2008年06月30日

すい臓がんで死を宣告された起業家の、歴史に残る名スピーチ

ここに、あるとき偶然出くわした、ある起業家のスピーチがあります。

その起業家は世界的に有名な人物ですが、あるとき、思いがけなくまさかの悪性の「すい臓がん」の宣告を受けます。

医師たちの最初の予想は絶望的。

たしかにすい臓がんというものは、さまざまなあるがんの種類の中で、最悪といわれるもので、通常なら、手術しても、抗がん剤治療をやっても、まず99%といっていいほど、助かりません。

巨万の富と名声を得た上での、いきなりの死刑宣告のようなもので、他のがんのようにはいかない。その危機から生還する可能性は、あまりにも低すぎるというのが、すい臓がんです。

ですから、すい臓がんといわれたら、本当に、半端でなく、覚悟を決めないといけません。

それくらいむずかしく、生存率が圧倒的に低いのが、すい臓がんです。

その最悪のすい臓がんと診断され、彼は、もろに迫り来る死の恐怖に直面します。

今まで築いてきたものの価値さえ、一切が無価値に思えてくるくらいの絶望感とショック。

彼は、本当に死を覚悟し、腹を決めます。

なかば、覚悟を決めて腹をくくったそのとき、病理の細胞診断で、きわめてめずらしい、ありえないタイプの腫瘍であり、これなら奇跡的に手術で除去すれば、再発しないであろう、というものだった。

なんというどんでんがえし。

まさに危機一髪、彼は命拾いします。

この世界的に有名な起業家の名前は、Appleの創業者であり、ipodの生みの親であるスティーブ・ジョブズ。

彼は、死の恐怖をのりこえたあと、1995年、スタンフォード大学の卒業式で、スピーチをします。これは、スタンフォード大学のご好意で公開されており、ここに自由に見ることができるので、皆さんにご紹介しておきます。

歴史に残る名スピーチです。

やはり死の恐怖をのりこえた人の人生観は、ひと味ちがい、大きさと深みがあります。

英語のわかる人は、そのまま味わってご覧ください。

訳語等は、追ってお知らせいたしましょう。

それでは、歴史に残る、心の琴線に触れてくるスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での名スピーチをご覧ください。





私は、聴いていて、思わずじーんとしてしまいました。

英語のできる人は、英語だけで聴いてみてください。

いや、やはり私は字幕がないと英語だけではどうも…という方は、この字幕をクリックしていただくと、他のサイトで字幕付きが見れます。

皆さんの感想を読んでみたいものです。

私は、素直に感動してしまいました。




  
Posted by otsukako at 23:50Comments(1)TrackBack(0)

2007年07月31日

たくましいマザーテレサの知られざるエピソード

このブログは、おもに経営者と、その家族のための健康管理に役立つような「命もうけ」の知恵について、眼からウロコの情報や発想を、わかりやすくお伝えすることを、本来の目的としています。

以前、マザーテレサが、思いがけなくも、実にたくましい事業家的な手腕の持ち主であったことについて書いたところ、多くの反響をいただきました。

その記事を再読しているうちに、別なエピソードをふと思い出しましたので、この機会にご紹介いたします。

マザーテレサの信仰はカトリックでしたから、カトリック信者が多数を占める南米の国々の人々からは、強く指示されていたようです。

そんなあるとき、マザーテレサは、いきなり多大な寄付を南米の国から受けます。

もちろん、そのときは、南米の富豪の篤志家からの寄付と考えられていたようです。

ところが、あとからわかったことには、ふと「鬼の眼にも涙」だったのでしょうか、その送り主は、実は、いわゆる南米のギャングのボスだったとか。

南米の、その国の政府は、マザーテレサに手紙を出し、「送られたお金は、非合法なものであるから、こちらに返金してほしい」と懇願したようです。

ところが、マザーテレサは、その申し出をあっさり一蹴し、一度得た、そのお金を返金しなかったようです。

今までの彼女の行動から推測するに、

「 いいえ、このお金は、神様が、貧しい人のために与えてくださったお金です。きれいも汚いも、合法も非合法も、神のまえには意味を持ちません。神様が与えてくださったお金は、ありがたく貧しい人たちのために使わさせていただきます! 」

とでも、きっぱりいって、突っぱねたのかもしれません。

南米の国々は、カトリックの国ですから、マザーテレサの背後にひかえるカトリックの総本山、バチカン市国には、頭が上がらない。そういう彼女の宗教の後ろ楯となっている政治力をも巧みに使って、いったん受けた寄付は、頑として返さなかったのではないか、と思います。

たとえば、こういう例を考えてみましょう。

自分の幼い子どもたちが、何日も食べていないで飢えている。

なんとかしなければならない、と母親は必死になります。


そこに、たとえ盗まれたパンであっても、誰かから与えられれば、まずは何よりも飢えている子どもにパンを食べさせることを、鬼のようになって最優先するのが、強力なる母性の力でしょう。

誰からもかえりみられず、厄介者扱いされ、孤独に取り残されて、虫けらのように死んでいく人がある。

それを見ても、誰も実際には何もしようとはしない。

自分が、彼らにパンをやらなかったら、誰がやるというのか。


どうも、こういう鬼のような強烈な決意が、彼女にあったように思えてなりません。

たとえ、盗人がくれた金であっても、「お金に汚い、きれいはない。神様の思し召しだから、よろこんで、貧しい人のために使います。」と、きっぱり割り切っていたのではないでしょうか。

マザーテレサは、ノーベル平和賞を受賞した際も、多くの人が欲しがる賞そのものには、ほとんど感心がなかったようで、やはり、施設の皆を食わせるために、その高額な賞金が魅力だったから、あえて受賞を受諾したような感じを受けます。

そのような一端を示すエピソードとして、マザーテレサは、受賞のときのスピーチで、自分のためではなく、あくまで「貧しい人々を代表して」受けるとの発言をしていますし、彼女と話ができることを期待する世界の名士が集う受賞の晩餐会やパーティーには、眼もくれず、「そういうことに使うお金があったら、貧しい人に分けてあげてください。」とひと言いって、サッサと、その場を立ち去り、帰ってしまったそうです。

ここらへんが、慈善を売り物にするハリウッドの売名映画スターたちとは、全然違うところです。

私は、ノーベル賞の権威も価値も、否定しませんし、受賞そのものは素直に正当に、その価値を評価しますが、よくよく考えてもみてください。

ノーベル賞をつくったスウェーデンのアルフレッド・ノーベルは、何によって莫大な富を得たのでしたか?

ご存知の通り、ダイナマイトの発明によってです。

もちろん、人に役立つ発明でもありましたが、実は、ノーベルに天文学級の莫大な富を与える原因となったものは、皮肉なことに「戦争」なのです。すなわち、ノーベルは戦争長者であったわけです。

ノーベルは、そのことに非常に罪悪感を持ち、一生結婚もせず、家庭も持たないまま、孤独のままに、ひとりその生涯を終えたようです。

彼が、自らの罪滅ぼしとして、設立したのが、ノーベル賞であったわけです。

こういうノーベル賞の背景を洞察して、「ノーベル賞は殺人賞」と喝破した、東洋哲学の思想家も存在したようです。

「そんな贅沢なご馳走にかけるお金があるのなら、貧しい人に分けてあげてください。」といって、受賞パーティには、顔も出さずに帰ってしまったマザーテレサの肝のすわった太っ腹。

いったん受けた寄付金は、たとえ、盗人の金であっても、ありがたく貧しい人のために使おうとする強烈な信仰と精神。

やわでおせんちな甘い慈善根性では、短時間らい病患者の膿んだ足をさすってあげるくらいで、卒倒して逃げ出してしまうのが、関の山でしょうね。マザーテレサの施設では、シスターたちが、そんなことはあたりまえに毎日やるのですから!!

強烈な母性力あふれる、肝っ玉ゴッドマザーの、マザーテレサは、とにかく、一度にぎった金は離さないほどに、たくましい女親分だったのでしょう。

お見事です、テレサ親分!

  
Posted by otsukako at 22:15Comments(2)TrackBack(0)

2006年08月12日

「衣食足りて、礼節なし」その米国的な一面 (2)

このブログは、おもに経営者とその家族の健康管理や「命もうけ」に役立つような、目からウロコの発想や情報を、わかりやすくお伝えすることを目的としています。
 
 暑い日が続きますね。水分を多く摂ることはいいことですが、汗をかくので、体に必要な塩分までどんどん外に出て行ってしまいますから、良質の添加物のない本物の梅干をときどき摂るなり、良質の添加物なしの自然醸造の味噌を使った味噌汁などを食卓でマメに摂り、脱塩しすぎになりがちなところを適度な良質の塩分を摂って補ってください。

 極度に脱塩すると、皮膚や粘膜が弱くなりますし、傷も治りにくくなります。適度な塩分補給は必要ですよ。 以上、暑い夏のワンポイント・アドバイスでした。

 さて、先回、米国のユナイテッド航空の乗務員の礼儀やマナーの悪さの例を上げて、どうも「衣食足りて礼節なし」になりがちな、米国航空会社の自己主張過剰な敵対的サービス(?)の実例を上げてみました。

 そんな折、最近、近所のコンビニで「サービスの花道」(講談社MOOK)という雑誌を見つけ、ページをめくると、有名な経営コンサルタントである大前研一氏が、私と同じような感想を、はっきりと米国航空会社に対して述べていたのには、そのあまりのタイミングの良さに、びっくりしてしまいました。
サービスの花道
大前研一氏は、その雑誌の「JALとオークラのサービスがだめになった理由」(P.10−P.11)という記事の中で、こう語っています。


 航空業界でいえば、顧客満足度が急落している代表例がノースウエスト航空。アメリカ人が「ノースワースト」と呼んでいるほど、そのサービスは最悪のレベルにある。私もファーストクラスに乗って、エアコンから水がポタポタ落ちてくるのに驚いたことがある。

 問題はその先だ。客室乗務員に文句をいうと、「私はエンジニアではないから、そんなことをいわれても……」という返事。「嫌なら、水の落ちてこない席へ移動すりゃいいじゃないか」という態度が見え見えである。言っても無駄だと寝てしまうことに決めたが、今度はクッションがない。乗務員に伝えると、「あんたが探して見つからないなら、ないんでしょ」という返事だった。 (中略)

 …世界最低レベルに躍り出たのが、アメリカの航空会社。「ついに、ここまできたか!」と、ため息が出るほどの惨状である。組合が強いので、少しでも労働強化があれば反発する。その結果、マニュアルを作って最低限のことしかやらない。しかし、サービスというものは最低限ではダメなのだ。


 私は、さすがユナイテッド航空では、ファーストクラスでのこういうクレームは聞いたことがなかったので、まさかノースウエストは、ファーストクラスでさえ、ここまでひどいのか、とは知らず、あきれかえったものですが、しかし、容易に想定できるやりとりです。

 最近のアメリカの航空会社の乗務員の態度やマナーには、たしかにお客にサービスをするとか、ホスピタリティあるもてなしをするなどという姿勢が、まったく感じられません。最低限のサービスですらできていない、実にいい加減な客への対応には、大前研一氏がズバリ指摘しているように、目に余るものがあります。

 ユナイテッド航空でさえ言語道断と痛感したのに、ファーストクラスですら「そんなこと俺知らないよ」という事なかれ主義で通したノースウエスト航空の乗務員は、まさに米国人が「ノースワースト」と呼ぶ通り、非常に悪質なストレスを、空の旅を心地よく過ごしたい乗客に与えるので、凶悪犯罪にも準じていると思います。

 私は、ユナイテッド航空の非常に失礼な接客対応について書いてから、検索エンジンで少し調べてみましたが、やはり、かなりの方が不愉快な思いをしているようですね。

 Googleで検索して、眼にとまったブログ記事「ニューヨーカーへの道−励まし系語学学校社長のNY日記」には、2005年6月22日に「ハワイ(最終日)ユナイテッドエアラインズの最悪の接客」というものがありました。

 読んでみると、これはひどい。最初から差別するような人を鼻でせせら笑うような失礼な対応をしただけでなく、機内でランチを買った折のお釣りをテーブルに投げ捨て、そのお金が、ランチのサラダの上に落ちたのだそうです。詳細が、かなり具体的に書いてあるので、実際の記事をお読みいただきたいと思います。

 ほんとうにこういう信じがたい対応が日常化しているアメリカ航空業界の末期がん的な症状を知るたびに、まずこういう乗務員は、サービスの仕事をする資格がないし、サービス業によって給料を受け取る資格すらないと思いますね。

 また、味気なくマニュアル化された機械的な接客教育以前に、そういう乗務員が育った米国の家庭での親の教育こそが、大きな問題だと思いますね。だって、あたりまえの人間のマナーや基本すらできていないですもの。礼儀とマナーに関しては、一部のエリート層の人たちは別にして、米国は本当にダメです。

 このブログ記事は、かなり具体的に書いてあったため、そのブログ記事を読んだユナイテッド航空の日本オフィスのカスタマーサービスから謝罪のメールが来たようです。2005年7月2日「ユナイテッド航空からの謝罪」というブログ記事を読んでみてください。

 しかし、やはり日本人ですから、その方も人がいいのだと思います。一応、思いがけなく謝罪のメールが来たことで、よし、とされたようですが、私は、謝罪を「メール」という、いくらでも、あらかじめお詫び文のテンプレートを作っておける非常に安易な媒体を使って行い、それだけで済ませているところが、ユナイテッド航空は、本質的には非常に人をなめているなと思いました。だって、メール一通でカンタンに済ませて終わり、なんて態度、根本がおかしいじゃないですか。

 また、日本では、その昔、たとえば、食料品や牛乳などに不備があり、腐っていたりしたら、その大手企業の中堅幹部の人が、菓子折りを持って、失礼のあったお客さんの自宅を訪問して、平身抵頭おわびにうかがうなど、あたりまえに行なったものですが、最近は、そういう誠意を示す基本姿勢が企業にも見られなくなりましたね。


 このひどい扱いを受けたブログ記事の方の場合も、もし、メールで謝罪という行為をとるなら、もっともカンタンな伝達手段であるメールでの謝罪だけで済まさず、せめて、お詫びの気持ちとして、無料往復航空券か、次回の旅行で使える座席のアップグレード券ぐらい、不愉快な思いを与え、迷惑をかけたお客さんに送るぐらいのこともできなければ、そんなメールでの形だけの詫びなど、単なる言葉の上での責任逃れのごまかしにしか思えません。

 先手を打って相手の予期していないメールを送り、丁寧に言葉の上でわびれば、なんとかそれだけで相手が機嫌を直してくれるであろう事をどこかで期待しているのであれば、それは、実に安易であって、丁寧な言葉とは裏腹に、実に誠意のない、ある種のせこいずるさを、私は、そこにかいま見ます。

 私は、具体的な実際の誠意ある行動のともなっていない詫び状などは、何の価値も意味もないと考えています。

 こういう問題は、医療や福祉のサービスやホスピタリティ・ケアを考える意味でも、非常に重要なテーマですね。大いに関係してくる。無関係ではないのです。

 まだ、どんどん怒濤のごとく書きたいのですが、またいっきょに書くと長くなって読みにくくなってしまうと思いますので、ぐっとこらえて、今回は、この辺でやめておきましょう。次は、あまり間を空けずに、早めに続きを書きます。

 なおホスピタリティと人間学については、葉山昌一さんという方がブログに、なかなか良い発想のヒントをわかりやすく書いておられますから、是非、参考に読んでみてください。さりげないブログ記事ですが、味のある内容で、おすすめです。

  
Posted by otsukako at 17:56Comments(0)TrackBack(0)