2006年06月04日

もともとの西洋医学の本質は、現代医学とはかなりちがう

このブログは、おもに経営者とその家族の健康管理と命もうけに役立つような、目からウロコの情報や知恵をわかりやすくお伝えすることが目的です。

さて、先回、もともとの西洋医学の発想が、かなり東洋医学的な発想に似ていたことを書きましたが、もう少しもともとの西洋医学の発想の本質を見てみましょう。

古代ギリシャのヒポクラテスに代表されるもともとの西洋医学の本質の要点を、単純化して簡潔に述べますと、次のようになります。( 論文ではないので、いちいちそれぞれのポイントの出典は書きませんが、古代ギリシャ語原語からじかに翻訳した「ヒポクラテス全集」(ラテン語名 Medicus Hippocraticum )とハーバード大学出版局から出ている英語訳全巻をきちんと目を通した上で、書いていることですからね。あなどってはいけませんぞ。 ハッタリかましているわけじゃないんです…)

 まず、患者さんと医師との関係性を大切にする医療をとなえ、「医師の居場所とは、患者のベットサイドである」との言葉をヒポクラテスは残しています。また、医師〜患者との信頼関係が、病気の治癒に大きく影響することもすでに見抜いていたようです。

 現代では、患者さんのベットサイドの近くにいる人は、学会だゴルフだと忙しそうにしている医者よりも、むしろ看護士さんやヘルパーさんのようですが。

 また、「まず、患者を害するな」(ラテン語で Premum Non Nocere. 英語でFirst, do no harm. )という医療で非常に重要な言葉を残したのも、ヒポクラテスとその弟子たちでした。まさに、患者の生命の安全をなによりも重視する医の精神と心がまえの原点ともいえそうです。

 今では、医療の科学技術や薬物を過信してか、患者がすでに相当副作用で苦しんでいて、かなり体力を消耗しているにもかかわらず、あえてさらに強い薬を投与してしまいがちな現状が事実としてありますね。

 たしかに、がんの腫瘍は小さくなったが、患者さんは、抗がん剤の副作用の苦しみでのたうちまわって死んでしまった、なんてことが、あたりまえに毎日おこっているんです。皆さん、あまりにそういう現実に無知すぎるので、しっかり覚えておいてくださいよ。

 また、病院でも、病気そのものよりも薬の副作用で死亡する例が非常に多いという事実もあります。まるで薬害です。

 となると、現代西洋医学が、もともとの西洋医学の大前提のルール「まず、患者を害するな」という根本原則をきちんと守っているようには、とても思えませんね。もともとの西洋医学の大原則から、いつのまにか西洋医学自身がはずれてしまっているんですよ。

 さらに、もともとの西洋医学は、生活習慣やライフスタイルを根本から正し、体質に合わせた食事療法を中心として、病を効果的に癒すべく周囲の自然環境にも留意し、沐浴、水治療、薬草療法、マッサージなどの自然療法を活用して、体の本来持つ自然治癒能力を十分に生かしバランス回復をはかる総合的なアプローチを主としていました。

 すなわち、もともとの西洋医学は、総合的な自然医療的養生医学といってもいいかもしれません。

 また、もともとの西洋医学は、人間を取り巻く自然環境、すなわち風土や気候、季節の変化や空気・水・土壌といったものが、深く人間の健康・病気に関わりを持つことを洞察していた、卓越した「環境医学」でもありました。ですから、ヒポクラテスは、環境医学の父といわれているほどです。

 今の現代医学の病気治療に、こういうことが完全に抜けていませんか?
 
 さて、現代西洋医学の病院は、果たして病を癒すにふさわしいような、患者の回復に適した「癒しの環境」になっているでしょうか?

 また、科学的であるという意味をはきちがえて、薬物による病気を叩く対症療法ばかりに終始し、総合的な自然医療的養生アプローチをことごとく排除して、やたら力任せに高度な検査や薬や手術の技術ばかりをたよるだけの医療になっていないでしょうか?

 そして、もともとの西洋医学の本質は、どちらかというと、現代医学のように病気を敵として攻撃して制しようとする「病気志向の医学」ではなく、むしろ、体にはたらく内なる自然の力をバランス回復に最大限に生かして病を治癒に導く「治癒志向の医学」にあったようです。

 つまり、およそ3500年くらいの、キリストよりも長い歴史を持つもともとの西洋医学の本質は、ここ150年くらいに急速に病気研究中心に細分化・専門化した機械論的な「バラバラな部門で生体の修理」をするような現代西洋医学の発想とは、かなりちがっているのです。

 ご存知でしたか?意外に知らなかったんじゃないですか?

 こうなってくると、本来の西洋医学の本質は、ますます東洋医学の考え方に近い感じがしませんか?

 いままで、ほとんど誰もはっきりいわなかったことですが、ほんとうに驚くべきことに、もともと医学・医療の本質は、東西同根ともいえるほどに、非常に似ているのかもしれませんよ。

 


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この記事へのコメント
緩和ケアを望む患者が増えているというのも頷けます。
今日も打ちのめされた感です。
医は仁術。
世界中のお医者さんが、
大塚先生のような意識を持って戴ける日は永遠に来ないのでしょうか。
ベッドサイドには看護士すら居ない実態を耳にします。
Posted by 葉山晶一 at 2006年06月06日 03:07
緩和ケアを望む患者が増えているというのも頷けます。
今日も打ちのめされた感です。
医は仁術。
世界中のお医者さんが、
大塚先生のような意識を持って戴ける日は永遠に来ないのでしょうか。
ベッドサイドには看護士すら居ない実態を耳にします。
Posted by 葉山晶一 at 2006年06月06日 03:08
葉山さん、コメントをありがとうございます。医療の技術の進歩自体は、非常に良いことで、たとえば、正確な診断等に役立ちますが、ハイテクになればなるほど、ゼッタイ忘れてはならないことが、いつも医療は生身の生きた感情ある人間を相手にしているということですね。だから、ゼッタイにハイタッチを忘れてはならないのですね。これが医の心の原点です。

しかし、技術が発達し、それにおごると、生身の人間相手にあくまでserveすることが医療であることを忘れてしまいがちなんですね。

また患者さんも、いざとなれば医者や薬にたよればなんとかなる、という発想や意識を変えないと、医療は良くなりません。

とにかく医の原点に立ち返り、コツコツやっていくしかありません。

サイト拝見いたしました。ますます葉山さんの領域で、ホスピタリティのある人間味あふれる環境・空間を作っていっていただきたいと願っております。




Posted by 大塚晃志郎 at 2006年06月07日 01:38