2009年01月31日

生命の世界、生き物の世界をながめていて気がついたこと

この地球上に、いったい、どのくらいの種類の生き物がいるかというと、なんと!!150万種類にもなるそうである。

よくよくこのことを考えてみると、生物の世界のすさまじいまでの多様性、生命世界の多様なあらわれかたには、何か感動して声を失ってしまう。

このなかで、一番、地球上でえらそうにしていて、我がもの顔にふるまっているのが人間だが、よく観察してみると、人間以外、どの生き物も、銀行預金など持っていないし、かばんすら持っていない。

どの生物もまったく身ひとつである。

銀行預金もなく、かばんも携えず、まったく身ひとつでありながら、ちゃんと日々を生きている。

それでいて、驚くべきことに、ちゃんと子孫を作り、育てている。

人間のように、蓄えも、銀行預金もないのにですよ!

考えてみると、すごいことである。

その点、人間たちは、リーマン・ショックだ、大不況だ、景気が悪くてどうのこうのと、なんだかんだと、騒いでいる。

昭和30年代初め頃よりは、いい暮らしを今でもしてるんじゃないんかしらね。

ましてや、焼け野原になった終戦後とはくらべものにならないくらい豊かだ。

飢えて死ぬのではなく、飽食の時代、食いすぎて、生活習慣病で早死にしている。

いわゆる、ぜいたく病である。

他の149万種類の、身ひとつで子まで育てて日々をただ懸命に生きている地球上の生きものたちとくらべて、人間は、どこか、あまりに、わがままで、だらしないような気がしてきた。

「ただ今を懸命に生きる」− 禅坊主がよくまことしやかに説くような言葉であるが、こんなことは他の生物は、あたりまえのこととして日々を黙々と生きている。

他の生き物たちは、人間よりも、とっくに悟っているのである。

こんなことを、いちいちありがたそうなおしえとして説かなければ、わからないほど、人間はおろかなのだろうか?

日々を懸命に生きることなら、生物の進化の歴史では、大先輩に当たる、古代の三葉虫の時代から生きながらえてきているという、ゴキブリでさえも、そうしている。

ある生物学の先生よると、まさに「生きた化石」といえる生き物なのだそうだ。

地球上の生き物たちのすさまじく、けなげにただ己の生命を生きるさまを考えたら、えらそうなことをいっている禅坊主などの説法も、かたなしである。

バイオテクノロジーがどれだけ進歩しても、大腸菌すら、まったくゼロの「無」から作り出すことは、1000兆円出してもできない事実を、どれだけの人が理解しているだろうか?

人間は自分勝手に生命をいじくっているが、生命を無から作り出すことは不可能なのだ。


生命世界の奥深い不思議さについて考えていると、人間社会で、人間たちが騒いでいる多くのことが実にばかばかしく幼稚に思われてくる。政治にせよ、経済にせよ、生命世界の現実のすごさにくらべれば、幼稚園の、ちーちーぱっぱのお遊戯のようだ。

実は、人間は、地球上で、他の生物にくらべて、格別えらいことなど、本当は何もないのではないだろうか。ただ「万物の霊長」などと、うぬぼれて、おごっているだけなのでえはないか。

わがままで自分勝手すぎる人間よ、地球上で、おごることなかれ。

という私も人間だから、これは自分に向かって言っていることでもある。

大自然の生命世界の視点から、よくよく物事を眺めてみれば、地球上で、人間が、大腸菌やゴキブリよりも、えらいことなど、何もないような気がしてくるのだ。

地球を救え、だと?
人間たちのおごりは、この言葉に凝縮されているように思われる。

なぜなら、地球に救っていただいて、日々生かされている存在こそが人間であって、人間など、その気になれば、地球の大自然は、あっというまにすっきりきれいに跡形もなくお掃除してしまうだろう。

人間のわがままを正当化してきた人間中心主義こそが、地球上における人間のおごりを生み、数々の取り返しの効かないような環境破壊問題を生み出しているように思えてならない。


この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/otsukako/51529136