2006年07月12日

モンゴル少女の人生に見る、人間の生老病死の現実のドラマ

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」について役に立つような情報や発想について、わかりやすくお伝えすることです。

 ですが、単に健康のことを書いても、みのもんたの番組を見て鵜呑みにした主婦が、あわててスーパーに苦瓜を買いに行くような、熱を帯びた一時的なブームみたいな知識ばかりを提供することになってしまっても、私自身もつまらないので、だんだん人生全般、生きること全般へのヒントについても、書きたくなってきました。

 考えてみると、医療や健康の問題もまさに人間学の問題に大きく重なってきますね。

 実は、1ヶ月ほどアジア方面の海外に出張していて日本にいませんでしたが、海外に出るたびに日本人や米国について考えることがあり、そのことを書こうかと思ったのですが、あまりにも書くべきことが怒涛のごとくありすぎて、書き出したら止まりそうにないし、今書くと、心にたまった憤りや怒りをそのまま書いてしまいそうで、読者の方が不愉快に感じてもいけないな、と思いとどまり、もう少し、熱い気持ちがおさまってから、うまく切り口を考えて書いてみようと思っています。

 そのテーマをひとことでいえば、世界を見てきて実感する米国人や日本人の「衣食足りて礼節なし」の実態についてです。さらにいえば、「アメリカの上っ面の表層だけを見て、そのマネをすれば、アジアや日本の心と精神がとことんダメになる」という強い実感です。もちろん、アメリカのすべてをきらい、否定するわけではありませんよ。いいところもありますから、正しく説明するのは、かなりたいへんなのです。

 このことは一部のほんとうに教養も人格も深い少数の米国人が一番よく知っています。私の研究所のブレーンとして国際特別顧問をしてくれている米国人などは例外中の例外とも言えるほど世界的な視野と洞察を持った、人格、能力ともどもスーパーハイクラスの人たちですから、あたりまえのように米国の腐りきった病気を理解しています。

 簡単に言えば、高校生がライフルを乱射して同級生を殺しまくる国など、米国以外どこにもないこと、実際に人を殺した事実があっても、黒を白にしてしまう狡猾で高額な弁護士により、黒人人種問題に巧みにすりかえられ、刑法上無罪になってしまうようなことが平然と行なわれる国。こういう精神性のレベルのとことん低い国をゼッタイに表面だけあこがれてマネるな、という叫びにも似た思いです。アメリカの表面をマネすると、アジアの若者の心と精神と体がどんどんだめになってきている感じがしています。実はもう日本の50〜60代のマナーなきオバタリアン世代の人たちも相当あつかましいほどにいかれていますが。

 アメリカを知れば知るほど、アメリカのいいところもわかると同時に、どうしようもないほどに腐りきったところもわかってきます。アメリカを単純に美化して作り話的に虚構化し、自分が儲けるために巧みに高く日本に売り込んでくるような誇りなき狡猾な日本人には、へどが出る思いがします。 いずれ気持ちがおさまったらくわしく書きたく思います。

 さて、最近、帰国してぎりぎり間に合って、私の長年の友人である冒険家で医師である、グレートジャーニーで有名な関野吉晴氏がまとめたドキュメント映画を見てきました。

 関野氏が、グレートジャーニーの途上、モンゴルで出会った遊牧民族の少女との出会いと別れについて、少女の人間的な成長をも追いながらまとまたドキュメント映画で、人生と、それにまつわるやるせないまでの人間にまつまる生老病死の問題が、現実のドラマとして実に淡々と、それでいて深く心に突き刺さるような映画で、これから、日本全国各地で自主上映されてくると思うので、皆さんにご覧になることを心からおすすめするしだいです。

 ストーリーはここで書いてしまうと、つまらないので、あえてくわしく書きません。ただ無条件な本物の人間のまごころや親切心、といったほっとするものにめぐりあえるでしょう。それでいて、つまらない日本や米国のテレビドラマや映画よりも、現実のドラマはきびしい展開を示し、そのことが私たちの心に突き刺さってくると思います。

 その映画の名前は、そのモンゴルの少女の名前を取って「プージェー」(Puujee)です。

 海外出張中、友人に紹介しておいたところ、非常に魂を揺さぶられるほどに感動してくれたようで、口から口へと映画のことが広がっていっています。

 関野さんは、おとなしい物静かで淡々とした人ですが、普通の人では考えられないようなじん常でない過酷な旅をしていながら、それを、あたかも新宿、渋谷にちょいと行ってきたような感覚で淡々と話してしまうじん常でない原始人みたいな人ですので、たいていの人がだまされます。

 本当の冒険家といわれる人は、意外に淡々として多くを語らない物静かな人が多いようで、村上ファンドの村上氏のようなモノ言うおしゃべりではないようです。

 まったくの余談になりますが、あの事件も、自分の金をてっとりばやく安易に増やそうと村上氏に破格の金を背後から出していた日本のサラ金会社の欲ぼけジジイたちのほうが、はるかにあくどい巨悪のように見えますね。

 だいたい、たかがサラ金会社ばかりが黒字続きでえらそうな顔をしているような国に成り下がった哲学とモラルなき日本は、精神面では完全に堕落・没落してきたような気がしますし、かつて世界中の人々を魅了した日本精神や大和魂は、もう影もない感じがします。

 別に儲ける、利益をあげることが悪いとはまったく思いませんから誤解しないでくださいね。

 ただ、人の迷惑もかえりみず自分たちだけの利益しか考えていないような輩には、かつての渋沢栄一や安田善次郎、本多静六、浅野総一郎、といったスケールのでかい和魂洋才の日本の近代資本主義を作った先輩たちは、大いに嘆くんじゃないでしょうか。

 また、米国の占領下にあっても、日本人としての誇りを捨てず、人としてのプリンシプルを曲げず、非礼な態度をとったマッカーサーを叱り飛ばした白洲次郎のような人物なら、非常に怒るでしょうね。(PHP研究所発行「歴史街道8月号」に、その痛快な白洲次郎氏の特集がされていますから、是非、お読みください。)
 


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この記事へのコメント
大塚先生の実体験に基づくとっても深くて重い文章で、
軽々しくコメントする事も憚られる内容です。

日本人はあらゆる価値観を見直すことが必要になってきてる気がします。
Posted by 葉山晶一 at 2006年07月13日 02:47