い出すたびに、むかついていたのですが、成田空港が近づいてきたときに、皆が、シートベルトを着用になった際、ある年配の黒人女性の乗務員が、近くのお客さんに、「これから、まだサンフランシスコまで行くんですか?長旅で、たいへんですね。」などと声をかけている風景が、なんとも人情味があって、しばしいやな気分が癒されたものでした。

 ユナイテッド航空は、すでに2002年に経営破たんし、倒産した航空会社です。一時期、政府に援助を求めて見事断られていたようです。それなのに、なぜ、今もまだ飛んでいるか実に不思議なのですが、どこかが金を出してきたのでしょう。倒産した直後は、やや高ピーだったユナイテッド航空の従業員の対応が、バツが悪いためかやわらかくなり、いつもより親切になったので、やはり人間はすこし苦労したほうがいいな、と思ったものですが、最近は、やたら、CEOが号令をかけて、リストラと経費削減に力を入れているようで、非常に顧客対応が機械的でギスギスしてきています。

 以前は、クレーム・レターを書くといって、問い合わせれば、ちゃんとCEOの名前をおしえたものですが、最近は、無難にカスタマーサービスのところで、マニュアル化されたテンプレートでE-メールで答えて、適当にごまかして安易にすませようとする傾向が感じられ、CEOの名前をおしえません。

 まさに、事なかれ主義の役人のようなサラリーマン根性に、ますます拍車がかかってきたように感じます。とにかく、適当に責任をごまかそうとする傾向が以前より強まってきている感じがします。そんなことをしても、インターネットの時代、検索すれば、CEOの名前などすぐにわかる時代なのに愚かですね。

 ちなみに、現在のユナイテッド航空のCEOの名前は、Glenn F.Tiltonで、President件CEOを務めています。もともとは、あの世界的に有名な石油のメジャー、Chevron Texacoの副社長をつとめたことのある石油屋さんですね。お客のためのサービス業などは経験していないようですね。

 石油屋さんなら、ユナイテッド航空のサービスが以前にも増してどんどん悪くなっていく理由も分かるような気がします。倒産企業に、あぶく銭を持っている石油資本が押えておくとウマ味があるので、お金でも出して存続させているんでしょうか。どうもブッシュ家もからんでいるような匂いもします。また、最近うまく経営の帳尻を合わせてか、ナスダックに上場したようですが、UA従業員の組合からの激しいCEOあての抗議文書も公開されているようです。どうも顧客のことより、会社のマネーゲームが優先され、ごちゃごちゃな内部事情は、もうぐしゃぐしゃみたいです。瀕死の末期がんの患者に荒療治の大手術しても、もはや命が助かるとはとても思えません。投資家から金を集めるための演出のような気がします。顧客を軽んじてばかにし、むげにあしらえば、いずれ、結局、世界中の顧客から見捨てられるだけでしょうね。


 ユナイテッド航空から不当な扱いを受けたら、どんどんこの最高経営責任者CEOあてにクレームのレターを、十分なエビデンスをつけた上で、直接、本社宛に出したらいいですね。客の直接の現場の声を伝えることなくしては、あたりまえなレベルにすらサービスが向上することはないでしょう。

 その昔、一時期、ユナイテッド航空では、良いサービスをした乗務員には、乗客が、色のついたサービス評価カードを、降りる時に当人に手渡し、その枚数に応じて、より特別なボーナス手当てを与えることを実施し、乗務員が競ってサービスの質が向上させたという実例もあるようですから、今のようなやる気のない警察のようなサービスは工夫次第で改善する余地があるのではないでしょうか?

 ユナイテッド航空のサービスの悪さを感じている人は、他にもけっこういるだろうと思い、Google検索で「United Airlines Bad Service」というキーワードを入れて調べて見たら、2006年7月25日時点での検索結果で、なんと1630万件ものサイトがヒットしました。

 「United Airlines Terrible Service」で検索したら、260万件ものサイトがヒットしました。

 以前、キャッチフレーズの売り物だったFriendly Skyという言葉も最近聞かれなくなったので、「United Airlines Unfriendly Service」で検索すると、18万6000件もヒットしました。

 乗客に敵対的な言動をする無礼な乗務員も、ここ2年くらいで増えてきたので、「United Airlines Hostile Service」で検索してみると、まさかあるまいと思ったら、64万9000件もヒットし、驚きました。

 すべてのサイトがユナイテッド航空への不満を示すものばかりとは思いませんが、かなり世界的に、ユナイテッド航空に不満を持っている乗客が多いことは、この検索結果を見てみてもおわかりになるでしょう。私だけが、わがままで文句を言っているではありませんよ。

 ユナイテッド航空は、なんと有楽町にあったメイン・カウンター・オフィスまで閉鎖してしまい、成田空港内のオフィスだけ残して、電話とメールだけの受付にしてしまったようですから、経費削減のための合理化というか、顔を見て顧客へのサービスをするつもりなど、ないというか、ますます顧客を大切にしない機械的で効率だけのマニュアル的対応が増えることでしょう。

 でも、顧客を大切にせず、顧客を無視した機械的な「旅客サービス業」が、今後まともに再建して、正常に生き延びることは、かなりむずかしいのではないかと感じています。どうもあのような巨大な組織内部では、あのエンロンのような腐敗が、悪性がん細胞が増殖するかのようにおこっているのではないかという気配も感じます。 

 なぜなら、重大な病気の進行の前には、かならず軽微な初期症状が、いろいろな何気ないところにあらわれてくるからです。

 自分の側に明らかに非があるような場合でも、自分が責任を認めたくないがために、平気で相手のせいにして、自分を正当化しようとする自意識過剰型の自己肥大反応は、観察していると、このフライト乗務員の例でも顕著なように、表面だけアメリカナイズされたアジア人や日系人に、よく見られ、むしろ、白人や黒人には、ここまで極端で愚かな対応は見られないのが特徴です。

 このことは、すこし英語ができると鼻にかけて高ピシャな態度を取り、何かあると、いいわけばかりする東南アジアの国々の5星ホテルでも顕著にその傾向が出ております。英語が少しできても、えらいわけでもなく、そういうことを鼻にかけて米国のトラの威を借りて威張るのは、まともな米国人から見ても、愚かに見えます。

 英語が少しできたり、米国ですこし暮らしたくらいで、何かを勘違いして鼻にかけるような人物は、圧倒的にアジア人に多いですが、そんなものは、非常にみっともない植民地根性にすぎないと、私は、苦々しく思っています。

 ひとことでいえば、米国かぶれは、本当にアジア人の心と精神を、とことんだめにします。

 こういう米国の表層のツッパリだけをアジア人や日本人がまねると、カリカリした自己主張だけの自意識だけがやたら肥大化した、柔らか味のないどうしようもない自己中人間になるようですから、ゼッタイ日本人の若い人にマネしてもらいたくありません。

 アメリカという国は、極端な例をあげれば、自分の子どもが学校で成績が悪いのは、どうも、うちの子をとりあげたあの産婦人科の医者が悪い、といって平気で、訴えることもまかりとおってしまう、ある意味で非常に狂った国ですので、精神面では、くれぐれもアメリカのマネなどしないことです。すご腕の弁護士につぎこむ金を惜しまなければ、そういういちゃもんつけられた医師の方が、本当は無実なのに、裁判で敗れることなど、しばしばあります。ですから、米国の産婦人科は、自分の身を守るために多額の保険に入っているのが通常です。

 「衣食足りて礼節なし」の米国の上っ面ばかりをマネすれば、マナーも礼儀も精神性もモラルも、どんどんだめになり、人の迷惑などどうでもいいと考えるような自分勝手な利己的我欲肥大型人間が増えてしまうことが実感として感じられるがゆえに、フライト・サービスにおける顕著な例をいくつか挙げて説明を試みました。このことは、くわしく書けば、1冊の本になってしまうと思いますので、この辺でやめておきましょう。 
  
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2006年07月12日

モンゴル少女の人生に見る、人間の生老病死の現実のドラマ

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」について役に立つような情報や発想について、わかりやすくお伝えすることです。

 ですが、単に健康のことを書いても、みのもんたの番組を見て鵜呑みにした主婦が、あわててスーパーに苦瓜を買いに行くような、熱を帯びた一時的なブームみたいな知識ばかりを提供することになってしまっても、私自身もつまらないので、だんだん人生全般、生きること全般へのヒントについても、書きたくなってきました。

 考えてみると、医療や健康の問題もまさに人間学の問題に大きく重なってきますね。

 実は、1ヶ月ほどアジア方面の海外に出張していて日本にいませんでしたが、海外に出るたびに日本人や米国について考えることがあり、そのことを書こうかと思ったのですが、あまりにも書くべきことが怒涛のごとくありすぎて、書き出したら止まりそうにないし、今書くと、心にたまった憤りや怒りをそのまま書いてしまいそうで、読者の方が不愉快に感じてもいけないな、と思いとどまり、もう少し、熱い気持ちがおさまってから、うまく切り口を考えて書いてみようと思っています。

 そのテーマをひとことでいえば、世界を見てきて実感する米国人や日本人の「衣食足りて礼節なし」の実態についてです。さらにいえば、「アメリカの上っ面の表層だけを見て、そのマネをすれば、アジアや日本の心と精神がとことんダメになる」という強い実感です。もちろん、アメリカのすべてをきらい、否定するわけではありませんよ。いいところもありますから、正しく説明するのは、かなりたいへんなのです。

 このことは一部のほんとうに教養も人格も深い少数の米国人が一番よく知っています。私の研究所のブレーンとして国際特別顧問をしてくれている米国人などは例外中の例外とも言えるほど世界的な視野と洞察を持った、人格、能力ともどもスーパーハイクラスの人たちですから、あたりまえのように米国の腐りきった病気を理解しています。

 簡単に言えば、高校生がライフルを乱射して同級生を殺しまくる国など、米国以外どこにもないこと、実際に人を殺した事実があっても、黒を白にしてしまう狡猾で高額な弁護士により、黒人人種問題に巧みにすりかえられ、刑法上無罪になってしまうようなことが平然と行なわれる国。こういう精神性のレベルのとことん低い国をゼッタイに表面だけあこがれてマネるな、という叫びにも似た思いです。アメリカの表面をマネすると、アジアの若者の心と精神と体がどんどんだめになってきている感じがしています。実はもう日本の50〜60代のマナーなきオバタリアン世代の人たちも相当あつかましいほどにいかれていますが。

 アメリカを知れば知るほど、アメリカのいいところもわかると同時に、どうしようもないほどに腐りきったところもわかってきます。アメリカを単純に美化して作り話的に虚構化し、自分が儲けるために巧みに高く日本に売り込んでくるような誇りなき狡猾な日本人には、へどが出る思いがします。 いずれ気持ちがおさまったらくわしく書きたく思います。

 さて、最近、帰国してぎりぎり間に合って、私の長年の友人である冒険家で医師である、グレートジャーニーで有名な関野吉晴氏がまとめたドキュメント映画を見てきました。

 関野氏が、グレートジャーニーの途上、モンゴルで出会った遊牧民族の少女との出会いと別れについて、少女の人間的な成長をも追いながらまとまたドキュメント映画で、人生と、それにまつわるやるせないまでの人間にまつまる生老病死の問題が、現実のドラマとして実に淡々と、それでいて深く心に突き刺さるような映画で、これから、日本全国各地で自主上映されてくると思うので、皆さんにご覧になることを心からおすすめするしだいです。

 ストーリーはここで書いてしまうと、つまらないので、あえてくわしく書きません。ただ無条件な本物の人間のまごころや親切心、といったほっとするものにめぐりあえるでしょう。それでいて、つまらない日本や米国のテレビドラマや映画よりも、現実のドラマはきびしい展開を示し、そのことが私たちの心に突き刺さってくると思います。

 その映画の名前は、そのモンゴルの少女の名前を取って「プージェー」(Puujee)です。

 海外出張中、友人に紹介しておいたところ、非常に魂を揺さぶられるほどに感動してくれたようで、口から口へと映画のことが広がっていっています。

 関野さんは、おとなしい物静かで淡々とした人ですが、普通の人では考えられないようなじん常でない過酷な旅をしていながら、それを、あたかも新宿、渋谷にちょいと行ってきたような感覚で淡々と話してしまうじん常でない原始人みたいな人ですので、たいていの人がだまされます。

 本当の冒険家といわれる人は、意外に淡々として多くを語らない物静かな人が多いようで、村上ファンドの村上氏のようなモノ言うおしゃべりではないようです。

 まったくの余談になりますが、あの事件も、自分の金をてっとりばやく安易に増やそうと村上氏に破格の金を背後から出していた日本のサラ金会社の欲ぼけジジイたちのほうが、はるかにあくどい巨悪のように見えますね。

 だいたい、たかがサラ金会社ばかりが黒字続きでえらそうな顔をしているような国に成り下がった哲学とモラルなき日本は、精神面では完全に堕落・没落してきたような気がしますし、かつて世界中の人々を魅了した日本精神や大和魂は、もう影もない感じがします。

 別に儲ける、利益をあげることが悪いとはまったく思いませんから誤解しないでくださいね。

 ただ、人の迷惑もかえりみず自分たちだけの利益しか考えていないような輩には、かつての渋沢栄一や安田善次郎、本多静六、浅野総一郎、といったスケールのでかい和魂洋才の日本の近代資本主義を作った先輩たちは、大いに嘆くんじゃないでしょうか。

 また、米国の占領下にあっても、日本人としての誇りを捨てず、人としてのプリンシプルを曲げず、非礼な態度をとったマッカーサーを叱り飛ばした白洲次郎のような人物なら、非常に怒るでしょうね。(PHP研究所発行「歴史街道8月号」に、その痛快な白洲次郎氏の特集がされていますから、是非、お読みください。)
 
  
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2006年06月27日

忘れられないバリ島の型破りな画家

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」に役立つような情報や発想を、わかりやすくお伝えし、日頃、一大盲点になりがちな大切な生命へのインテリジェンスをすこしでも養っていただけるようなヒントとしていただくためです。

 でも、健康についての知識ばかりでもつまらないし、結局、自分の命について理解を広げ、深めることは、「人生そのものをどう生きるか」という問題にも大きく関わってきますので、健康そのもののHow Toにとどまることなく、生きること全般についても、どうぞ広く自由に書かせてください。

 インドネシアのバリ島の中部にウブド村という、バリ伝統芸術のメッカがあります。歴史的に見ても、この村の周辺にバリに魅せられた芸術家が世界からやってきて住みついてしまったというような場所です。

 たしか1991年だったか、はじめてこの村を訪れて、強い日差しの中で、草木が輝き、段になった水田の水面が、太陽に光に輝き、村の人や子どもたちが、一日を終えて、夕方ちかく川や水田の用水路で、水浴びをしている姿を見て、「まさにゴーギャンの絵画そのもののような光景ではないか!」と驚いたことがあります。

 ウブド村の西にチャンプアンという地域があり、そこに、世界的に有名なバリ島の画家アントニオ・ブランコのアトリエ・スタジオがあります。

 はじめてそこを訪れてみて、驚いたのは、画家が実際に創作をする制作現場である部屋を自由に見学できたことで、展示してある絵画を見たあと、実際にまだ製作途中の絵が、そのまま見れることもありました。もちろん制作中は鍵を閉めていて、誰も入れませんが、そうでないときは、自由に見れるのです。展示されている作品に見入っていると、そこに突然、どこからともなくベレー帽をかぶった人があらわれ、親切にいろいろ説明してくれるので、いったい誰だろうと思っていると、本人だったので、さらにまた、びっくりしたものでした。

 見学者に何か制作中の絵にいたずらされたり、物を盗まれたり、心配や不安はないのか、と誰もが気にかけるのですが、本人はそれを笑い飛ばすようにいいます。

「ちゃんと念のために、セキュリティーはいるし、テレビモニターでも監視はしているから、何かあれば、ガードマンがすっとんでくるから大丈夫。それより、いつも人が人を疑い、何かされるのではないか、という恐怖心があるのが一番いけない。私は、人のなかにある神性(Divinity)というものをとにかく信じているんだ。人間には、もともと、そういう神性(Divinity)というものが備わっていると思う。だって、生まれてきた赤ん坊に悪人がいるかい?それを信じないから、人を疑い、心配し、気を病む。これは、すべて心の持ち方の問題だね。私の妻はいつも心配ばかりするので、だからいつもけんかばかりするんだよ。困ったもんだ。」

 私は、本人と実際に話しをしてみて、「へぇ〜、そんなものの見方があるんだな、たいしたものだ」と素直に感心したものでした。彼の人生観や世界観は、いろいろなすべての善悪を見通した上で、あえて「人の善性」を見ようとする楽天的で天真爛漫なもので、何か大いに励まされたような気がしたものでした。疲れたときに、「生きる勇気をもらう」とでもいうのでしょうか。

 彼といろいろな話をしていくなかで、哲学的な話にもなり、Holistic(ホリスティック)というのはどういうことか、と聞いてきたので、わかりやすく、その本質を説明したところ、ブランコ氏は、なかなかその発想が気に入ったようでした。また、東洋哲学の話になり、陰とか陽の原理について、一見矛盾対立し、相反するものが、実はこの世界のダイナミックな変化とひとつの全体のバランスを作り出している、という話をしたら、非常に感心して共感してくれ、「そうか!なるほど!だから、私とワイフの性格がまったくちがうわけなんだな。かえって、それでバランスがとれているというわけだ。これは、おもしろい!」とユーモラスな解釈をして、かなりよろこんでくれました。

 彼は、完全な菜食主義で、食事も、いつもただひとりで静かに時間をかけてひとつの儀式のように取るような人でしたから、健康管理にも細心の注意をしているようでした。

 バリ島に来るたびに、彼のアトリエを訪れ、彼と人生観や世界観について意見を交わすことは楽しみになりました。すぐに気を病む心配性な奥さんが、喘息もちで、季節や天候、また体調によって咳がひどくなるというので、その相談にのり、いろいろと具体的なアドバイスをしたところ、ブランコ氏は、「You have Divinity!」といって、とても感激してくれたようでした。

 それから、毎年のように、くりかえし会うたびに、他に来客中でも、その海外からの客に対して、私のことを気さくに「彼は、日本から来たホリスティックで重要な人です。」などと、やや大げさに紹介をしてくれたので、なんとも恥ずかしいやら照れくさいものでした。

 ブランコ氏は、いつも明るく陽気でおしゃべりでしたが、今まで夢中になって話していたかと思うと、いつのまにかいなくなり、どこに行ったのか、戻ってこないな、と思っていると、すでに自分の部屋で昼寝をしている、といったありさまで、全く愉快で天真爛漫な自由人でした。あくまで自分のペースで生きているというのでしょうか。でも、にくめないのです。

 ブランコ氏は、バリ島の女性をモデルにした、ダイナミックで写実的で、コラージュなどとも組み合わせた、かなり色っぽい絵を描くのですが、実は、彼の絵画そのものより、彼の人生そのものが実におもしろい型破りなドラマそのもので、私は、その生き方そのものに、なんともいえない人生の芸術を見る思いがしたのです。

 もともとアントニオ・ブランコ氏は、フィリピンのマニラ生まれのスペイン系アメリカ人です。だから、スペインの情熱的なラテン気質をもっているようです。はやくから早熟な絵画の才能には恵まれていたようですが、その後生活した米国本土で、芸術に理解がなく、その商業主義、物質主義一辺倒であった1940年代から50年にかけての米国のありかたに、とことん嫌気がさして、そこから思い切って脱出をはかります。

 米国本土からハワイにしばらく滞在し、そこから、いよいよ、芸術家のあいだでのうわさになっていた伝説の島、バリ島に船で渡り、永住しようというのです。

 バリ島を目指す途上、船の上で、当時のカンボジアの王子と知り合いになり、王子にせがまれて、カンボジアに招待され、そこでしばらく生活することになります。この展開もドラマチックですね。

 やがてカンボジアに別れを告げ、シンガポールを経て、1952年、とうとう念願のバリ島に到着します。飛行機のない時代ですから、すべて船なわけです。そのとき、彼は、すでに41歳。たいした冒険だと思います。そして、彼はウブド村に入ります。ところが、なんと、そこで財布を盗まれ、すってんてんの一文無しになってしまいます。

 しかし、こういうピンチのときに、不思議なめぐりあわせで、ブランコ氏は、バリ島の王族の人たちと知り合いになり、親しくなります。そして、彼らの助けで、川沿いのチャンプアンという一角の土地を与えられ、そこでの生活と永住を認められることになるのです。この展開も、まさにドラマですね。

 といっても、住む家は、あばら屋。キャンバスを買う金もない中、傘の布地を破ってのばし、木の枠に釘で打ちつけてキャンバスの代わりにして、作品の制作にうちこんだようです。そして、村のバリ舞踊の踊り子の娘、ニ・ロンジと結婚します。( ニ・ロンジは、当時、まだ17歳くらいだったのではないでしょうか。のちに女3人、男1人の4人の子どもに恵まれます。41歳から4人の子ども!たいしたもんです。)

 さて、そういうなかで黙々と作品の制作に励むうちに、彼のあばら家のような制作アトリエ兼住居を、彼のうわさを聞いてか、ある人が、訪問し、彼の絵を買い上げます。

 誰かといえば、インドネシア独立の父、時のインドネシア大統領、スカルノ大統領でした。アントニオ・ブランコ氏の人生は、このように伝説のような型破りなエピソードに満ち溢れています。まるで映画を見ているみたいですね。なんともドラマチックな人生ではありませんか!

 誰にも気さくでオープンな人で、気分がのれば話好きな人なので、世俗の人たちには、つい彼のことをかるがるしく普通のタダの人のように考えてしまう浅はかな人もかなりいたようですが、ブランコ氏のアトリエを訪れた世界の有名人のファンには、世界的な超大物女優イングリッド・バーグマンをはじめ、ハリウッドの有名映画スターたちが数多くいます。

 また、世界的に超有名な歌手のマイケル・ジャクソンとも親しく、人と交流せず、気むずかしいといわれているマイケル・ジャクソンのプライベートな直通電話番号を知っている、数少ない友人のひとりがブランコ氏でした。

  といって、そのような世界的に有名なスターにファンがいて、つきあいがあるからといっても、それを鼻にかけるようなことはまったくありませんでしたね。つまらないこだわりや陳腐な見栄や虚栄がない本当に天真爛漫な自由人でした。こういう型破りな人は、現在80歳の年齢未満のの世代の人には、まったくいなくなりましたね。仮にいても90歳以上の人ばかりです。

  彼のことを変人とかエキセントリックな人とか評する人も多かったようですが、私は、こういう型破りで、ドラマチックで実におもしろい人生を実際に生きてきた人が、大好きです。何かうれしくなり、励まされ、現実の壁に直面し、なんだか疲れてきたようなときに、あらためて自分の人生を生きる勇気をもらったような気分になります。

  残念なことに、ブランコ氏は、1999年に亡くなりました。1911年生まれということですから、88歳まで長生きされたことになります。ちょうど彼のアトリエ・スタジオのとなりに、ブランコ・ルネッサンス美術館をいうものを1998年から建設中で、2000年に完成しましたから、その完成を見ることなくして亡くなったこと非常に残念でした。

  彼と親しく交流できた8年間は、私にとって貴重な思い出になっています。ただ、こういうスケールの大きな人が、この世から、また一人いなくなってしまったことが、すごくさびしい。

  奥さんの喘息の相談にのったことのお礼としてなのか、彼の創作した詩が入った自作のコラージュ作品を、わざわざ贈ってくれたことがあります。サインの入った本物ですよ。大切にしまってあります。

  今では、息子さんのマリオ・ブランコ氏が、画家として、父親とはまた違う独自の作風で、アトリエ・スタジオで制作に励んでいます。今でも、彼や彼の子どもたち(ブランコ氏のお孫さんたち)ともたいへん親しくしています。村の娘で、9歳のときからブランコ氏のモデルや手伝いをしてきたアスマリも、もう今では、結婚して2年目で、26歳になりました。彼女も今でもスタジオの手伝いをしていて、行くたびに歓迎してくれます。皆、心がオープンで、親切で気持ちのよい人たちです。人生、こういうおつきあいが長く続くことはうれしいものですね。

  その後、ブランコ・ルネッサンス美術館が完成してから、あらためてバリ島のブランコ邸を訪れました。そして、案内された美術館の中に足を踏み入れたとたん、そこには、ブランコ氏らしくポーズをとって絵筆を握っている彼の写真が入り口に大きく飾られていて、思わず、生前、彼が笑顔で「アパ・カバル!」(「元気かい!」)といいながら、訪問を歓迎してくれたときのことが頭をよぎりました。

 ドームのような館内には、イタリアオペラが誇る盲目の天才テノール歌手、アンドレア・ボチェーリが高々に歌う「CANTO DELLA TERRA」という曲がかかっていました。まさにそれはブランコ氏と彼の人生にぴったりの曲でした。アントニオ・ブランコ氏のドラマチックな人生を讃えるにふさわしいような情熱的な歌声が館内に響き渡り、館内のどこかから、ブランコ氏が、いつものようにやや大げさに手を広げて、ニコニコと現れてくるような気がしました。

  その彼が「なにがあっても、とにかく人生はすばらしい!とにかく生きていることはすばらしいことなんだ!」と語りかけてくるような気がして、その調べに耳を傾けながら、私は、ただ涙がこみあげてきてなりませんでした。

  実はこのブログ記事は、バリ島のウブド村で書いています。書きながら、何度も涙がこみあげてきましたが、いつかは書きたいと思っていたことでした。

 人生をドラマチックな作品のように生ききった、型破りなバリ島の画家アントニオ・ブランコ画伯の「人生賛歌」と、人生を芸術として肯定しきる彼のよろこびの笑顔は、私が生きることにやや疲れを感じたときに、新鮮な「生きる勇気」と励ましをくれるのです。ブランコさん、ありがとう!

  
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2006年06月13日

この人を見よ

このブログは、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」に役立つような目からウロコの情報や知恵をわかりやすくお伝えするのが目的です。ですが、ときどき、他のテーマでも自由に書きたいときがありますので、書かせてくださいね。とはいえ、ほんとうはみな根本の知恵はつながっているものですが。

 少し前に、マザーテレサが実はすごい腹のすわった肝っ玉ゴッドマザーであることをブログ記事に書いたところ、金融・経済の専門家として有名である木村剛氏が御自身のブログで取り上げてくださり、高く評価してくださったことに心から感謝するとともに、気をよくして、今回は別の大人物について書きたいと思います。

 私の人生で精神的な師、今どきの言葉を使えば、スピリチュアルなメンターともいえる人がいます。残念ながら、日本人ではありません。毎年1回はお会いして昼食をご自宅でごちそうになりながら、いろいろなテーマで話をしますが、会うたびに「この人にはかなわない」と打ちのめされ「いったいどうしたら、ここまで現実に事を為せるのだろうか」と自問自答させられます。また、お会いするたびに、よく考えれば取るに足りないことに気をとられがちな自分の心の垢が洗い流されていくような気持ちになるのです。私の心の支えになっている先生です。

 その方は、もう今年で95歳になりました。まだお元気で、お会いするたびにこちらの精神が励まされ、充電されるようで、ずっとできるだけ長くお元気でいて欲しいと、願っています。

 その人の名は、セン・プリンプアンキャオ博士。タイの厚生大臣を、その昔、10年ほど務めたことのある医師で、もともとは外科医です。10年間ずっとではなく、政権が変わるたびに出たり入ったり、断続的ではあったのですが、若い頃無医村で医療活動をしていたことのあるセン先生には、何よりも人望があり、例外的に政治的なかけひきを超えたところで皆から評価され、「やはり彼しかいない」と何度も厚生大臣に任命されることになります。

 厚生大臣在任中、タイに無医村が多いことを憂い、単なる診療所ではなく、入院できる病床のあるきちんとした病院を、なんとタイ全国に600箇所も現実に建設してしまいます。タイという国は、物事の決定が日本の政治以上にすんなり行かない国ですから、ひとつの病院を国の予算を使って建てるだけでも、その計画を実現するには、かなりむずかしい段階を経なければならず、相当たいへんなことなのに、入院できるちゃんとした病院をなんと600もつくったんですよ!信じられますか?これだけでも超人的な事業です。この事実を知って、私は腰を抜かすほど驚きました。いったいひとりの人間が、なぜそこまで成し遂げられるのだろうと。

 といって、日本の黒幕のドンだった人のように、自分がモデルになっている銅像をそれぞれ自分が寄付したり建設した施設の入り口にいやらしく誇示して建てるとなどということはまったくなく、自分の名と功績をあえて形で残そうとしません。

 それでいて、タイの公衆衛生にももっとも貢献し尽力したとのことで、タイ国民には「タイ公衆衛生の父」といわれ、人々から「ポー」(お父様)と尊敬と親しみをこめて呼ばれています。たしかタイの国王もタイ国民にそう呼ばれることがあるようですね。そして、国王からもセン先生はたいへん信頼されています。

 病院以外にも、第一線を退いた後に、NGOの基金や財団を17も作っていますすべて子どもや若い人たちに教育の機会を与えるためのもので、人に任せた後は、手放してしまい、やはり自分の名を残そうとはしません。

 この点、米国では、病院や大学やその他の教育機関の施設を建築する資金を出したり、寄付をしたりすると、そういう篤志家の名前を建物や研究所の名前につけたりして、あえて自分の名前を残そうとしますから、かなりちがいます。

 それ目当ての売名的な自称篤志家も、自分を売り込むことに巧みな米国人には、かなりいるように思われます。そういう連中の寄付を当てにしている大学や研究機関が相当あることも事実です。

 財産を所有したあとは、慈善家としての社会的な名声や評価や歴史に残る評価を欲しがるという、ある意味で、あさましいばかりのきりのない欲望をそこにかいま見ます。まあ、米国のように、なんでも金で解決をつけようとする国では、一種の名前を残すための取り引きみたいな部分があることは否めません。

 なんでもいやらしいくらいに自分を誇示しようとする自己顕示欲の強い西洋精神に対し、セン博士の行動、生き方、哲学には、あえて己を捨てる非常にハイレベルな東洋精神の奥深さと高貴な美を感じます。米国のマスコミをにぎわせて自己顕示したがる人間などは、しょせん、よくて2流、ただの3流の人間の世界でしかないように思えてくるのです。非常にハイレベルな東洋の精神に、自己顕示型西洋の精神など、しょせんかなうものではないな、と正直に思います。

 セン博士は、タイでAIDSが蔓延し、親が死んでしまい学校に行けなくなったAIDS孤児が非常に増えたときに、役人の決定にはやたら時間がかかることを知っているセン博士は、遅すぎる厚生省の対処などを待っていられないので、もうすでに引退した身でありながら、自分の信用と人間関係を生かして、ただちにAIDS孤児たちを学校に行けるよう、AIDS孤児ための教育支援基金を作ります。目の前にある問題にすぐ対処するために。

 そのとき、いつもさまざまな基金や財団を苦労して作りながら、あえて自分の名前をつけないままで人に任せてしまうので、ドイツとの合弁建築会社社長をしている息子さんが見かねて、「ひとつぐらいお父さんの名前そのものがついた基金があってもいいのではないでしょうか。」とセン博士を説得し、彼自らも基金設立に資金を提供します。そこで、たったひとつだけ「セン・プリンプアンキャオ博士基金」(Sem Pringpuangkeo Foundation)という博士の名をはじめてつけたのが、そのAIDS孤児への教育支援基金です。これ、80歳過ぎてからの話ですよ。

 現在でも、セン博士の基金によって、なんと1000人もの親を失ったAIDS孤児たちを学校に通わせています。ことしで95歳になるセン博士は、今でも、AIDS孤児たちを中心に子どもたちに教育の機会を与えるため、1000人もの子どもたちの面倒を見ているわけです。このことも驚異です。

 私もセン博士の基金とその活動を知って、せめてもの協力として、フォスター・ペアレント(里親)として、ひとりの子どもの学費補助として、もう寄付を続けてきて9年になります。ですが、不思議なご縁により、自然におつきあいのはじまった10年ほど前から、セン先生の口から基金への協力や寄付の勧誘を一度も受けたことはありません。彼は、ただ自分の行動とうしろ姿で淡々と示すだけです。

 だからこそ、安易な同情や正義を暗に売り物にすることの多い巷のボランティア慈善団体がきらいな私でも、セン博士の活動には、自主的に協力するつもりになったのです。

 寄付したお金は、通常は、ボランティア団体の人件費を中心とする事務経費や運営費としてかなりの部分があたりまえのように使われることが多いのですが、驚くべきことにセン博士の基金では、寄付したお金すべてが、事務経費に使われることが一切なく、定期的に小額ずつ子どもの銀行口座に振り込まれ、寄付したお金のすべて100%が子どものもとに行くようになっているのです。この徹底した姿勢にも驚かされました。

 人件費を含む事務活動運営費は、タイで日本車を売りまくり、タイ国土の大気汚染に大いに一役買っているであろうトヨタ自動車のトヨタ財団あたりから、日本大使館を動かして、ちゃんと寄付をひっぱってくるのです。タイで大もうけしているトヨタからは、日本大使館を通じてボランティア活動用の車を3台ほど寄付してもらっています。

 ここらへんが、現実を見据えて事を為す人のすごさで、すこしまえに記事に書いたマザーテレサと同じようなたくましさをかいま見ます。しかし、その現実の行動が、仮に寄付をもらったとて精神的な誇りと実にうまくバランスをとっているのです。宣伝・広報活動は、まったくといっていいほどやらず、ほとんど口コミだけでタイ国内だけでなく海外にも協力者が広がっています。

 そして、セン先生自ら、年末には、1000人の子どものすべてのフォスターペアレントに対して、直筆のお礼状を今でもかならず書いておられます。90歳を過ぎてもかならずやっていることで、その努力には本当に頭が下がります。それに、本人は、まったく無給ではたらいているのですよ。

 こういう子どもたちや若い世代への教育支援が、彼のメインの仕事だったわけではありません。

 タイの国王からじきじきにたのまれて、プミポン国王の主治医を7年ほど務めたことがあります。国王は、セン先生にずっと侍医でいて欲しかったようですが、彼は、早々に自分から辞退してやめてしまいます。セン先生が自らおっしゃるには「自分がいつまでもそういう地位に長くいては、後輩が育たない」というのです。

 また、たとえばタイ国王を12年ごとに祝う記念行事がありますが、そういうときには、セン先生は、式典の最前列に座るべき人なのです。それでも、セン先生は「自分が出て行くと、国王も私が高齢ゆえに気にかけるであろうし、最前列に座りたい人たちが座れなくなろうであろうから、出席しない」と辞退して出席しません。

 セン先生は人を育てるために、見事なほどに、自分ははやく身を引いてしまいます。セン先生は、人間を育てる本物の教育者であると痛感します。

 この話を、長年親しくしている哲学的な見識の深いインドネシア在住の華僑の実業家の友人に話をしたら、ひどく感心し「ああ、高齢になっても、いつまでも自分の権力の椅子に未練がましくしがみついて離れようとしない中国の長老たちが恥ずかしい。」とうなだれていました。そして、こうもいいました。「こういう人間こそが本物だ。」

 セン先生は、若いときには、もともと無医村で朝から晩まであらゆる病人を診察してきたような医師ですから、専門は外科ですが、産婦人科でも小児科でも、ほとんど全科をまんべんなく臨床医としてこなせます。いくつかの病院長も、3つの病院で務めたことがあります。

 貧しい村人の診察をしていたので、彼らにお金がないので、お米や野菜などを診察費の代わりにもらう、などということも多かったようです。また、ビルマ戦線に向かう日本兵にもたくさん会い、けが人に対して手当てをしたとのことです。

 さらに、タイ人の外科医師としてははじめて、シャム双生児(体の部分がくっついて生まれてきてしまった赤ん坊の双子)の分離手術に成功したすぐれた腕を持つ外科医でもあります。それゆえ、日本で外科医をして名高かった外科医、故、中山恒明博士とは親友でした。

 セン先生は、タイの大学の医学部・歯学部では、外科や産婦人科、公衆衛生の講義もしています。また、医学の歴史にも非常にくわしい。

 さらに、セン先生は、病院だけでなく、ある日本人の篤志家の協力と寄付で、看護学校も作っています。それでいて、そういうものをまったく自分の所有物のようにはしません。

 加えていえば、歴史の中で、タイに西洋化の大きな波が訪れたときに、タイの伝統医学はことごとく否定され、現代西洋医学一辺倒に医療が独占されるようになり、タイの伝統医学が消滅するかもしれないという伝統医学にとって危機的な時期がありました。

 それを、私財を投げ打ってシリラート病院に、タイ伝統医学の歴史博物館を作り、またタイ伝統医学のカレッジを作るなどして、ひとりタイ伝統医学の知恵と知識を、現代西洋医学一辺倒の波から守った人物がいます。その先生の名は、ウアイ・ケツシン博士。スポーツ医学の権威で、私のタイでのもうひとりの恩師です。ウアイ先生はすでにお亡くなりになりました。

 私財をなげうって医学界で孤立しながらも、命がけでタイ伝統医学を守ろうとしたウアイ先生を、厚生大臣時代、親友として、裏から社会的にバックアップしたのが、セン先生でした。つまり、ウアイ先生とセン先生という2人の傑出した知恵ある医師がいなければ、タイ伝統医学の知恵は、歴史の西洋化の波にもまれ、完全に絶滅していたかもしれないのです。

 このお二人の命がけの努力は、時を経て見事に実を結び、1990年代に入ってから、国立のタイ伝統医学研究所がタイ厚生省内に設立され、1994年から2004年を、タイ伝統医学を再評価する10年計画としてプロジェクトが組まれ、タイ伝統医学を大いに見直そうという大きな動きにつながります。今では大学医学部の課外講座にタイ伝統医学が取り入れられるようになり、タイ伝統医学の学部を設ける大学も出てきました。

 セン先生の生きざまは、世の中に必要なこと、大切なことを為すべく、自分は、ただやるべきことをやり、黙々とうしろ姿でそれを示すだけ。名を残そうともせず、ここ20年くらいは、子どもたちや若い人たちの将来の可能性のために、教育というチャンスを与えるという種まきに徹しています。セン先生は、自分の為しうるミッションというものをしっかり自覚しているのだと思います。

 しかしながら、ひとりの人間で、ここまでたくさんの仕事を、現実の実績を生みながらこなせるものなのかと、つくづく感じてしまいます。

 そういうセン先生ですから、人の本音や中身を見抜く眼力も非常に鋭く、ただセン先生の評判や名声にあやかりたいような政界や財界からの訪問や挨拶は、極力断って、あまり人とは会わないようにしているようですし、タイ社会の名士の集まる夜の会合など、ここ数十年まったく参加していません。残り少ない命の時間は、これからの若い人たちのためにだけ使おうとはっきり決めているのだそうです。

 自分の人生での残された貴重な命の時間をとても大切にされ、それを実践していて、毎朝の起床は、午前4時。それから1時間の瞑想。そのあとに1時間、部屋の掃除や片付けをしたあと、書類などの書き物を6時くらいからはじめます。夜の就寝は、毎日、午後8時か遅くとも9時には休みます。非常に規則正しい生活をしておられます。

 95歳になっても、記憶力も判断力も抜群で、頭の回転もよく、私が書き送った手紙の内容をちゃんと覚えています。まったく、おそれいるばかりです。

 政治家やタイ名士の社交界の会合には、いっさい顔を出しませんが、タイ北部のチェンライにある子どもたちの施設や学校には、高齢でも飛行機で足を運び、子どもたちに話をしに行きます。あくまでこれからの子どもたちや若い人たちに可能性の種まきをするためだけに、会合に出かけます。

 こういう無私で大きな人物がタイでいなくなりました。他の人が苦労の末切り拓いた道に、うまく要領よくあとから乗っかって、あたかも自分ひとりで最初からやったかのように見せかけるような、恥を知らない、あさましい調子のよいタイ人ばかりが、今日では指導者にも目立ちます。今は、せこい小物ばかりです。タイの厚生省役人も同じ。

 セン先生と話をしていると、明治の日本人のスケールの大きさと同じものを感じます。セン先生ひとりで、おそらくふつうのタイ人10000人くらいの仕事をしていると思います。

 日本でも、今では、明治のように世の中や人のためになるような大志をあたりまえのように抱く人は、見かけなくなりました。

 自分の会社の売り上げが何百億円だとか、1年で株のデイトレで何億もうけたとか、年収が数千万とか1億だとか、そういうことばかりがすごくて成功者の尺度であるかのように、浮かれ、踊り、自己陶酔する人間や若者が非常に現在の日本に多くなったように感じます。老いも若きもようするに哲学がない。

 若い人が、そういうお金を稼ぎたいという欲望に正直なことはむしろ大いにけっこうなことですが、自分の稼いだお金の額を示して、「私はいくら稼いだ」と自慢げに、安易に成功者づらできる人の心理が私にはよく理解できません。

 全部ただ自分のことだけじゃないですか。その程度で、人生や世の中のことについて、わかったようなことを得々という、あまりにも単純で短絡的な人たちが多すぎるように感じます。

 自分の稼いだ金を誇示することなど、世界に存在する本物のけたはずれの金持ちはゼッタイやりません。そういうことをするのは小物ばかり。そのことを宣伝に使い、売り物にして稼ぐネタにしようとする輩だけです。だって、これだけ大金を稼いだなんて公言すれば、泥棒や強盗、そして誘拐犯に真っ先にねらわれるじゃないですか。本物の金持ちがそんな馬鹿なことをやるわけがありません。そういうことを誇示するということは、俺の稼いだ金をねらってくれといっているようなもので、実におろかです。平和ボケした日本だから、そういうことににぶいのでしょうか?

 昔、私がインドネシアのジャカルタで華僑の実業家の友人から紹介された古いジーパンをはいた労働者風の男は、初対面の人には、アイスクリームの工場と町の食堂を経営しているなどと、身分を紹介していましたが、実は、私の華僑の実業家の友人が笑いながらおしえてくれたところによると、資産はかるく見積もって800億円以上ある人物というから、たまげたものです。

 けたはずれの金持ちは、身を守るためにも決してお金持ち風には見せないものなのです。こういう人でも、一人息子がぶらぶら大学にも行かずに家で遊んでいるので、痛い頭を抱えていて、成り行きでその息子さんの相談にのる羽目になってしまいました。大金持ちとて、家族の悩みは尽きないのだな、と痛感したものでした。

 稼いだお金の額そのものによる価値尺度がすごいことであるかのように若者に植えつけたのは、きちんとした哲学がない浅はかな先輩たちなようです。たかが米国のドナルド・トランプ程度の人間にあこがれるレベルの低い田舎者成金ダースベイダーみたいな先輩たちに、悪い意味でオーム真理教のときと同じように若い人たちが単純に洗脳されてきているんじゃないかと心配になります。そういう人たちのほとんどが、巧妙な米国流のやりかたの影響を受けています。

 稼いだら稼いだで、心の内面の不安はそのままで、「急に大いに儲けた場合は、寄付をしないと、交通事故などの事故にあうというスピリチュアルな法則がある」などとわかったようなことをいって、自分が事故に合わないためにちゃんと寄付をする、という実にちゃっかりした根性のネット成金の若者がいるんですね。

 バカじゃないだろうか?実にせこい根性じゃないですか。金を寄付することで、神様から自分の身の安全を保証してもらい、運命とちゃっかり取り引きしようって根性なんでしょうか?こういうちゃっかりしたせこい根性には人としての「徳」などは感じられません。

 そういう根性が、どれほどあさましい卑しい根性なのか、あまりに自己中なので本人もちっともわかっていないんでしょう。

 少なくもとヨーロッパあたりの貴族階級の大富豪は、そういう卑しい動機で寄付や慈善行為はやりませんね。彼らは、自分たちのミッションとして、慈善行為をやるんです。それが、あたりまえの義務だと思っていますね。

 金を稼げば、人はチヤホヤします。勝てば官軍ですから。誰も「王様は裸だ」とは親切におしえてくれません。

 寄付行為は、そういう調子のよい手前勝手な取り引きではない。金を寄付したからとて、神様と取り引きなどできません。そういう自分中心のちゃっかり根性など、神様はお見通しで、そういうせこい根性なら、いずれちゃんと瀕死の事故か大病にあうでしょうね。寄付は、こすい取り引きのためのものではない。

 こういうバカに限って、人生についてえらそうにわかったようなこといって、若者を扇動し洗脳してカリスマになり、自分がひとり儲けている。たちの悪い新興宗教と同じですね。こういう身の程を知らぬバカも、自分が末期のがんにでもなれば、化けの皮がはがれ、裸の自分にひんむかれて、いざというときに金が全く役に立たないことを思い知り、あわてふためいて終わり。

 何百億円稼ごうが、そういう人は、悪性の末期がんにでもなれば、そんな価値観など一発で吹っ飛びますから。

 別にお金を稼ぐことが悪いなんて思っていませんし、大いに儲けて生き金をいいことに使ってほしいものですが、それを稼いだ額そのものを評価の基準として判断してしまうところが私はどうも同意できません。人それぞれ持ち味が違いますから。

 残念ながら、そういう自己陶酔的な単純な基準でばかり、世の中の成功をはかれなくなってきているような非常に幼稚な社会に日本がなりつつあるように思われます。

 「自分は傷つきたくない症候群」の若い人はかなり目立ちます。すぐにわかったつもりで悟ったようなことをいいますが、いざ自分に都合の悪いことになると自分がカッコ悪いので「すぐに逃げる」か、「とぼけてあいまいにごまかそう」とします。自分の言ったこと、やったことから逃げないで、責任感を持って正面から対処する姿勢がありません。

 かっこ悪いこと、都合の悪いことからは、すぐに逃げるのです。まあ、これは、東大卒のエリート役人も同じですが。

 そういう自己陶酔者やナルシストたちが、日本の若い世代に急増している感じがしているのですが、そんな中、自分のことをかえりみないような偉大なる大バカが若者の中から出てこないかな、と期待しています。

 ひとりで10000人分もの仕事をしていながら、それを自分のやったこととして誇示せず、名を残そうともせず、ただ人にチャンスを与え、人を育てることに専念しているセン先生のような、明治生まれのスケールの大きな人間の生きざまにふれるたびに、自分の稼ぎのことだけで英雄気取りになり、うぬぼれるレベルでさわぎ、自分が事故にあいたくないからスピリチュアルな行為として寄付するのだなどというふざけた人間たちには「この人を見よ!」と、思わず一喝したくなってしまうのです。



  
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2006年05月18日

肝っ玉ど根性ゴッドマザーだったマザーテレサ

 このブログは、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」の知恵を養うのに役立つような、目からウロコのような情報や発想を、わかりやすくお伝えするのが目的です。

 時折、健康関連の話題以外にのことにも、その折々の問題意識で、書くこともありますので、よろしくご理解ください。

 マザーテレサといえば、慈善事業というか、貧しい人のために一生をささげた聖女というようなイメージを思い浮かべて、思わず拝んでしまう方もいらっしゃると思いますが、私は、聖女というより、彼女には、腹の据わった、タダでは転ばない、肝っ玉ゴッドマザー、といった実にたくましいものを感じます。

 マザーテレサが世界的に有名になり、ノーベル平和賞などをもらうようになると、そういう名声にあやかりたい世俗の人たちがあれこれマザーテレサもうでをしたり、売名的な寄付をしたりするようになります。まあ、あさましい人間の業でしょうか。

 あるとき、ある大金持ちが、あきらかに自分の売名のためにマザーテレサにロールスロイスを贈ったそうであります。マスコミも世間も、貧しき者の味方である清貧のマザーテレサは、ゼッタイにそういうものを受けとらないと思っていたようです。

 ところが、マザーテレサは、その寄贈のロールスロイスをあっさり受け取ります。

 当然、マスコミや世間は、「なんだ、マザーテレサは貧しい人の味方ではなかったのか?有名になって、とうとう金持ちに媚を売るようになったのか?幻滅だ。」などと、勝手な非難や批判が沸き起こるわけですね。

 じゃあ、マザーテレサは、寄贈されたロールスロイスを自分の贅沢のために乗ったのでしょうか?いいえ。それでは、そのロールスロイスをどうしたのでしょうか?

 ここからが常人とはちがう、聖女のイメージとは違うマザーテレサのたくましさです。彼女は、施設の資金にするために、そのロールスロイスを売ることもできましたが、それもしませんでした。

 彼女は、世間の非難などものともせず、また自分の名声を使って政治家や社会的有力者に協力してもらい、マザーテレサが企画して、宝くじをやってもらうことにしたのです。その一等の賞品に、そのロールスロイスをあてました。

 世間の人たちは、ノーベル平和賞を取り、世界的に有名になったマザーテレサおすみつきロールスロイスが一等の賞品の宝くじだ、ということもあって、こぞってその宝くじを買いに走ります。

 あっというまにロールスロイス一台をはるかに上回る、その数百倍ちかくのお金を集めました。もちろん、たくましく貧しい人を助けるための資金にしたようですよ。

 その発想は、まさに人の心理に熟知しマーケティングにたけた起業家であり、ひとつのチャンスを最大限に使って、施設の運営や貧しい人たちを助ける資金を最大限に作り出すという実業家であり、経営者でありました。 

 慈善奉仕するにせよ、スタッフの食費だっていりますし、医療品だっていりますし、患者や瀕死者のためのベッドや食事やケアのための費用などが、まさに、キリがないくらいお金が無制限に必要になってきます。

 施設自体は、生産し物を売るわけではありませんから、いくら寄付を集めたにせよ、いくらあっても足りないわけです。

 自分の社会的な名声や政治力を大いに利用し、世間やマスコミがなんと言おうとも、現実を前にした当事者たる厳しさを知っているマザーテレサは、その売名目的のロールスロイスでさえ、そんな世俗の下心は十分承知の上で、あえてありがたく平然と受け取り、それを最大限にしたたかなまでに活用して、何百倍もの資金を集める手段にしたわけです。

 なんと、たくましい!!お見事な手腕!まさにゴッドマザー!

 カトリック修道会という世界的に力を持つ宗教組織が背後につながっていることだって大いに政治的に物事を動かすのに役立っていると思います。ヤワでかよわい精神では人助けだってできない、という強烈な生きざまを感じますね、そこに。

 単なる甘い慈善気分のおせんちでは、私はいろいろな現実の壁を前にして、慈善をするまえにカンタンにつぶれてしまうと思います。

 ほんとうに行動しているからこそ、自分がなんと言われようが、こういう活動を運営していくための金を十分に集める方が先だという、まさに腹の据わった肝っ玉ばあちゃん、いや、ゴッドマザーというようなたくましい行動になるのだと思います。

 現実に人を救う事業をあえてやろうとすれば、平安に自己陶酔的なおせんちにひたっているひまはなく、平然と泥でも平気でかぶって、皆を食わせるため、養うためにかせぐ、という、実にたくましい豪腕にならなけれな、しょせん慈善事業ですら、きちんと為しえないのでしょう。ここに、世の中にとっていいことをしているのだからと世間の同情をあてにして、センチメンタルで甘い見通しがよく目立つ多くのNPO法人やボランティア慈善団体に欠落しがちな経営能力の重要性があるように思えます。

 こういう点でも、マザーテレサは、起業家精神あふれる経営者で、マーケッターで、政治的なたちまわりもできる、実にたくましいゴッドマザーだったのではないかと思います。

 そりゃ、瀕死の人、病気の人、貧しい人、何百人も抱えて、スタッフも含めて、運営を何とかしていなければならない、きびしい現実を毎日生きていたら、甘っちょろい慈善気分でいられるわけがなく、やはりボランティア事業であっても、マザーテレサのような経営者としての手腕が非常に重大なのだと思います。だって資金繰りができなければ、慈善活動であったって、すぐにでも活動は頓挫してしまいますから。

 だから私は、マザーテレサを清らかな聖女としてよりも、起業家精神あふれる経営者であった肝っ玉ゴッドマザーとして、その強くたくましい人間の器を評価しています。
   
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2005年12月20日

マザーテレサも座右の銘とした人生の知恵の言葉

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族のための健康管理と「命もうけ」の知恵について、目からウロコのような情報や知恵を、わかりやすくお伝えすることにあります。

 ですから、本に書けないようなことでも、ズバリ私の責任であえて書いていきますので、簡単に斜め読みすると損をするかもしれませんよ。本や雑誌には決して出てこない情報を、けっこう書きますので。

 ときおり脱線して、おもに感じたこと、考えたことで、役に立ちそうなことも書きますので、単なる健康情報とは考えないで、広く大きくとらえて、お役立てください。

 先回より、今回まで時間が空いてしまって申しわけありません。

 ワシントンDC,サンディエゴ、ロサンゼルス、ホノルル、と11月の1か月米国をまわってきたあと帰国し、数日置いてすぐにテキサスのサンアントニオ、それからニューヨーク、フィラデルフィアと、この2ヶ月動きまわってきましたので、なかなか頭が日本語の回路にならず、英語の回路のままでした。現在、ニューヨークにいます。

 ハワイでは、1年かけて調べ、準備し、会見を実現させた人物がいました。

 名前を、ケント・キース博士といいます。ご存知のない方も多いかと思いますが、あのマザー・テレサが、生前、ご自分の施設の壁にかかげて、ご自分やスタッフの心の支えとしていたという知恵の言葉があります。「逆説の十戒」といいますが、いまでは、全く宣伝もしていないのに、10数カ国で翻訳され、口コミで広がっている知恵の言葉です。彼はその著者です。

 日本でも、早川書房から、その翻訳本が出ていますが、あまり知られていません。

 この言葉を知るきっかけになったのが、卓越した経営コンサルタントである神田昌典氏で、ランス・リー氏という米国商工会議所の黒人リーダーにインタビューしたときに、この「逆説の十戒」を知らされ、感動され、自らのウェブサイトで、ご自分の訳で紹介したものを読んだことからでした。

下にご紹介しておきますので、お読みください。神田昌典先生のサイトより神田昌典先生の気持ちの入った訳で、以下、引用させていただきます。

1. 人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。

2. 何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。

3. もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。

4. 今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。

5. 誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。

6. 大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。

7. 人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。

8. 何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。

9. 助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。

10. 持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

Anyway The Paradoxical Commandments Finding Personal Meaning in a Crazy World by KENT M. KEITHより  神田昌典翻訳
日本語版「それでもなお、人を愛しなさい」 ケント・M・キース著 大内博訳 早川書房


 これらの洞察深い言葉は、なんとキース博士が、19歳のときに、さまざまな大学学生自治委員会で体験したことをもとに書き下ろしたものだそうで、その洞察の鋭さに驚かされます。でも、何か困難に出会ったとき、不本意な批判を受けたとき、この言葉を読むと、非常に励まされます。

 私は、これらの言葉を、これからの予測を超えた歴史的変化をマットウな人間として生ききるための、ビジネス、福祉、教育、医療等の領域をひとつの志と精神で結ぶガイディング・プリンシプル(Guiding Principle)になると思っています。

 やっと調べて、考えに考えてプランを練り、連絡を取って、やっと会見の場所・日時を決めることができたときはうれしくてたまりませんでした。

 でも、待ち合わせ場所が、レンタカーを借りて運転して行くには不慣れな場所で、電話で道順を確認すると、あとで、奥様が、私のホテルまで迎えに来てくださるとのメール。まだ会ったこともないのに、その親切さに驚きました。奥様は、ハワイ人と日本人の血を引く方で、そのおおらかな親切心には、本来の掛け値ないアジア人の屈託のない親切心を感じ感動しました。

 お会いして、昼食をごちそうになったのですが、ケント博士は、素朴で気取らず、ありのままに言葉に書いている通りの人でした。それにもまして、その人間として、一見平凡でも偉大な生き方を支えているのが、すばらしい奥様で、お互いが真に尊敬しあっているという、うらやましいような御夫妻でした。

 米国の表層ばかりを真似てあまりにわがままで自分のことしか考えていないような人間が増えてしまった現在の日本で、このようなほれぼれするような夫婦には、なかなかお目にかかれなくなってきました。

 あえて自分が本当に真実だと思えることを勇気を持って為そうとしたとき、人々は実にさまざまな憶測をもとに勝手なことをいいますし、自分の真意はなかなか理解されず、さまざまな抵抗や批判に会うものです。それでも、とにかく、やってみようじゃないか、というのが彼のメッセージです。

 彼の「逆説の十戒」を読んで、何かを自分に感じた方、是非、コメントをくださいね。お待ちしています。

 人からの誤解や批判をおそれず、勇気を持って「あえて為す」ことを試みる方々への励ましとしてご紹介しておきます。
  
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2005年12月07日

ハワイで米国の末期症状をかいま見る

このブログは、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」についての、目からウロコのような情報や知恵を、わかりやすくお伝えし、お役立ていただくことを目的としています。

 ただし、ときどき自在に脱線もさせていただき、そのときどき国内や海外で考えたり、気がついたりしたことにもふれて書かせていただき、ものの見方や考え方のヒントになるようなことにも自由にふれていきます。

 米国をワシントンDCからスタートし、サンディエゴ、ロサンゼルスとまわってきて、日本に戻る途中、どうしても会見したい人物がいて、ハワイのホノルルに滞在しました。およそ5年ぶりでしょうか。

 ハワイは美しい自然にもともと恵まれたところです。でも、私は、観光客向けに用意されすぎたハワイの別の横顔が、いたるところに目につくことがあり、そういう側面は、あまり好きではありません。

 けっこう日本人観光客は、いいカモとして、いつのまにか、かなりぼられているのですよ。でも、ほとんどの場合、日本人はぼられていることにすら気がついていないんです。

 このことについて書き出すと、えらく長くなりすぎそうなので、またの機会にします。

 また、ハワイの歴史は、調べてみると、米国白人による略奪の歴史です。平和に暮らしていたハワイの原住民たちにとって聖なる土地であった場所は、無理矢理力づくでのっとられたのです。白人に都合よくホテルとコンドミニアムだらけの観光保養地にされてしまいました。西洋白人たちの歴史を見ると、列強による植民地支配など、本当に略奪と泥棒の歴史ばかりです。いったいどこが文明人なのかわかりません。だって、自分勝手な都合で人の土地を横どるなど、野蛮人がすることですから。

 これも書き出すと、本1冊くらいになってしまうので、またの機会にします。

 そういう悲しいやるせない歴史をハワイが持っていても、本来のハワイ人たちは、アジア的で親切で、情に厚い人たちが多いようです。

 ただ、ホノルルにあるアラモアナショッピングセンターで、あまりにも太りすぎて、自分の足で体重を支えきれなくて、電気車椅子に乗っている人たちを少なからず見ました。

 交通事故で下半身不随というのではありません。あまりに重すぎて、歩けないようなのです。これは、かわいそうというより、あまりにみじめな感じでした。同情するというより、正直言って、あきれてしまいました。なさけない、と思いました。

 あの相撲取りの小錦のように、大きな風船のように極端に太った人が、かなり多数いるのには驚きました。あんなに太っていると、トイレで大便をした後、自分で、ちゃんとお尻を紙でふけるのか、非常に大きな疑問でした。自分のケツを自分でふけない、というのも、みじめですね。

 また、総じてハワイの日系人老人の老け方があまりに早く、老化がひどいのにも驚きました。日系3世4世の世代には、2世以前の世代より、圧倒的に心臓病で倒れる人が増えています。

 車ばかりにたより、歩かないで米国型西洋風飽食食生活や生活様式を長年した積み重ねた結果が、極端な「超肥満」と「早老化」いう現象に、米国の末期症状が示されているように思えました。

 でも、ホノルルでは、精神的にすばらしい方にもお会いできました。次回にでも、そのことについて書きましょう。
  
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