2005年07月29日

歴史から未来の変化を見据える

 このブログは、本来、経営者とそのご家族の健康管理と「命もうけ」の知恵について、意外に知らない目からウロコのような、ちゃんとエビデンスのある本物情報をわかりやすくお伝えすることが第一の目的です。

 ですが、ときどき脱線して、国際情報を含めて、さまざまな視点で、私が世界の中で感じ、考えたことも、皆さんのお役に立ちそうな情報を中心に、お伝えしたく思っております。

 というのは、私が、この15年間に現地を訪れた海外の国々は、およそ30カ国。すでに乗った飛行機のフライト回数は600回を超えています。

そういう世界のさまざまな文化や風土の中で、現地の人と、体を張って体当たりで交流し、交渉し、講演・講義をし、議論し、得がたい友人を作ってきた実際の体験があります。

 ですから、日本にいるとなかなか気がつかない情報や世界の動きを肌で感じています。また、世界では、とてつもなくスケールのでかい人間にも出会います。そういう体験の中から、自由に、皆さんの人生のヒントになりそうなこともご紹介したく思っております。

 さて、哲学ある、人間の感情をベースにした実践的なダイレクト・リスポンス・マーケティングの知恵を、日本に根付かせた開拓者ともいえる、神田昌典先生が、日本の知られざる国際人、故・近藤藤太氏の人生を振り返りながら、歴史からこれからの未来を学ぶという、たいへん時代的に意味の深い新著を最近出版されましたので、皆さんに広くご紹介しておきます。

 それは、「人生の旋律―死の直前、老賢人は何を教えたのか?」(神田昌典著、講談社)です。
人生の旋律-死の直前、老賢人は何を教えたのか?
 神田先生も不思議な縁で、近藤藤太氏という、型破りな国際人に出会いますが、実は、私も、不思議なことに、まだ高校生で17歳くらいのときに、日本語一切禁止で英語ばかりで授業をやるという、当時珍しいスパルタ教育の英語専門学校の授業に参加したことがあり、そのとき、その近藤藤太氏の英語の授業を受けたことがあります。当時は、近藤国太という名前でした。

 たいへん豪快で迫力ある授業で、私たち生徒は、近藤先生のことを、Mr. Kondoと呼び、あだ名をGodfatherとつけていました。
 
 きびしいスパルタ教育で、後ろの方の席に座っている、やや消極的な感じの生徒など、ガーンと叱られ、Come to the front seat !(前の席に座りなさい!)と強制移動させられたような記憶があります。

 アクの強い迫力ある先生、という印象が、ずっと心の中に残っています。そのとき、なにか国際的な貿易ビジネスをやってきたベテランというような経歴の説明があったことを、かすかに覚えています。

 神田先生と昼食をごいっしょする機会があり、神田先生がいう近藤藤太氏が、私が高校生の頃、スパルタ英語教育を受けた近藤国太先生と同人物であることを知ったときは、ひどく驚きました。不思議な人の縁を感じました。

 戦争を体験した先輩の日本人にあたる方々は、皆、生きるか死ぬかの極限状況を体験し、極限状況における、人間の幸不幸、人間の運命、人としての潔さや、人間の狂気、おぞましいばかりの人間の業や貪欲といったものを実際に見て体験しています

 破天荒で無茶苦茶だが、スケールの大きい豪快な人生。成功と失敗、その天国と地獄を味わい尽くした国際貿易ビジネスの達人。英語の使い手でありながらも、決して日本人としての魂を売ることはせず、むしろ米国白人と堂々とやりあっていく近藤氏の生きざまは、まさに国際的日本人です。

 ちょっと英語がペラペラしゃべれると、欧米かぶれで無国籍人間のように振るまう、キザでイヤミなタダの英語屋になりやすいものですが、しゃれてダンディに構えながら、敗戦してもあくまで日本人としての魂を売らなかった近藤氏の態度は見事です。こういうスケールのでかい、肝のある、魂を売らないスジを通せる日本人が、本当に少なくなりました。

 「古きをたずねて、新しきを知る」

 「歴史は、くりかえす」

 歴史の証人ともいえる、極限状況を生き抜いた人の言葉は、次の予測できない変化を生きるための知恵の宝庫です。

 神田先生が、近藤先生の遺言ともいえる、これからの時代を生ききるための人生の知恵のメッセージを、若い人にもわかりやすく、年配の方にも読みやすく、世代を超えた知恵の架け橋のように、書き下ろしてくださったことは、本当にありがたいことだと思っています。

 人間の中身を作りあげることより、「ヤフオクや株のデイトレで、おいしく年収数千万円」という類の、せこくラクして手っ取り早く金儲けするための本ばかりが目立つ世の中になって、世間もそういう風潮にうんざりしだしている中、こういう本をあえて世に問う意味は、非常に大きいように思います。

 ゆえに、著者の予想をはるかに超えて、この本は、飛ぶように売れているそうです。

 近藤藤太氏は、国際ビジネスで、本当に体当たりで、狡猾でしたたかなアングロサクソンの白人やユダヤ人商人たちと、ビジネスの交渉の修羅場を体験された方です。

 本当に世界の実際の舞台で苦労されたような方には、近藤先生の体験をもとにして書かれた、国際人間関係を渡り合うための実践的ガイドとして、「デカい態度で渡り合え!― 世界で通用する人間関係10のルール」(近藤藤太著、フォレスト出版)は、大いに役立ちますので、是非お読みください。
デカい態度で渡り合え!-世界中で通用する人間関係10のルール
 アクの強い題名の派手な印象と異なり、中身は、食うか食われるかという弱肉強食の、きびしい国際交渉を、アングロサクソンの白人やユダヤ人商人と実際にやりあい、勝負した者でなければ語れない本物の知恵にあふれています。

 ユダヤ人の知恵について、あれこれ書かれた本が、巷にあふれていますが、そのほとんどは、実際にユダヤ人と深くつき合ったり、交渉をしたこともないような人が、ユダヤ人の文化や歴史もきちんと調べず、ただ日本人への受けをねらって巧みに脚色して創作しているようなものばかりです。

 実際に馬の目を射抜くほどの、きびしい勝つか負けるかの真剣勝負の国際交渉をやってきたアクの強い国際的日本人、近藤藤太先生の本を読んだ方が、はるかに実際の役に立ちます。
 




   

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2005年07月28日

実は、がんそのものが原因で死亡する患者さんは少ない

 経営者とそのご家族の健康管理と「命もうけ」の知恵を磨いていただくに当たって、先回、薬物を中心とする対症療法のもつリスクについて、お伝えいたしましたので、それに少しばかりつけ加えさせていただきたく思います。

 意外に思われるかもしれませんが、がんになった患者さんで、実は、がんそのものが原因で命を落とし、死亡する例より、がん以外の原因でなくなるケースが圧倒的に多いということをご存知でしょうか?

 すなわち、がん患者が病院で亡くなる死因は、がんそのものでないことが圧倒的に多いのです。

 例を挙げれば、末期のがんで体力も低下しているときに、連続して劇薬のような強い抗がん剤を連続して投与しますと、もうその薬を解毒しきれなくなって肝臓が悲鳴を上げ、その強力な毒性が、すでに疲労困憊している排出器官である腎臓を直撃し、タダでさえ疲れ果てた腎臓にトドメを刺して、腎臓の機能をストップさせてしまう、すなわち「腎不全」をおこして死亡する例や、弱った体の免疫力のため感染症にかかり死亡するなどといった例が圧倒的に多いのです。

 このことは、本当に誰かご家族の方が、がんになった場合など、病院の治療を受ける上で、肝に銘じておいて欲しいことです。

 がんの末期で、手の施しようのない場合は、西洋医学の父といわれた古代ヒポクラテスとその弟子たちが医療の信条としたように、

「まず、患者を害するな」

 という根本原則をとことん守り、患者さんの体を追い込み、痛めつけ、苦しめるようなラディカルで、アグレッシブな治療は、きっぱりやめて、患者さんの体力そのものを落とさないようなケアを心がけるべきでしょう。

 うまく上手にがんとつきあうと、がんと共存しながら、日常生活をふつうに送りながら、長年にわたって生存するケースもありますし、手遅れでどうしようもなくても、うまく穏やかに無理せずに対処するならば、末期の激痛や苦しみを、患者さんに味あわせることなく、臨終を迎えてもらうことも、かなり高い確率で可能です。

 弱りきった体に対して、さらに追い討ちをかけて、耐え難い抗がん剤の副作用で地獄の苦しみを患者さんに味あわせるようなことは、是非、避けていただきたいものです。

 実は、多くの医師は、その副作用の地獄のような苦しみを知っていても、所詮他人事だからこそ、平気で強力な抗がん剤を使えるのであって、さて、自分や自分の家族が、がんにかかったような場合に、その強力な抗がん剤を使うかどうか、をたずねれば、正直にこういう人が多いようです。

「だって、先生、あの薬は副作用が強くて危険なんですよ。自分や身内に使えるわけがないじゃないですか。」

 皆さん、皆さん自身とご家族の、いざというときの「命もうけ」の知恵として、しかと、覚えておいてくださいね。



  
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2005年07月27日

へたをすると体の異常を知らせてくれる警報器そのものを壊してしまうリスク

 経営者とそのご家族の健康管理と「命もうけ」の知恵を磨いていただくにあたって大切なことは、現在の医療でできることと、できないことをしっかり知っておくことだと思います。

 先回の記事で、現在の医療が、病気の症状を敵として叩き、抑え込もうとする対症療法が中心の医療であることは、すでに述べました。
警報器そのものを壊してしまう人 
ここに、新たに示したイラストは、以前インドで見つけた、やや古い自然医療のテキストの中にあったものですが、いわんとするところは、症状そのものを叩く薬物による対症療法は、へたをすると体の異常を知らせてくれている生命の警報器そのものを叩き潰し、壊してしまいかねないというリスクを、やや誇張して強調したものです。なかなか本質を突いています。

 とはいえ、私は、薬を全面否定するつもりはありませんし、急性な症状が出たときなどに、タイミングよく的確に適量、薬を使うことも必要な場合がありますから、誤解なさいませぬように。

 以前書いた私の本「人のからだは、なぜ治る?」を熱心に読んでくださった東大医学部の医学生が、中近東のイラクに医学生会議と医療ボランティアで行ったとき、自分がおなかをこわし下痢をしているのに、私の本の影響を受けてか、薬を飲もうとしなかったという報告がありましたが、こういう場合は、薬はすぐに摂らないといけません。原理原則としての薬のもつリスクの認識はするべきですが、何事も硬直して考えてはいけません。現地での症状に合わせて、下痢止めや、必要ならば抗生物質を摂った方がいい場合もあります。臨機応変に考えて、対処しなくてはなりません。

 薬の持つリスクをしっかり認識しながらも、タイミングよく使うべきときは思い切って使うというのが薬の使い方のむずかしいところです。

 ですから、くれぐれも、このイラストを見たからといって、薬をうまく使いこなすことを全面否定はなさらないでくださいね。むやみに薬に依存するのはまちがいですが、薬には使うべきタイミングと状況があるということは、しっかり理解しておいてください。





   
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2005年07月25日

もぐら叩きのような医療の現実

病院の治療を受けるにあたって、現代西洋医学が、150年くらい前から急速に極端なまでに細分化されて、症状や病気そのものに固執して、それを攻撃し、叩こうとする、病気研究中心の医学・医療であること、を肝に銘じておく必要があります。

 すなわち、病気の原因を根本から正していくアプローチではなく、とにかく強引に病気を叩き、屈服させようとする医療が中心になっています。その方法は、症状自体を無理矢理止めようとしたり、押さえ込もうとする対症療法が主役です。

 それは急場をしのぐ救急医療としては、非常にすばらしいところがありますが、それと同時に、大きな問題も引き起こしています。

 私の友人の医師が、漫画家に書いてもらったイラストが、非常にあきらかにその問題点をあらしていますので、ご覧ください。百聞は一見にしかず、です。
もぐら叩き
 もぐらのように次から次へ出てきては引っ込むことをくりかえしているのは、病気の症状です。その頭を、次々に医者が懸命に叩いています。

 でも、なかなか治らないままなので患者もかなり苦しんできています。医者も「すぐによくなりますからね…」と言いながらも、次々にちがう場所から出てくる病気の症状のアタマを叩くことに、かなり疲れてきています。それをサポートする看護婦さんもたいへんで疲れていますね。

 これが、今、医療の現場で起こっている現実そのものなのだ、ということを、しっかり認識してください。

 このことが、よくわかっていないで、重大な病気にかかられたときに、自分自身の判断能力と選択肢を持たず、ただ医者まかせ、病院まかせにしていますと、薬ばかり山ほどもらっても、いっこうに良くならない場合が、かなり多くあることは、肝に銘じておいたほうがよいと思います。

 その上で、どういう判断をし、どういう行動を選択していったらよいか、が決まります。現状を嘆いても、今の医療体制が改革され、本質的に変わっていくには、あと20年は最低かかります。

 とすれば、眼の前に今病んでいる人がいて、20年後の医療改革を期待しても、あまり意味がありません。今ここにいる患者は、それまでとても待てないからです

このような医療の現実の問題は、心ある良医ほど、よく認識していて、今日のハイテク医療の限界も理解しているので、なるほど、そのとおりだ、と、このイラストを、苦笑いしながら受け入れてくれます。

 こういう良い医者を責めたりしないでくださいね。そういう心ある医者は、患者のいうことにちゃんと耳を傾けてくれるので、ただでさえ、医療の現実の矛盾の中で、泥まみれになりながらも、なんとかより良い医療をしようと苦労されている人たちですから。

 このイラストを見て、たちまち不快な顔をしたり、機嫌が悪くなるような、妙にプライドの高い医者がいますが、そういう医者は、自分の医者としてのちっぽけなプライドが優先して、患者のことは二の次で、患者のいうことには耳を傾けない傾向の医者が多く、大学病院タイプの医者でしょうから、そういう医者からは、すぐに逃げ出した方がいいでしょう。

 「医者を選ぶのも、寿命のうち」ですから。

 また、大学病院は、検査や病気の研究をするところであって、患者を治す場所ではない、という認識は、医師を中心とする医療関係の専門家のあいだでは、ほぼ常識ですから、病気になって、いきなり大学病院をあてにするのは、命を縮めるもとだと思います。良質な医療サービスは、大学病院には、まず期待できない現実を、しっかり認識しておいていただきたいと思います。

 このイラストは、海外での国際会議や招待講演のときに、現代医療の問題点を、一目でわかるように、よくスライドで紹介しますが、英語で日本語の意味を説明したとたん、会場がどっと笑いに湧き、大きな反響があります。

 


  
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2005年07月22日

無理矢理、症状を抑え込むこと

 体の中でおこっている異変や異常をなんとか知らせようと、必死になって叫び、悲鳴を上げて、助けを求めているのに、それを「うるさい!黙れ!静かにしろ!」と無理矢理、手で口を封じ、それでも、なお泣き叫んで訴えようとしていると、頭をひっぱたき、「うるさいのは、皆おまえが悪い」、と決めつけるようなやりかたは、まるで、幼児虐待と同じではないでしょうか?

 その虐待のあげく、黙らせるために口をふさいでいるうちに、息もできなくなり、いつのまにか、グッタリ息絶えてしまう、なんていうこと、やっていませんか?これでは、あたかも子どもを虐待しすぎて、ついに殺してしまう、あまりに愚かな親と同じではないですか。

 困ったことに、医者が多くの場合、このような虐待に手を貸しているのだから、お話になりません。

 あの切れ者の経営コンサルタント、大前研一氏でさえ、ひどい鼻炎で悩んでいる事実を、彼がどこかで書いていたのを読んだことがあります。ああいう切れ者でも、こういうごくごくあたりまえの命の原則がわからない。

 だから、すごい盲点なのです。いつのまにか、大前氏のひどい鼻炎の症状がいつのまにか消滅したら、それは、ひょっとして、さらに奥深く病気が進行していて、がんが進行しているのかもしれません。

 もちろん、あまりに夜もろくに寝れないほどの、つらい症状ゆえ、かえって心身ともに耐え切れず、疲労困憊してしまうので、一時的に、症状を緩和するために、対症療法で症状を抑える、という処置は、大いに意味があり、否定できません。しかし、それは、あくまで一時的な処置に限るべきでしょう。

 でも、それは、決して問題の根本から解決しているわけではない、ことをよく理解しておく必要があります。

 ただの症状を抑えつけるばかりの対症療法中心の新薬開発のために、最低でも150億円くらいの、治験を含めた新薬開発費用を、あたりまえにかける製薬会社。

 対症療法だけの治療法しか、わからないし、それしかできない病院と医師たち。

 そのあげく、薬にずっと患者が依存しなければならないような、多くの薬漬け医療や医原病を作り出している事実。

 医療の世界の現実では、何かが、本当に根本からおかしいようです。

 そういう現実をしっかり見抜く眼を持っていないと、悪徳サラ金業者に巧みにつけ入れられるがごとく、問題をますますこじらせて、多大な被害を受けるのは、誰でもない、皆さん自身なのです。

 だからこそ、「命もうけ」の知恵や生命についてのインテリジェンスが必要不可欠なのです。



  
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2005年07月20日

症状が出る病気と、出ない病気

 さて、本来のテーマの記事の中で、アレルギーとがんが対局の状態にあることについて触れましたが、ここで、症状が出る病気と、出ない病気について、すこし考えてみたい思います。

 体という精妙なしくみを持つ、ひとつの自然環境になんらかの異常が起こると、生きていているがゆえに、その異常状態をなんとかしようと体が反応します。そのことによって、警報器のように異常を知らせ、体の異常をなんとかしようとする生命力がはたらきます。これが、症状として、体の外にあらわれる、と考えてみてはいかがでしょう?

 もっとわかりやすく簡単に説明しますと、ようするに、体は、生命力がはたらいているがゆえに、体の中で起こっている異常を症状として表にあらわすわけです。

 たとえば、赤ちゃんや、小さな子どもが、おなかが痛いときや指を怪我したときは、泣いて、そのことを親にわかってもらおうとするでしょう?

 それに似ています。

 すなわち、症状とは、それがなんであれ、体が示す泣き声と考えてもよいかもしれません。ようするに、泣いて、体に何がしかの異常がおこっていることを一生懸命訴えているわけです。

 アレルギーは、体の免疫系が、過敏に異常にはたらきすぎている状態と考えられますから、その異常を訴える体の反応が、だんだん激しくなると、泣き声だって、悲鳴に近くなるでしょう。

 ところが、私たちは、なぜ、そのような症状を出して、体が必死に何を訴えているかを、まったくもって理解しようとせず、症状自体が不快なので、いきなり、症状そのものを、なんとか撃退しようと、あれこれ強引なことを試みます。

 その症状が、実は何かからだの中で一大事の火事のようなことがおこっていることを知らせてくれる警報かもしれないのに、うるさいからといって、その警報器自体を壊してしまおうとしたりします

 そのため、いきなり症状を無理矢理抑えて封じ込めてしまおうとするような対症療法の薬を安易に使ってしまいます。無理矢理症状を抑え込めば、抑えられた分、生命力は対抗して、さらに強い症状を示して、体の異常を知らせなければと、がんばります。

 症状が強く激しくなると、さらに、もっと強い薬で押さえつけ、封じ込めようとします。すると、体の生命力は、ますます必死に反発して、もっと強い症状を出そうとします。

 これが、多くのアレルギーの悪循環を生んでいます。花粉症の鼻炎、アトピー性皮膚炎、ぜんそく、なども根本は同じところに病原の根っこがあるように思います。

 このようなイタチごっこは、原因を根本から解決しないかがぎり、ずっと症状をかえって悪化させてしまうことになります。

 しかし、必死に抵抗して、激しく症状を示した生命力も、あまりに薬漬けにされ、ずっと全力疾走に近い形で、がんばってきたものが、とうとう、ある段階から、もうあかん、と疲れ果て、泣くこともできないくらいに、ぐったりしてしまうことがあります。

 ずっと休みなく全力疾走してきて、もう、へとへとになり、歩くものしんどくなって、息が上がってしまうのと同じです。疲れ果てたので、泣き声すら出ません。

 こうなってくると、免疫系が激しく反応していた状態から、疲れ果てて免疫系がうまくはたらかない状態に、移行したことになります。

 ですから、強く出ていたアレルギー症状が消えたなら、へたをすれば、それは実は治ったのではなく、ただくたびれ果てて症状を出して訴えることもできない、免疫系の相当なお疲れ状態のまま、さらに病気が深く進行してしまったのだと考えたほうがいいのかもしれません。

 こう考えていくと、まさに、症状が出る病気は、症状が出ない病気へと、つながっていることになります。

 このように、病気は、表に表れる病気から、体の異常が深く進行していけば、症状もないまま、奥に異常が深く滞積していくような、もっと重い病気に移行していく、とも考えられるのです。




   
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2005年07月19日

成田空港の書店でショックを受ける

c48f3e11.jpg 1ヵ月ほど日本を離れていて、久しぶりに帰国すると、日本語の活字の本がやたら読みたくなり、本や雑誌をあっというまに10数冊買い込んでしまいます。

 例によって成田空港の行きつけの本屋さんに寄りますと、思わず、「あれっ?!これって?!」とよく買うニューズウィーク日本版に眼がとまりました。それは、ニューズウィーク日本版2005年7月13日号だったのですが、その表紙は、すでにどこかでとっくに見たものでした。

 ちょうどその表紙は、スーパーCEOとして日本のITベンチャーで若くして成功した熊谷正寿氏が表紙を飾っていました。日本の若きリーダーがニューズウィーク日本版の表紙を飾ること自体は、大いによろこばしいことなのですが、私は、それを成田空港で最新号に発見して、なんともいえないにがにがしい思いにかられました。

 なぜですって?

 なぜなら、そのニューズウィーク日本版最新号の表紙を飾っていたカバーストリーは、なんと、ほぼ1ヵ月近く前に、タイ北部の田舎町ですでに購入して読んでしまった記事だったからです!

 6月15日だったと思いますが、そのとき、まったく同じ表紙の写真のニューズウィーク国際アジア版2005年6月20日号を、タイの田舎町で発見し、購入したわけです。そのアジア国際版は、6月のそのころ、バングラデシュ、ブルネイ、中国、香港、台湾、インド、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、ネパール、パキスタン、フィリピン、シンガポール、スリランカ、オーストラリア、ニュージーランド、タイで、ほぼ同時に発売されています。

 そういう国々で、とっくに特集記事が読まれているのに、なんと日本では、1ヵ月遅れの特集記事を、あたかも今最新の記事であるかのように、7月中旬近くになって日本版の特集記事に取り上げているわけです。

ちょっと考えものではないでしょうか?

 翻訳とかが手間がかかるとて、今はインターネットの時代。国際版が発行される前に記事の内容は、とっくに送信できるはずですし、いくらその特集記事があまり古くならない類のものにせよ、タイムリーな国際時事のニュース雑誌なのですから、やはり、同時発刊か、せめて2〜3日遅れ、発行が遅れる限度は、せめて1週間くらいにしてもらいたいものです。

 だって、日本は、国際社会の中で先進国で経済大国、白人欧米主導の国際サミットに参加できる唯一黄色人種の東洋の国じゃないですか。

 世界の中でリーダーシップを期待されている国の国際情報への、信じられないほどの対応の遅さは、いったい何なんでしょう?

 国際時事情報やニュースをタイムリーに世界に伝えることが仕事の雑誌が、まるで、どうせ日本人は英語ができないんだから、少々遅れてもわからないだろうと、たかをくくっているのでしょうか?1ヵ月近くも世界での報道に遅れながらも、平気で、最新号として、日本人に紹介して、ちょっとおかしいと思わないなら、その編集者たちは、相当、日本人をなめているんじゃないかというような気がします。その日本版編集者も日本人なのに。

 世界から一ヶ月遅れで、平気で最新特集記事として、日本人に紹介されるニューズウィーク日本版編集部の、まるでお役所の役人のような仕事認識を想像させられました。

 私は、よくニューズウィークを英文、和文ともによく読むファンの読者であるがゆえに、大きなショックと、国際情報への対処が、まるで遅れている国際的な田舎モノみたいな編集者の認識に、ひどく憤りをおぼえました。

 日本の読者は、英語ができないし、どうせ気がつかないだろうから、とまるでバカにされているような気分でした。

 日本のマスコミ業界は、どうもこういうのんき国際情報対応や操作をあたりまえのようにして感覚がマヒしているかのように感じることがあります。

 もう日本版は情報があまりに遅すぎるので、読まず、これからは国際版だけに目を通そうかと思っています。

 1ヵ月も情報配信が遅れながらも、そのことをなんとも思わないようなら、それこそ日本は、国際情報鎖国のままの国なのではないかと思います。

 皆さん、こういうことがけっこう平気で日本のマスコミで行なわれていること、気がついてくださいね。

 証拠の写真は、上がNewsweekアジア国際版2005年6月20号、下が、Newsweek日本版2005年7月13日号です。



  
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2005年07月18日

このブログの目的とビジョン

 このブログの目的は、経営者とその家族の方々の日々の効果的な健康管理の知恵やヒント、さらに、いざというときに役立つ「命もうけ」の知恵、ものの見方考え方というものをお伝えしていくことにあります。

 なぜ、対象を経営者にしたのか、といいますと、経営者というもの、とくにオーナー経営者の方々は、社員全員から反対されても、将来への見通しから、誰にも相談できないような状況の中で、孤独の中で、重大な意思決定や決断をしなければならない立場にあり、かつ、自分がもし思いがけなく倒れたら、多大な迷惑を周囲にかけかねない、多くの人の生活と人生を背負っているような重い責任があるからです。

 ですから、志半ばで倒れるわけにはいかない。でも、どんな切れ者でやり手の事業家でも、自分と家族の健康管理やいざというときの「命もうけ」の知恵の使い方に対しては、まったくといっていいほど無知なケースがほとんどで、いざというときは、ただただ医療の専門家まかせにしてしまい、結局、気がついたときは、すべてが遅すぎるようなケースが、あまりに多いのが現状です。

 私が人肌脱いでお手伝いしたいのは、そういう懸命に生きている方々であり、病気でいることをいいことに、あれこれいいわけをしながら、いつまでも病人でいたいようなひまな人たち(現実には、こういう人たちが、非常に多く存在します)ではありません。私の限られた命の貴重な時間を、あえれこれいいわけしながら病気でいたい人たちの世話で費やしたいとは思いません。

 また、忙しい責任の重い経営者なら、大切な家族の一人でも病気になれば、すごく気にかかり、心配でしょうし、ましてや重い病気であるなら、その心配と心労が絶えず、大きく仕事にマイナスに影響してくるにちがいありません。

 そういうとき、一躍有名になったホリエモンさんであろうが、村上ファンドであろうが、どんなにお金を積んでも、たとえ8000億円積んでも、一人の人間の命は助かりません。生命保険に入っても、命を直接救うことに関しては、なんの役にもたちません。

 命を金で買えると思い込んでいる人は、いずれ遅かれ早かれ、自分自身がお金をいくら積んでも治せない病気や交通事故を体験するはめになり、生身の人間のもろさを思い知ることになるでしょう。

 これは、自然と生命世界の非常にきびしい厳格な掟です。

「医者を選ぶのも、寿命のうち」

こういう明言があります。

いざというとき、あなたとあなたの家族を救うのは、命を救う生命の知恵だけです。


 海外から一ヶ月ぶりに帰国して、友人の鈴木将司氏が、私のささやかなブログが、Googleキーワード検索で、世界のおよそ27万9000件のサイト中、ブログをはじめてからたった3ヶ月の短期間で、ランキング第5位になっていることを知らせてくれました。正直いって、驚きました。

 ほとんどランキングのことなど考えないで、ただ、内容の切り口とわかりやすく伝えることばかりを考えて、ブログを書いてきた私は、最初、何のことやら分からず、「はあ?」と、目が点になりましたが、そういう検索エンジン上位ランキングが、皆が必死に金をかけてでもそうなりたい、けっこうすごいことらしいということがわかるまでには、さらに、しばらくの時間の経過が必要でした。

でも、そのような読者からのアクセスが増えてきたこと、読者の反応があることの事実に気がつき、あらためて今、これは一層はりきって書かなければと、心を新たにしているところです。

これも、インターネットのサイト製作やブログについて、まったくの初心者である私を親切にガイドしてくれている鈴木先生や、蔭で口コミで広めてくれているらしい読者の皆さんのおかげと、感謝しております。

そこで、いままで書いてきて、だんだん書きたい方向性がはっきり見えてきたのでお知らせいたします。

このブログでは、今後、以下の方向性で書いていきます。

1.経営者や管理職の方々とその家族の皆さんの健康管理と「命もうけ」の知恵ーそのものの見方考え方と、本質的な問題解決のヒント

2.世界で出会った、すばらしき人間たち

3.海外の現場での体験からの国際情報

4.今日の日本の医療事情の現実

5.世界と日本の統合医療、相補・代替医療にまつわる情報

6.医療の現場にまつわる知られざるエピソード

7.人間模様こぼれ話

8.その他


 こういう、いろいろな角度から、気持ちも新たにブログを書いていきますので、楽しみにしていてください。

 また、読者の皆さんから、是非、こういうテーマを取り上げ
て書いて欲しいというものがありましたなら、おしえてください。
大いに参考にさせていただきます。




  
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2005年07月09日

コメントから

海外をずっと移動してまわっていたので、間があいてしまいすみません。英語とタイ語とインドネシア語ばかり使っていたので、日本語感覚からしばらく遠ざかっていました。

ブログの読者の方から、とてもよい疑問をお持ちになった方からコメントをいただいたので、ここに紹介いたします。このように身の回りでおこったことから自分の頭で問い、考えることが大切なんですね。よいコメントを寄せていただき、ありがとうございます。

ためしに医学専門用語を暗記した知識ばかりで飽和状態になってしまってか、考える能力が停止しているとしか思えない多くの医者に、「なぜ?」と質問してみてください。ほとんど教科書的な内容をわかりにくく説明するだけで、ずばり「なぜ?」という質問に納得のいくような本質的な説明をしてくれる医師は、ほとんどいないはずです。

コメント欄は公開が前提ですから、質問された方から許可はいただいていませんが、了解済みのこととして、下にご紹介いたします。

はじめまして。
いつも興味深い内容のブログで、楽しく拝見させていただいています。

ところで、わたしの父に末期の肝臓がんが発見されました。
(3年くらい前から「お酒がまずくなった」と言ってほとんど飲まなくなっていたのですが、
 病院にいかなかったため気付かず末期まで育ってしまったようです)
その父が、7〜8年程前までは春になるとかゆそうな花粉症だったのに、
急に花粉症が治ってしまったのです。
ちょうど温泉付きのマンションを購入したこともあり、
温泉の効用で治ったと思っていたのですが、
ガンのせいで花粉症が治って?いたのでしょうか?


お父様のこと、たいへんご心配のことと思います。たいへんですね。冷静に広く情報を集めて対処してください。

こういういざというとき、身内の方が癌になったとき、どうしたら一番よいのか、どこへ相談したら一番適切なアドバイスがもらえるか、本当にわからないもので、非常に切れ者のやり手で、マーケティングや営業や財務にも強い経営者でも、まず、適切な選択や判断ができないのが現実です。

あまりに私たちは、いざというときの生命についての知恵や判断について無知です。金もうけの達人でも、いざというときの命づなになるような「命もうけ」の知恵については、赤ん坊同然といいっていいケースがほとんどでしょう。

生命保険に入っていても、実際の命を救うことには、まったくといって役に立ちません。だから、日常で忘れているだけで、おそるべき一大盲点なのです。

お金儲けと企業買収にたけた、宇宙開発の夢を膨らませているらしいホリエモンさんでも、末期の癌になり、命を失えば、何100億円あったって、そこで終わりです。命を失うならば、その本人にとっては、1000億円でさえ、紙くず同然です。

医者も、検査をし病気の説明はするが、まったくもってお手上げといった状態です。

ましてや、素人である患者さんやご家族が非常に混乱したり、迷われるのは当然なことと思います。

このブログでは個人的な相談内容については、プライベートなこともありますからお答えはしないことを原則にしていますが、皆さんが考えて意味あることは取り上げることにいたします。

いきなり、きびしい現実の応用問題です。

コメントでここに与えられた情報があまり限られていて、判断するにも、さまざまな場合や条件を想定して考えなければなりません。

きちんと状況を正確に把握するためには、ここで述べられた情報だけでは、明確な推察や判断ができません。

でも、非常によい素朴な疑問だと思いました。

皆さん自身で、持てる知識を使って、よい機会ですから、じっくり考えてみてください。

症状が消えたこと、イコール、治ったことなのでしょうか?

治るということは、イコール、症状が消えることなのでしょうか?

アレルギーとがんは、対局的な傾向を持つことを述べましたが、ひとつの、はっきりした境界線があって、はっきり別れて二分されているのでしょうか?

それとも、免疫系のはたらきにおいて、その根っこはつながっていて、お互いが交わるグレイゾーンのような重なる部分があるのでしょうか?

陽きわまって陰。陰きわまって陽。

こういう東洋の自然観もありますね。

自分の頭で考えてみてください。

あらゆるケースを想定して、自由に考えてみてください。

暗記しちゃだめです。

ある賢人の格言に、

「正しい問いをすれば、その問いの中にこそ、答えがある」

という言葉があります。

いずれ、いつか私の考えを述べますので、まずは自分の頭で問い、考えてみてください。

生命の世界は絶妙なしくみにあふれ、驚きに満ちた発見の連続です。それは、また自己発見の連続でもありますから。



  
Posted by otsukako at 11:17Comments(0)TrackBack(0)