2005年08月12日

原爆で被曝しても原爆症が出なかった人たち―2

 おもに経営者とその家族のための健康管理や、いざというときの「命もうけ」の判断に役立つヒントや生命のインテリジェンスともいうべき知恵を、さまざまなエピソードを通じてお伝えするのが、このブログの目的です。

 ですが、ときどき成り行きで、参考になりそうな、さまざまなエピソードにも触れていきます。

 先回、実際に使って威力をたしかめたかった原爆を故意に投下し、罪のない一般人を無差別虐殺した歴史の事実に対して、米国は謝罪すべきである、と申し上げましたが、どなたかが短絡的に勘違いされて、右翼的だとか、保守派だとか、勘違いされても困りますので、若干、補足説明いたします。

 私は、右翼も、左翼も、両方とも、きらいです。

 実は、事実の証拠に基づいて、言葉できちんと明確に、その悲惨で残酷な歴史の事実を伝えたら、それをフェアーに認めて、そのようなおそろしいことを二度としないよう、あえて勇気をもって発言・行動する人間が出てくるのも、多様性の国である米国の良いところでもあります。

 言語化し、事実で証明し、はっきり主張しなければ、「あれは、ああしなければ日本人は、全員自害するまで、戦争に降伏しなかったであろうし、ああしたからこそ、戦争を早く終結させ、むしろ多くの日本人の命を救ったことになるのだ。」などという米国政治家たちの巧妙なプロパガンダと狡猾な詭弁によって、米国民自身が、事実を知らされずに、無知のまま、だまされ続けることになります。

 はっきり事実に基づいて主張するならば、それをフェアーに認める人も必ずいるのが、多人種混合である雑種の国、米国の良いところなのです。

 はっきり言わなければ、察してはくれません。そして、あいまいなままだと、へたをすると、だんだんなめてかかられるようになります。これが国際社会の力学の常識です。

 ごまかしの日和見の和解ではなく、ある意味で、ときには、本気で口喧嘩をしながら、お互い、「あいつ、なかなかやるな、なめてかかれないな」、と身を正しながら、喧嘩を通じて仲良くなっていくのが本来の国際外交のプロセスなのです。なめてきたら、「一歩も引かないでスジを通す」ことが、逆に相手をむしろ感心させるものです。ゼッタイおどおどしたり、あいまいにごまかしたり、見て見ぬふりをしてはなりません。

 事実を認めて、たしかにこれは虐殺に値し、正式に謝罪をするなら、ただでさえ現在、世界の中で自己中心的とされている米国は、世界の国々から、人類の共通の原罪とも業ともいえる戦争の罪を認めた潔いリーダーの大国として、むしろ逆に評価されるでしょう。

 そのとき、日本は、世界に向かって「戦争という人の行為と狂気を憎み、人と国を憎まず」と明言すればよいのです。西郷隆盛が愛した言葉、「敬天愛人」のように。これが東洋精神、いや、日本精神というです。

 戦争という極限状況で、人はまさに狂気にさらされ、勝った国も負けた国も、どちらにも逃げられない非があります。どちらかが絶対的に正しいなどということはありえません。 

 さて、最近、NHKテレビでやっていた原爆についての番組を見ていて、また、涙がどんどんこみあげてきて困りました。

 広島の原爆直後、人々が避難した、マッチの明かりすらない、真っ暗なせまい地下室には、重傷者や死傷者ばかりがあふれ、負傷者が苦痛でうめき、死臭も混ざった異様な臭いと重苦しさが漂っていたようです。

 そういうどうしようもない絶望的な状況の中、子を身ごもっていた若い女性が産気づきます。多くの人が苦しみ、死んでいく中で、それでも、あえてこの世に誕生して来ようとする新しい命がある。

 しかし、そのようなせまく負傷者ばかりの真っ暗な地下室の中で、どうすることもできないような絶望的な状況であったにちがいありません。

 ところが、そういう中、自ら重傷を負い、自分も苦しいはずなのに、一人の女性が、「私は産婆です。私がやります。」と名乗り出たのだそうです。

 真っ暗な闇の中、手探りで最後の自らの命の力をふりしぼって、若い女性の出産を助け、なんとか赤ん坊が無事生まれると、その重傷のお産婆さんは、力尽きて息を引き取ったそうです。

 自分の苦痛もかえりみず、あえて最後の力をふりしぼり、まさに自分の命をかけてまでして、生まれてこようとする他人の赤ちゃんを助けたその女性の覚悟のことを思うと、もうつまらない理屈などふっとんで、ただ涙がこみあげてきてなりません。

 絶望的な極限状況にあって、自分もかなり重傷で苦しいのに、それでも、他人の赤ちゃんの命を救うことを決意し、自分の命を捨てて、行動した勇気と愛情は、すさまじいもので、もう理屈ではありません。

 自分の命を差し出してまでして、新たに生まれてくる命を救おうとする―これは、自分を完全に捨て切らなければできない、もっとも尊い無条件で無償の愛でしょう。

 私は、こういう極限の中でも、そういう精神を持ち、そう生き切った人の実例を知ると、魂が奥底から感動し、こう書きながらも、涙があふれてきて止まりません。私は、ここに人間の究極の精神性を、はっきり見る思いがします。

 私は、ある資産家で、ビルをいくつも所有し、はやくも50歳でリタイヤ。高貴な哲学や芸術を語り、宮沢賢治を愛し、グルメ三昧を楽しみ、高級美術品収集が趣味。世界はあたかも自分を中心に回っているかのように事業を次々に成功させ、夢を実現させてきたその人を、学生時代、とても尊敬し、あこがれていました。

 ところが、あるとき脊髄に腫瘍ができて手術したことで、下半身不随の車椅子の生活になったとたん、その人は、高貴な人生哲学も成功哲学もどこへやら、単に自分を卑下し、自らの不運を嘆き、身内の人に八つ当たりしてあたり散らすような、どうしようもないわがままな幼稚園児みたいになってしまった現実の例を見ています。私は、その変わりようにショックを受けました。

 現実の限界的な極限状況に直面したとき、理屈ではなんといえても、実際となると人間は、やはり弱いものです。 

 一方、若干25歳の女性で、気がついたときには、胃がんのすでに末期状態で岩のように腫瘍が大きくなっており、つらく苦しい抗がん剤治療を病院で受け、とうとう腹水でカエル腹のようになりながらも、決して家族につらいとか、苦しいとか、ひと言も文句を言わなかった人がいました。

 たまに外出できたときの外の空気や光景に素直に感謝し、心配してくれる家族に感謝し、まだ若く、結婚もしていないうちに、死ななくてはならないのはどれほどまでに悔しく無念であったろうに、泣き言やわがままなど愚痴も何も言わずに、眼の前の死を覚悟し、潔く堂々と死んでいきました。それは見事でした。

 人生の成功を謳歌しながら、60歳をすぎて車椅子の生活になったとたん絶望し、だだをこねるだけの、わがままな幼児になってしまった老実業家と、若干25歳の小柄な女性でありながら、決して人間として卑しくならず、人のせいにもせず、ただ潔く堂々と生き切って死を迎えた平凡な女性との、命の生き切り方のあまりの違いに、驚かされたものでした。

 人の精神レベルというものは、本当に年齢や肩書きや見かけからではわからないものです。

 2例とも、私の知人や友人の妹さんの例で、私は、かなり身近な立場で体験した実例です。

 人間の生老病死における極限状況下においては、人間社会の地位、名声、財産、権力、といった価値は、こっぱみじんに吹っ飛んでしまいます。


 そういうギリギリの中にあって、自分も生きたいし苦しいのに、あえて覚悟し決意して、他人の赤ちゃんを、自分の最後の力を使って、あえて助けようと実際に行動することは、実際には、なかなかできることではない。 

 たとえ他人の子どもであっても、このような地獄の状況の中で、これから生まれてこようとする新しい命を救う覚悟と決意をさせたのは、女性の母性的な本能の為せるわざだったのかもしれません。

 親が、あるときは、自分の命を引き換えにしてでも、わが子の命を救おうとすることがありますね。

 よくわかったようなことをいう経営コンサルタントや心理学者が、米国の「マズローの法則」を引用して、人間の行動の動機は、生理的欲求から安全と安定の要求、ついには、段階を踏んで自己実現の欲求に進んでいくものなのだ、と、もっともらしく説明することがあります。

 真っ赤な嘘です!とはいいません。ですが、人間行動を理解するための目安としての仮説としては役に立ちますが、人間には、そういう段階を飛び越えたような自他を超えた動機や精神も存在しますから、あきらかに法則というには間違っています。

 米国から輸入された学説を鵜呑みにして、たいして自分の頭で考えもせず、「マズローの法則」を金科玉条のように扱うのは、頭が、海外ブランド学説に弱い精神的田舎者なのではないでしょうか。

 いずれ「マズローの法則」の未熟さについては、機会を改めてくわしく書こうと思います。

 米国内ですら、欲求の階層が5段階では足りないと、修正され、いままで内容がさらに進化してきた事実も知らず、今だに、米国で1940年-50年の間に生まれた古い仮説を、人間はそう行動するものなのだと決めつけて、新興宗教のように信じ込んで、人に解説したり本に書いている経営コンサルタントや心理学者が、あまりに多いのには、あきれかえります。

 ようするに欧米のブランドに弱い、カッコつけのぶりっこなんですね。自分の頭で根本から考えていない証拠でしょう。

 自分の命をかけて、生まれてくる赤ちゃんの命を助けた、重症のお産婆さん、親が自分の命に代えてでも子を救おうとする行動、どれも、「マズローの法則」という単純で稚拙な仮説などに、その動機は全くあてはまっていません。そうではないでしょうか? 

 申し訳ありません。何か熱い思いに引きずられて、筆が止まらなくなってしまいました。

 原爆に被爆しても原爆症が出なかった人たちが、どうやって命を守ったかについては、次回、なるべく近い時期に書きます。

 思いがけないことが、生と死の明暗を分けることになります。 

 それまで、忍耐強く知恵を絞って考えてみてください。

 





 

 

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