2006年06月27日

忘れられないバリ島の型破りな画家

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」に役立つような情報や発想を、わかりやすくお伝えし、日頃、一大盲点になりがちな大切な生命へのインテリジェンスをすこしでも養っていただけるようなヒントとしていただくためです。

 でも、健康についての知識ばかりでもつまらないし、結局、自分の命について理解を広げ、深めることは、「人生そのものをどう生きるか」という問題にも大きく関わってきますので、健康そのもののHow Toにとどまることなく、生きること全般についても、どうぞ広く自由に書かせてください。

 インドネシアのバリ島の中部にウブド村という、バリ伝統芸術のメッカがあります。歴史的に見ても、この村の周辺にバリに魅せられた芸術家が世界からやってきて住みついてしまったというような場所です。

 たしか1991年だったか、はじめてこの村を訪れて、強い日差しの中で、草木が輝き、段になった水田の水面が、太陽に光に輝き、村の人や子どもたちが、一日を終えて、夕方ちかく川や水田の用水路で、水浴びをしている姿を見て、「まさにゴーギャンの絵画そのもののような光景ではないか!」と驚いたことがあります。

 ウブド村の西にチャンプアンという地域があり、そこに、世界的に有名なバリ島の画家アントニオ・ブランコのアトリエ・スタジオがあります。

 はじめてそこを訪れてみて、驚いたのは、画家が実際に創作をする制作現場である部屋を自由に見学できたことで、展示してある絵画を見たあと、実際にまだ製作途中の絵が、そのまま見れることもありました。もちろん制作中は鍵を閉めていて、誰も入れませんが、そうでないときは、自由に見れるのです。展示されている作品に見入っていると、そこに突然、どこからともなくベレー帽をかぶった人があらわれ、親切にいろいろ説明してくれるので、いったい誰だろうと思っていると、本人だったので、さらにまた、びっくりしたものでした。

 見学者に何か制作中の絵にいたずらされたり、物を盗まれたり、心配や不安はないのか、と誰もが気にかけるのですが、本人はそれを笑い飛ばすようにいいます。

「ちゃんと念のために、セキュリティーはいるし、テレビモニターでも監視はしているから、何かあれば、ガードマンがすっとんでくるから大丈夫。それより、いつも人が人を疑い、何かされるのではないか、という恐怖心があるのが一番いけない。私は、人のなかにある神性(Divinity)というものをとにかく信じているんだ。人間には、もともと、そういう神性(Divinity)というものが備わっていると思う。だって、生まれてきた赤ん坊に悪人がいるかい?それを信じないから、人を疑い、心配し、気を病む。これは、すべて心の持ち方の問題だね。私の妻はいつも心配ばかりするので、だからいつもけんかばかりするんだよ。困ったもんだ。」

 私は、本人と実際に話しをしてみて、「へぇ〜、そんなものの見方があるんだな、たいしたものだ」と素直に感心したものでした。彼の人生観や世界観は、いろいろなすべての善悪を見通した上で、あえて「人の善性」を見ようとする楽天的で天真爛漫なもので、何か大いに励まされたような気がしたものでした。疲れたときに、「生きる勇気をもらう」とでもいうのでしょうか。

 彼といろいろな話をしていくなかで、哲学的な話にもなり、Holistic(ホリスティック)というのはどういうことか、と聞いてきたので、わかりやすく、その本質を説明したところ、ブランコ氏は、なかなかその発想が気に入ったようでした。また、東洋哲学の話になり、陰とか陽の原理について、一見矛盾対立し、相反するものが、実はこの世界のダイナミックな変化とひとつの全体のバランスを作り出している、という話をしたら、非常に感心して共感してくれ、「そうか!なるほど!だから、私とワイフの性格がまったくちがうわけなんだな。かえって、それでバランスがとれているというわけだ。これは、おもしろい!」とユーモラスな解釈をして、かなりよろこんでくれました。

 彼は、完全な菜食主義で、食事も、いつもただひとりで静かに時間をかけてひとつの儀式のように取るような人でしたから、健康管理にも細心の注意をしているようでした。

 バリ島に来るたびに、彼のアトリエを訪れ、彼と人生観や世界観について意見を交わすことは楽しみになりました。すぐに気を病む心配性な奥さんが、喘息もちで、季節や天候、また体調によって咳がひどくなるというので、その相談にのり、いろいろと具体的なアドバイスをしたところ、ブランコ氏は、「You have Divinity!」といって、とても感激してくれたようでした。

 それから、毎年のように、くりかえし会うたびに、他に来客中でも、その海外からの客に対して、私のことを気さくに「彼は、日本から来たホリスティックで重要な人です。」などと、やや大げさに紹介をしてくれたので、なんとも恥ずかしいやら照れくさいものでした。

 ブランコ氏は、いつも明るく陽気でおしゃべりでしたが、今まで夢中になって話していたかと思うと、いつのまにかいなくなり、どこに行ったのか、戻ってこないな、と思っていると、すでに自分の部屋で昼寝をしている、といったありさまで、全く愉快で天真爛漫な自由人でした。あくまで自分のペースで生きているというのでしょうか。でも、にくめないのです。

 ブランコ氏は、バリ島の女性をモデルにした、ダイナミックで写実的で、コラージュなどとも組み合わせた、かなり色っぽい絵を描くのですが、実は、彼の絵画そのものより、彼の人生そのものが実におもしろい型破りなドラマそのもので、私は、その生き方そのものに、なんともいえない人生の芸術を見る思いがしたのです。

 もともとアントニオ・ブランコ氏は、フィリピンのマニラ生まれのスペイン系アメリカ人です。だから、スペインの情熱的なラテン気質をもっているようです。はやくから早熟な絵画の才能には恵まれていたようですが、その後生活した米国本土で、芸術に理解がなく、その商業主義、物質主義一辺倒であった1940年代から50年にかけての米国のありかたに、とことん嫌気がさして、そこから思い切って脱出をはかります。

 米国本土からハワイにしばらく滞在し、そこから、いよいよ、芸術家のあいだでのうわさになっていた伝説の島、バリ島に船で渡り、永住しようというのです。

 バリ島を目指す途上、船の上で、当時のカンボジアの王子と知り合いになり、王子にせがまれて、カンボジアに招待され、そこでしばらく生活することになります。この展開もドラマチックですね。

 やがてカンボジアに別れを告げ、シンガポールを経て、1952年、とうとう念願のバリ島に到着します。飛行機のない時代ですから、すべて船なわけです。そのとき、彼は、すでに41歳。たいした冒険だと思います。そして、彼はウブド村に入ります。ところが、なんと、そこで財布を盗まれ、すってんてんの一文無しになってしまいます。

 しかし、こういうピンチのときに、不思議なめぐりあわせで、ブランコ氏は、バリ島の王族の人たちと知り合いになり、親しくなります。そして、彼らの助けで、川沿いのチャンプアンという一角の土地を与えられ、そこでの生活と永住を認められることになるのです。この展開も、まさにドラマですね。

 といっても、住む家は、あばら屋。キャンバスを買う金もない中、傘の布地を破ってのばし、木の枠に釘で打ちつけてキャンバスの代わりにして、作品の制作にうちこんだようです。そして、村のバリ舞踊の踊り子の娘、ニ・ロンジと結婚します。( ニ・ロンジは、当時、まだ17歳くらいだったのではないでしょうか。のちに女3人、男1人の4人の子どもに恵まれます。41歳から4人の子ども!たいしたもんです。)

 さて、そういうなかで黙々と作品の制作に励むうちに、彼のあばら家のような制作アトリエ兼住居を、彼のうわさを聞いてか、ある人が、訪問し、彼の絵を買い上げます。

 誰かといえば、インドネシア独立の父、時のインドネシア大統領、スカルノ大統領でした。アントニオ・ブランコ氏の人生は、このように伝説のような型破りなエピソードに満ち溢れています。まるで映画を見ているみたいですね。なんともドラマチックな人生ではありませんか!

 誰にも気さくでオープンな人で、気分がのれば話好きな人なので、世俗の人たちには、つい彼のことをかるがるしく普通のタダの人のように考えてしまう浅はかな人もかなりいたようですが、ブランコ氏のアトリエを訪れた世界の有名人のファンには、世界的な超大物女優イングリッド・バーグマンをはじめ、ハリウッドの有名映画スターたちが数多くいます。

 また、世界的に超有名な歌手のマイケル・ジャクソンとも親しく、人と交流せず、気むずかしいといわれているマイケル・ジャクソンのプライベートな直通電話番号を知っている、数少ない友人のひとりがブランコ氏でした。

  といって、そのような世界的に有名なスターにファンがいて、つきあいがあるからといっても、それを鼻にかけるようなことはまったくありませんでしたね。つまらないこだわりや陳腐な見栄や虚栄がない本当に天真爛漫な自由人でした。こういう型破りな人は、現在80歳の年齢未満のの世代の人には、まったくいなくなりましたね。仮にいても90歳以上の人ばかりです。

  彼のことを変人とかエキセントリックな人とか評する人も多かったようですが、私は、こういう型破りで、ドラマチックで実におもしろい人生を実際に生きてきた人が、大好きです。何かうれしくなり、励まされ、現実の壁に直面し、なんだか疲れてきたようなときに、あらためて自分の人生を生きる勇気をもらったような気分になります。

  残念なことに、ブランコ氏は、1999年に亡くなりました。1911年生まれということですから、88歳まで長生きされたことになります。ちょうど彼のアトリエ・スタジオのとなりに、ブランコ・ルネッサンス美術館をいうものを1998年から建設中で、2000年に完成しましたから、その完成を見ることなくして亡くなったこと非常に残念でした。

  彼と親しく交流できた8年間は、私にとって貴重な思い出になっています。ただ、こういうスケールの大きな人が、この世から、また一人いなくなってしまったことが、すごくさびしい。

  奥さんの喘息の相談にのったことのお礼としてなのか、彼の創作した詩が入った自作のコラージュ作品を、わざわざ贈ってくれたことがあります。サインの入った本物ですよ。大切にしまってあります。

  今では、息子さんのマリオ・ブランコ氏が、画家として、父親とはまた違う独自の作風で、アトリエ・スタジオで制作に励んでいます。今でも、彼や彼の子どもたち(ブランコ氏のお孫さんたち)ともたいへん親しくしています。村の娘で、9歳のときからブランコ氏のモデルや手伝いをしてきたアスマリも、もう今では、結婚して2年目で、26歳になりました。彼女も今でもスタジオの手伝いをしていて、行くたびに歓迎してくれます。皆、心がオープンで、親切で気持ちのよい人たちです。人生、こういうおつきあいが長く続くことはうれしいものですね。

  その後、ブランコ・ルネッサンス美術館が完成してから、あらためてバリ島のブランコ邸を訪れました。そして、案内された美術館の中に足を踏み入れたとたん、そこには、ブランコ氏らしくポーズをとって絵筆を握っている彼の写真が入り口に大きく飾られていて、思わず、生前、彼が笑顔で「アパ・カバル!」(「元気かい!」)といいながら、訪問を歓迎してくれたときのことが頭をよぎりました。

 ドームのような館内には、イタリアオペラが誇る盲目の天才テノール歌手、アンドレア・ボチェーリが高々に歌う「CANTO DELLA TERRA」という曲がかかっていました。まさにそれはブランコ氏と彼の人生にぴったりの曲でした。アントニオ・ブランコ氏のドラマチックな人生を讃えるにふさわしいような情熱的な歌声が館内に響き渡り、館内のどこかから、ブランコ氏が、いつものようにやや大げさに手を広げて、ニコニコと現れてくるような気がしました。

  その彼が「なにがあっても、とにかく人生はすばらしい!とにかく生きていることはすばらしいことなんだ!」と語りかけてくるような気がして、その調べに耳を傾けながら、私は、ただ涙がこみあげてきてなりませんでした。

  実はこのブログ記事は、バリ島のウブド村で書いています。書きながら、何度も涙がこみあげてきましたが、いつかは書きたいと思っていたことでした。

 人生をドラマチックな作品のように生ききった、型破りなバリ島の画家アントニオ・ブランコ画伯の「人生賛歌」と、人生を芸術として肯定しきる彼のよろこびの笑顔は、私が生きることにやや疲れを感じたときに、新鮮な「生きる勇気」と励ましをくれるのです。ブランコさん、ありがとう!



この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/otsukako/50604045
この記事へのコメント
人生はかくも素晴らしいものですね。
感動しました!
ありがとうございますm(__)m
Posted by 葉山晶一 at 2006年06月30日 05:42
葉山さん、いつもうれしいコメントをありがとうございます。

こういう文章を書くときは、実は、ブログ調の「です、ます」調ではなく、「である」調の方が、文章のリズムがのるので、それで書きたいのですが、我慢して、まず、ネットでのわかりやすさを重視して、あえて「です、ます」調で書いています。

つい思いがこもると、言葉が吹きだし、ブログ記事としては長くなってしまうので、読まれる方にとっても、それなりの根気が必要かもしれませんが、ご容赦ください。

よく粘りづよく読みこんでいただいているようで、書き手としてうれしいことで、ありがとうございます。
Posted by 大塚晃志郎 at 2006年07月03日 03:03
5
「アントニオ・ブランコ」氏の検索でこちらにたどり着きました。昨年、ジャカルタで仕事を終え、何気なく立ち寄ったウブドの画廊で衝撃を受けた絵が偶然、ブランコ氏の作品でありました。絵心のない私が何故これほどまでに一枚の絵に惹かれたのか、自分でも分からず、この7月に家内をつれて、ブランコ・ルネッサンス美術館を見学してきました。最近、ハードワーク、人間関係、等々で少々参っておりましたが、美術館で作者の人生観を垣間見ることができ、惹かれた理由がなんとなく分りました。医学のお話も楽しく拝見させていただきました。
Posted by 松下 範彦 at 2007年07月22日 23:28