2006年01月11日

「自然の摂理」と「人間の都合」

 このブログの目的は、おもに経営者とその家族の健康管理と「命もうけ」の知恵に役立つような、目からウロコの情報や発想を、わかりやすくお伝えすることにあります。

 ただし、健康の問題といっても、結局、人生そのものの問題や生きかたの問題に大きく関わってきますので、単に健康情報のノウハウの安易な伝達にならないよう、いろいろな分野についても自由に書いております。

 先回、「自然の理」というものについて新年早々、やや大上段に、いきなり書いてしまったようなところがあるので、すこしその意味を具体的に書こうと思います。

 思えば、人間は、天候や気象について、文句ばかりいますね。天気予報を見ては、ああ雨ばかりでいやだとか、雪ばかりでたいへんだ、とかいい、雨が降らなければ、降らないで、このまま雨が降らなければ、たいへんなことになる、とか、いつも、不平ばかりこぼしています。

 身近なところでも、出かけるときに、雨が降っていれば、「なんだ、雨か、いやになちゃうな。」などと平気で言ってしまいますね。

 台風が来れば来るで、大騒ぎし、そのことが災害となり被害が出れば、米国人なら、なぜ、神はこんなひどい仕打ちをわれわれにするのか、と神に文句をいったりします。昨年の巨大台風カタリーナの被害では、現地の人々は、口々に政府の対応ををのろい、神にその仕打ちを問い、不満を爆発させていましたね。

 しかし、台風のほうが悪いのでしょうか?台風は悪魔の手先なんでしょうか?

 たしかに、ここ10年くらい、世界を旅しておりますと、世界的に異常気象がおこっていることを肌で実感します。この異常気象は、自然が悪いのでしょうか?
それとも、自分勝手に地球を汚してきたわれわれ人間が悪いのでしょうか?

 われわれ人間のほうに責任があるのは、はっきりしてしていますね。

 いつのまに、人間は、自分のことは棚に上げて、自然の現象に文句ばかり言うようになってしまったのでしょうか?

 その昔、稲の豊作を祝い、その自然の恵みに感謝していた人間の姿は、ほとんど見られなくなりましたね。

 いつのまに、自然より人間のほうがえらくなったのでしょうか?

 台風は、地球の悪者なのでしょうか?

 とんでもない。私は、地球の大気を掃除する大自然の掃除機のようなものと思っています。その証拠に、台風が去ったあとの空気のおいしいこと。そのすがすがしいこと!そして、台風の去ったあとの夕日の実に美しいこと!

 私は、台風だって、必要があっておこっている自然の現象ととらえています。

 おそらく、もし、地球上から台風が、全くなくなったら、なくなったで、おそらく困ったことになるのだと思います。

 台風が来ても、それをいやがって、ワーワー騒ぐのでなく、危険な外出を一切しないで、おとなしく安全なところに避難して、静かに通り過ぎるのを待っていればよいのを、自分の都合で、自然をなめて、わざわざ外に出かけていったり、山の斜面の下などにいるから、川に落ちたり、土砂崩れに巻き込まれたりするわけですね。

 そういう危険なときに危険なところにいるから被害に遭うのではないでしょうか?

 大自然の大掃除が終わるまで、じっと静かに待っていたらいいのに。自然の大掃除が行われているとき、その中に、あえて飛び込んでいくのは自殺行為ではないでしょうか?

 危険だから行くな、といわれているのに、冬山に安易に行くから遭難するわけです。冬山が悪いわけではありませんね。自然をなめた結果ですね。

 いつも自分勝手なのは、人間の方で自然の方ではない。

 人間が、あまりに自然の力をなめてかかったおごりのツケが、悲劇を生むのではないかと私は考えています。

 「おごるもの、久しからず」

 もちろん、人情として、つい文句を言いたくなるのは、人間誰しもそれなりにわがままですから、わかります。

 でも、私は、あえて、天候、気象という自然の現象に対しては、どんなことがおこっても、しかたがない、と一切、不平をいわず、むしろ、よい天気に恵まれたときなどは、すかさず天にお礼をいい、自然や天地には、ありのままに感謝するようにしています。

 もう700回ちかく乗った飛行機ですが、無事、離陸に成功するたびに、天というか自然に向かって、「ありがとうございます」とお礼をいい、また、無事、着陸に成功したときも、「ありがとうございます」と感謝するようにしています。

 だって、飛行機が墜落したら、そこで人生終わりですよ。離陸と着陸がうまくいったら、どうして感謝なしでいられましょうか。
 
 でも、多くの人は、そう無事であることが、あたりまえの当然の自分の権利だと、タカをくくっています。

 自然の条件が、すこしでも間違えば、へたをすれば、命すらないかもしれない存在であることを多くの人は忘れていますね。

 だから、予期しないときに、どっか〜ん!とずっこけ、一瞬のうちに命を失うようなことを体験する羽目になるのではないかと思います。

 面白いことに、どう感じられてもかまいませんが、いつどこでも、自然の天候に感謝し、お礼を言いつづけておりますと、不思議なくらい、かなり高い確率で、すばらしい天候に、その土地に到着したとたん、恵まれることが多いのです。

 また、そのたびごとに感謝し、お礼を言います。

 たまたま、天候にすぐれない日にあたっても、これは、自然の側に何かこうすべき事情があるに違いない、と思いなおし、それをありのままに、しかたがない、と受け入れ、いずれかならず好転する、と信じ、決して勝手なお願いはせず、感謝し続けます。

 すると、いつのまにか、奇跡のように天候が回復してきて助かったことが数え切れないほどあります。

 きっと、天候にお礼を言う人間が、地球上にあまりにも少なく、ほとんど誰もお礼を言ってくれないので、私のような変わり者に、自然が少し気をよくしてくれているのかもしれません。


 

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この記事へのコメント
私も毎日走ってる山道に終了する時、手のひらを地面に当てて感謝しています。これは都会生活を経験して初めて分かった自然のありがたさだからこそ出来るようになった儀式です。私も先生と同感で勘違いしたらいけないと思っています。自然があって初めて我々人間が存在する事実を。自然に触れて大きくなる機会が減ってる今日は逆の考え、つまり人間中心の考えですよね、その傾向が強くなる事へ私も危機感を抱いております。私は柔道を子供達に教えてるのですが将来はその辺りも含めて人間を作って行かないとと思っています。原点を忘れてはなりませんね
Posted by 634 at 2006年01月14日 08:07
634さんは、本質をとらえている方ですね。

実は、人間も自然の一部。自然とシンクロしなくては、生きてはいけない存在なんですね。

それに逆らったら、かならずツケを払うときが来ます。

病気のほとんどは、そのようなものばかりですよ。

飼っている犬や猫に、人間と同じような、ぜいたくな食べ物、すなわち、たとえば缶詰やケーキなどあげだしたとたん、あっというまに、犬も猫も、糖尿病、がん、脳卒中、などの病気になっていますね。

盲目的な、ひとりよがりな溺愛が、病気を作ります。

今の親たちに多いですね。

子供の病気の原因のほとんどは、親たちの生命への無知にありますから。
Posted by 大塚晃志郎 at 2006年01月14日 17:21
先生の言われる通りです。人間も自然の一部、いつ滅んでもおかしくない小さい存在でしかないと思います。それを受け入れて、思い残す事のない人生を生きて行きたいといつも思っています。先生これからもご指導下さいませ
Posted by 634 at 2006年01月15日 10:30
失礼します。     

  「アル中を癒され」「脳梗塞より生還」「倒産によるサラ金地獄」
より、御言葉によって「癒され・救われた者」の「証」です。  
     
 こころを強くする「メッセージ」のご案内
      http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/
     
        ご笑覧ください。     安達三郎  
Posted by あだち at 2011年09月26日 13:52