2007年08月28日

難産しやすい女性たちの職業とは?

このブログの目的は、おもに経営者とそのご家族の健康管理や「命もうけ」の知恵として役に立ちそうな、眼からウロコのような情報や発想を、わかりやすくお伝えすることにあります。

ときどき脱線もしますし、あえて、義務感では書かないようにしているので、本当に伝えたいとき伝えたいことだけを書くようにしています。

以前、米国の権威ある国際学術研究誌「Alternative Therapies In Health and Medicine」誌の日本版「季刊 オルタナティブメディスン」を立ち上げ、5年間にわたり、その日本版総編集主幹を務めたことがあります。

米国からのニュースや情報だけでは、片手落ちと判断し、日本版では、独自に、日本での医療のエキスパートに私がインタビューし、対談した記事を掲載しました。けっこうたいへんな作業でしたが、今ではなつかしい思い出です。

その企画の中で、日本での、妊婦さんへの自然分娩の指導でも、たいへん経験の深い老練なベテラン産婦人科医の方と対談したことがあります。

その対談の中で、どういう女性が難産しやすいか、という話が出てきて、それを率直にたずねますと、そのベテランの経験豊かな産婦人科医からは、思いがけない答えが返ってきました。

彼によれば、女性で難産しやすい人の職業のトップ3は、なんと!


1. 産婦人科の女医

2. 助産婦

3. 学校の教師



だったのです!!


この答えは、あまりに意外で、正直、驚きました。

だって、1位と2位は、人のお産を指導する立場の人ではないですか。それだけ、知識も人の出産見聞の経験も豊富。だったら、自分自身の場合は、ラクラク「安産」というか、「らくちん出産」が、当然可能なのでは?と考えてしまいがちなところですね。

それが、必ずしもそうではない、むしろ、逆だったというところが驚きでした。

皆さんは、なぜだと思われますか?

そのベテラン産婦人科の名医いわく、

「アタマであれこれ理屈で考えてしまうインテリ女性に、難産が多いみたいなんだよ。また、へたに専門知識がありすぎると、かえって自分自身の出産には邪魔になるみたいだ。」

と言っていました。

たしかに、お産は、自然なあたりまえのことで、病気ではありませんから、かえって、お産について異常な状態がおこったときの知識をたくさん持ち、それに対処するワザの訓練をしてきたお産の専門家は、かえって、そういう病気に対しての知識が足かせになるのかもしれません。

そう、知っているつもり、わかっているつもりでも、いざとなると、できないことは意外に多いものなんですね。

もちろん、例外はあるでしょうし、上記の職業であっても、ラクラク安産の人もあるでしょうから、あくまで傾向であり、目安でしょうが。

また、つけ加えれば、そのベテランの産婦人科医師によると、いわゆる、外でバリバリ働くキャリアウーマンにも難産が多いようです。

そういえば、腫瘍学の専門家の医師は、人のがんの診断については、たしかにすぐれていますが、いざ、自分自身が、がんになったりすると、頭に詰め込んだ医学のテキストの病気の統計データどおり、数ヶ月であっけなく亡くなりますね。どうもぼう大な病気への専門知識が邪魔をして、もう自分はあと何ヶ月しかもたない、とすぐにあきらめてしまうからのようです。

それにくらべ、あまりインテリでない素直な人で、がんになっても、風邪を治すくらいも気持ちで、自分は生きたいから生きる、と単純に素直に決めてしまった人は、ほんとうに長生きしてしまうことが多いようです。

「知っていること」と「わかること」はちがう。
「わかること」と「できること」はちがう。


そう喝破したのは、私も2段を取るまで練習した、実にすぐれた自他一如の思想体系をもつ日本の少林寺拳法の開祖である宗道臣師家でしたが、この言葉の意味の深さを思いかえします。

どうも自分自身が実際にお産をするときは、頭でごちゃごちゃ考えたりせず、素直に自然のあたりまえのはたらきにおまかせしたほうが良さそうです。

むしろ、自然のいのちの知恵は、ごちゃごちゃあれこれ考えてしまうアタマをもぎとって、マットウな自然の本能のはたらきにゆだねた方が、正しくはたらいてくれるようです。

アタマの知識での知ったかぶりは、難産への道ということなんでしょうか。

たしかに、よく考えてみると、「お産」は「病気」ではありません。

まるで病人のように扱って、病院で「お産」をするといった、現代の通常となっている常識こそが、そもそもおかしいのかもしれません。

もちろん、「もしも」の非常時のことを考えて、病院の方が安心といった用心した考え方もあっていいわけですが、勘違いしてはならないのが、やはり、くりかえしになりますが、「お産」は断じて「病気」ではない、という真実です。犬でも猫でも、病院に頼らず、立派に出産しています。だから、最初から病気の医学の発想で対処することが、根本からおかしいように思います。

また、ついこの間まで、お互いに連絡や協力体制のなかった産婦人科と小児科という医局の縦割り制度により、実は、驚くべきことに、生まれたばかりの赤ちゃんの健康状態や病気のケアをする科がなく、救える赤ちゃんの命も救えないまま、野放しになっていたという、実にずさんな医療の現実がありました。

そのような状態を見るに見かねて、京都府立医科大学教授のポストを投げ打って、いちはやく産科と小児科をむすぶ「周産期医療」の実践のための病院を、ゼロから作り上げ、多くの赤ちゃんの命を救ったのが、神戸にある聖パルモア病院院長だった故、三宅 廉先生でした。

生前に、神戸の病院を訪ねて、すでにご高齢だった三宅 廉先生とお会いし、対談したことがありますが、ホリスティック・メディスンの話をすると、「全人医療ですか…いいですねぇ…今、自分が若かったら、一番やりたいのが、その全人医療ですよ。」とおっしゃって励ましてくださり、「これから全人医療を世に実現していこうというあなたに感心したから、すでに絶版の私の本の最後の1冊を差し上げましょう。」といって、貴重な1冊の本をくださったことを思い出します。本当にすばらしい先生でした。今でも思い出すと、つい目頭が熱くなります。

さて、日本のはるかその昔には、川に洗濯に行った妊婦さんが、そこで急に陣痛が来ても、太古からの自然な「立ち産」で、重力のはたらきに従って、ラクに川辺で自分ひとりでいきんでお産をし、自ら竹でへその緒を切り、生まれたばかりの赤ちゃんをひょいと抱いて川から帰った、などということは平気で、あたりまえに行なわれていたようです。なんともたくましい女性の底力を感じます。なかば強制的にまるで病気のように「お産」を扱い、あたかも「病人」のように妊婦さんを扱う現代の女性の出産は、かなり不自然で過保護のようにも思えます。

そういうやりかたは古いように見えて、はりつけ拷問みたいなカッコウでお産をしなければならない現代西洋医学の病院の視察台とは、かなり違って、自然の理にかなっているところも多かったようです。

「古きをたずねて、新しきを知れ」といいますね。

お産についても、病院で病気のように対処するのではなく、もっと自然で人間らしいお産が工夫されてもいいのかもしれません。

以前、日本ホリスティック医学協会の常任理事として企画を担当していた頃に、「自然分娩」やフランス人医師のミッシェル・オダン博士が指導する「水中出産」などについて、出産体験のあるフランス人ジャーナリストのコリーヌ・ブレさんを招いて講演をしてもらい、私が司会をしたことがありました。

やはりコリーヌさんも、パリ大学卒のインテリなので、ついアタマでごちゃごちゃ考えすぎて、ひどい難産になってしまったそうで、自然分娩の指導のベテランの産婦人科医にいろいろ叱られたみたいで、自分で反省していましたね。

こういうことって、何か世の中のいろいろなことにあてはまるような気がします。

自然の摂理にかえった本能的なはたらきを上手に生かすには、どうもアタマをいったんもぎとり、からだの本能にまかせてしまったほうがいい場合もあるようです。

事業でも、仕事でも、考えすぎは失敗のもとで、たしかな勘やマットウな本能にしたがって行動したほうがいい場合も多いように思われます。


まさに、知恵ある昔のことわざにいう、

「案ずるよりも、生むが安し」

なのでしょう。

金融・経済の専門家の木村 剛さんもいっているように、頭がいいことよりも、親指の太いほうが勝ちなんでしょうね。

その意味は、彼の書いた最近の経営学の本を読んで、見つけてみてください。

  

Posted by otsukako at 00:15Comments(0)TrackBack(1)