2005年07月29日

歴史から未来の変化を見据える

 このブログは、本来、経営者とそのご家族の健康管理と「命もうけ」の知恵について、意外に知らない目からウロコのような、ちゃんとエビデンスのある本物情報をわかりやすくお伝えすることが第一の目的です。

 ですが、ときどき脱線して、国際情報を含めて、さまざまな視点で、私が世界の中で感じ、考えたことも、皆さんのお役に立ちそうな情報を中心に、お伝えしたく思っております。

 というのは、私が、この15年間に現地を訪れた海外の国々は、およそ30カ国。すでに乗った飛行機のフライト回数は600回を超えています。

そういう世界のさまざまな文化や風土の中で、現地の人と、体を張って体当たりで交流し、交渉し、講演・講義をし、議論し、得がたい友人を作ってきた実際の体験があります。

 ですから、日本にいるとなかなか気がつかない情報や世界の動きを肌で感じています。また、世界では、とてつもなくスケールのでかい人間にも出会います。そういう体験の中から、自由に、皆さんの人生のヒントになりそうなこともご紹介したく思っております。

 さて、哲学ある、人間の感情をベースにした実践的なダイレクト・リスポンス・マーケティングの知恵を、日本に根付かせた開拓者ともいえる、神田昌典先生が、日本の知られざる国際人、故・近藤藤太氏の人生を振り返りながら、歴史からこれからの未来を学ぶという、たいへん時代的に意味の深い新著を最近出版されましたので、皆さんに広くご紹介しておきます。

 それは、「人生の旋律―死の直前、老賢人は何を教えたのか?」(神田昌典著、講談社)です。
人生の旋律-死の直前、老賢人は何を教えたのか?
 神田先生も不思議な縁で、近藤藤太氏という、型破りな国際人に出会いますが、実は、私も、不思議なことに、まだ高校生で17歳くらいのときに、日本語一切禁止で英語ばかりで授業をやるという、当時珍しいスパルタ教育の英語専門学校の授業に参加したことがあり、そのとき、その近藤藤太氏の英語の授業を受けたことがあります。当時は、近藤国太という名前でした。

 たいへん豪快で迫力ある授業で、私たち生徒は、近藤先生のことを、Mr. Kondoと呼び、あだ名をGodfatherとつけていました。
 
 きびしいスパルタ教育で、後ろの方の席に座っている、やや消極的な感じの生徒など、ガーンと叱られ、Come to the front seat !(前の席に座りなさい!)と強制移動させられたような記憶があります。

 アクの強い迫力ある先生、という印象が、ずっと心の中に残っています。そのとき、なにか国際的な貿易ビジネスをやってきたベテランというような経歴の説明があったことを、かすかに覚えています。

 神田先生と昼食をごいっしょする機会があり、神田先生がいう近藤藤太氏が、私が高校生の頃、スパルタ英語教育を受けた近藤国太先生と同人物であることを知ったときは、ひどく驚きました。不思議な人の縁を感じました。

 戦争を体験した先輩の日本人にあたる方々は、皆、生きるか死ぬかの極限状況を体験し、極限状況における、人間の幸不幸、人間の運命、人としての潔さや、人間の狂気、おぞましいばかりの人間の業や貪欲といったものを実際に見て体験しています

 破天荒で無茶苦茶だが、スケールの大きい豪快な人生。成功と失敗、その天国と地獄を味わい尽くした国際貿易ビジネスの達人。英語の使い手でありながらも、決して日本人としての魂を売ることはせず、むしろ米国白人と堂々とやりあっていく近藤氏の生きざまは、まさに国際的日本人です。

 ちょっと英語がペラペラしゃべれると、欧米かぶれで無国籍人間のように振るまう、キザでイヤミなタダの英語屋になりやすいものですが、しゃれてダンディに構えながら、敗戦してもあくまで日本人としての魂を売らなかった近藤氏の態度は見事です。こういうスケールのでかい、肝のある、魂を売らないスジを通せる日本人が、本当に少なくなりました。

 「古きをたずねて、新しきを知る」

 「歴史は、くりかえす」

 歴史の証人ともいえる、極限状況を生き抜いた人の言葉は、次の予測できない変化を生きるための知恵の宝庫です。

 神田先生が、近藤先生の遺言ともいえる、これからの時代を生ききるための人生の知恵のメッセージを、若い人にもわかりやすく、年配の方にも読みやすく、世代を超えた知恵の架け橋のように、書き下ろしてくださったことは、本当にありがたいことだと思っています。

 人間の中身を作りあげることより、「ヤフオクや株のデイトレで、おいしく年収数千万円」という類の、せこくラクして手っ取り早く金儲けするための本ばかりが目立つ世の中になって、世間もそういう風潮にうんざりしだしている中、こういう本をあえて世に問う意味は、非常に大きいように思います。

 ゆえに、著者の予想をはるかに超えて、この本は、飛ぶように売れているそうです。

 近藤藤太氏は、国際ビジネスで、本当に体当たりで、狡猾でしたたかなアングロサクソンの白人やユダヤ人商人たちと、ビジネスの交渉の修羅場を体験された方です。

 本当に世界の実際の舞台で苦労されたような方には、近藤先生の体験をもとにして書かれた、国際人間関係を渡り合うための実践的ガイドとして、「デカい態度で渡り合え!― 世界で通用する人間関係10のルール」(近藤藤太著、フォレスト出版)は、大いに役立ちますので、是非お読みください。
デカい態度で渡り合え!-世界中で通用する人間関係10のルール
 アクの強い題名の派手な印象と異なり、中身は、食うか食われるかという弱肉強食の、きびしい国際交渉を、アングロサクソンの白人やユダヤ人商人と実際にやりあい、勝負した者でなければ語れない本物の知恵にあふれています。

 ユダヤ人の知恵について、あれこれ書かれた本が、巷にあふれていますが、そのほとんどは、実際にユダヤ人と深くつき合ったり、交渉をしたこともないような人が、ユダヤ人の文化や歴史もきちんと調べず、ただ日本人への受けをねらって巧みに脚色して創作しているようなものばかりです。

 実際に馬の目を射抜くほどの、きびしい勝つか負けるかの真剣勝負の国際交渉をやってきたアクの強い国際的日本人、近藤藤太先生の本を読んだ方が、はるかに実際の役に立ちます。
 




   
Posted by otsukako at 05:01Comments(1)TrackBack(0)

2005年07月28日

実は、がんそのものが原因で死亡する患者さんは少ない

 経営者とそのご家族の健康管理と「命もうけ」の知恵を磨いていただくに当たって、先回、薬物を中心とする対症療法のもつリスクについて、お伝えいたしましたので、それに少しばかりつけ加えさせていただきたく思います。

 意外に思われるかもしれませんが、がんになった患者さんで、実は、がんそのものが原因で命を落とし、死亡する例より、がん以外の原因でなくなるケースが圧倒的に多いということをご存知でしょうか?

 すなわち、がん患者が病院で亡くなる死因は、がんそのものでないことが圧倒的に多いのです。

 例を挙げれば、末期のがんで体力も低下しているときに、連続して劇薬のような強い抗がん剤を連続して投与しますと、もうその薬を解毒しきれなくなって肝臓が悲鳴を上げ、その強力な毒性が、すでに疲労困憊している排出器官である腎臓を直撃し、タダでさえ疲れ果てた腎臓にトドメを刺して、腎臓の機能をストップさせてしまう、すなわち「腎不全」をおこして死亡する例や、弱った体の免疫力のため感染症にかかり死亡するなどといった例が圧倒的に多いのです。

 このことは、本当に誰かご家族の方が、がんになった場合など、病院の治療を受ける上で、肝に銘じておいて欲しいことです。

 がんの末期で、手の施しようのない場合は、西洋医学の父といわれた古代ヒポクラテスとその弟子たちが医療の信条としたように、

「まず、患者を害するな」

 という根本原則をとことん守り、患者さんの体を追い込み、痛めつけ、苦しめるようなラディカルで、アグレッシブな治療は、きっぱりやめて、患者さんの体力そのものを落とさないようなケアを心がけるべきでしょう。

 うまく上手にがんとつきあうと、がんと共存しながら、日常生活をふつうに送りながら、長年にわたって生存するケースもありますし、手遅れでどうしようもなくても、うまく穏やかに無理せずに対処するならば、末期の激痛や苦しみを、患者さんに味あわせることなく、臨終を迎えてもらうことも、かなり高い確率で可能です。

 弱りきった体に対して、さらに追い討ちをかけて、耐え難い抗がん剤の副作用で地獄の苦しみを患者さんに味あわせるようなことは、是非、避けていただきたいものです。

 実は、多くの医師は、その副作用の地獄のような苦しみを知っていても、所詮他人事だからこそ、平気で強力な抗がん剤を使えるのであって、さて、自分や自分の家族が、がんにかかったような場合に、その強力な抗がん剤を使うかどうか、をたずねれば、正直にこういう人が多いようです。

「だって、先生、あの薬は副作用が強くて危険なんですよ。自分や身内に使えるわけがないじゃないですか。」

 皆さん、皆さん自身とご家族の、いざというときの「命もうけ」の知恵として、しかと、覚えておいてくださいね。



  
Posted by otsukako at 00:23Comments(0)TrackBack(0)

2005年07月27日

へたをすると体の異常を知らせてくれる警報器そのものを壊してしまうリスク

 経営者とそのご家族の健康管理と「命もうけ」の知恵を磨いていただくにあたって大切なことは、現在の医療でできることと、できないことをしっかり知っておくことだと思います。

 先回の記事で、現在の医療が、病気の症状を敵として叩き、抑え込もうとする対症療法が中心の医療であることは、すでに述べました。
警報器そのものを壊してしまう人 
ここに、新たに示したイラストは、以前インドで見つけた、やや古い自然医療のテキストの中にあったものですが、いわんとするところは、症状そのものを叩く薬物による対症療法は、へたをすると体の異常を知らせてくれている生命の警報器そのものを叩き潰し、壊してしまいかねないというリスクを、やや誇張して強調したものです。なかなか本質を突いています。

 とはいえ、私は、薬を全面否定するつもりはありませんし、急性な症状が出たときなどに、タイミングよく的確に適量、薬を使うことも必要な場合がありますから、誤解なさいませぬように。

 以前書いた私の本「人のからだは、なぜ治る?」を熱心に読んでくださった東大医学部の医学生が、中近東のイラクに医学生会議と医療ボランティアで行ったとき、自分がおなかをこわし下痢をしているのに、私の本の影響を受けてか、薬を飲もうとしなかったという報告がありましたが、こういう場合は、薬はすぐに摂らないといけません。原理原則としての薬のもつリスクの認識はするべきですが、何事も硬直して考えてはいけません。現地での症状に合わせて、下痢止めや、必要ならば抗生物質を摂った方がいい場合もあります。臨機応変に考えて、対処しなくてはなりません。

 薬の持つリスクをしっかり認識しながらも、タイミングよく使うべきときは思い切って使うというのが薬の使い方のむずかしいところです。

 ですから、くれぐれも、このイラストを見たからといって、薬をうまく使いこなすことを全面否定はなさらないでくださいね。むやみに薬に依存するのはまちがいですが、薬には使うべきタイミングと状況があるということは、しっかり理解しておいてください。





   
Posted by otsukako at 06:24Comments(0)TrackBack(1)